75:蒼と茜 (5)
「やがて榊河家と空の一族の運命が交わる時がまいります」
悠璃の言葉が木々の間を駆け抜けた。
夕闇がすぐそこまで迫っている。
見た目には変わらない山々の大自然。
空を翔る二人の少年。
けれど時は進んでいて、蒼はまだあどけなさを残しつつも少し凛々しくなって、琥珀はそれより二つ三つは年上に見えた。
実際に過ぎた歳月は不明だったけど。
「すっかり遅くなったな。きっと牡丹姉にまた怒られる。どうするんだよ」
琥珀はため息をもらす。
「馬の子が産まれるのを見に行こうって言ったのはお前だろ?」
「あんなに難産だとは思わなかったんだって…」
そこで、琥珀はスピードを緩めた蒼を振り返った。
蒼は眼下の茂みに何かを見付けたようだ。
「琥珀、あれ人間じゃないか?」
「本当だ。こんな山奥まで入ってくるなんて珍しいな。もう日が暮れるってのに」
紅葉し始めた木々の間から青緑色の衣がちらちらと見える。
「まだ子供だな。お前とあまり変わらないくらいだ」
「ちょっと自分の方がでかくなったからってガキ扱いするな」
二人は軽口をたたきながら人間の子供の歩みの先にある木の枝に降り立った。
人間の子供は利発そうな面立ちで、身なりも良い。
その子は目的の物を見つけたようだった。
そこには空に届きそうなくらいに枝を伸ばした立派な柿の木がある。
その立派な木にはそれに相応しいとびきり立派な柿の実が成っていた。
少年は一生懸命腕を伸ばしてそこから実を採ろうとするのだが届かない。
背伸びをしても跳ねてみてもやっぱり届かない。
「あきらめたのかな?それとも登るつもりか?」
琥珀の言葉通り少年は跳ねるのを止めて思案顔で木を見つめている。
それを見て蒼がひょいと指を動かした。
少年を驚かせてやろうという笑みが浮かんでいる。
風が巻き起こって柿の実が少年の目の前にどさりと落ちた。
それを拾って大事そうにしまう。
「ありがとう。…あの、できれば帰り道を教えてもらえませんか。道に迷ってしまって」
柿の木に話しかけているところを見れば蒼達が潜んでいることに気付いたわけではなさそうだけど、人間ではない存在に向かって話しているのは確かだった。
「驚きも恐がりもせず変な奴」
琥珀はこのず図太い神経の持ち主に呆れ顔だ。
「琥珀」
「ん?」
「先に帰ってろ」
蒼はその人間に興味を持ったらしく、姿も変えずに飛んでいってしまった。
「ちょ…っ」
すでに少年の前に降り立って止める間もない。
「麓の村から来たのか?」
「いいえ。家族でこの辺りに住まいを移したばかりで。長旅に熱を出した妹が柿を食べたいというので探しに来たのです」
実際に人間ではないものを目の前にしてもその子は臆することはなかった。
「家は池のほとりに。その池の場所がわからなくなってしまったんだけどね」
ちょっと困った笑みを浮かべる。
「なら一緒に探してやるよ。ほら」
蒼は自分に負ぶさるようにと背中を指し示した。
ためらいがちに少年は蒼につかまる。
翼が大きく広がって、少年は更にぎゅっとしがみつこととなった。
「わっ!!」
空に舞い上がった瞬間にはさすがの少年も驚きの声をもらした。
眼下には木々の明と暗がわずかに残る日の光によって塗り分けられている。
蒼は少年が歩いてきた方向へと宵闇色の翼を羽ばたかせた。
池と言われて多少の心当たりはあるようで。
蒼はまず一つ目の池の近くを旋回した。
家らしいものはない。
更に下って別の池も。
「ここでもないか…」
池はこの山の麓に至るまでにはまだいくつかあるらしかった。
「君はこの山に住むと言われている空の一族なのでしょう?」
飛んでいる感覚に慣れてきたのか少年は蒼に話しかけた。
「どこから聞いたんだ?普通人間は空の一族なんて呼び方はしない」
「私の家にはよく小さい妖が入り込んでくるので、その子達に聞いたんです。会えるなんて思わなかったけれど」
少年がなんだか嬉しそうな事に蒼は気付いただろうか。
幾つ目かの池は今までのと違っていた。
「お前の家ってあれか?」
池の畔になかなか立派な屋敷が建っていて、それが焚かれた火によって闇から姿を浮かび上がらせている。
屋敷から目に付きにくい場所を選んで二人の少年は地上に降り立った。
「俺は蒼っていうんだ。お前の名は?」
「私は嵩波と言います。送ってくれてありがとう」
別れ際に互いの名を知った二人。
「ああ、じゃぁな!」
「ええ。ではまた」
あっさりと別れたけれど。
また、と嵩波という人間の少年は言った。
この出会いが始まりであると知っているかのように。




