76:蒼と茜 (6)
珍しく蒼と茜が二人きりで空を見上げていた。
「あれ、何に見える?」
空を指差し聞いたのは蒼の方だ。
「雲だろう?」
「そうじゃなくて、何の形に見えるかってことだよ」
「…雲は、雲だ」
屋根の上に列んだ二人は、よく似てはいたけど見分けがつかないほどそっくりというわけではなかった。
可愛らしさばかりだった蒼は幾分少年らしい面差しになっているのに、茜は成長が止まったかのごとく変わらないでいる。
まだ十歳ほどのあどけない茜と二つほど年上の兄のように見える蒼の話題はどうやら空を漂う雲にあるようで、けれど微妙に噛み合わない。
「最近は一人で里を抜け出しているらしいな。琥珀が暇そうにしていた」
姿は幼い茜だけど表情や口調は蒼よりもやや大人びた印象を受ける。
「ああ、うん。ちょっと面白い人間を見つけたんだ」
「あまり人間に関わりすぎるのは良くないと私は思う」
「どうしてだよ?」
「どうしてだかわからないお前ではあるまい?人間と妖は決して相容れぬものだ」
茜は人間と妖怪の境界を重んじている。
住む世界が違うのだ、と。
それは長となる者としての言葉の重みを持っていた。
「茜様ー?蒼様ー?」
二人を呼ぶ声が聞こえる。
「蒼、皆が探している。戻ろう」
「…ああ」
蒼は茜の手を取り翼を広げる。
ふんわりと屋敷の廊下に降りれば、それを見つけた侍女が駆け寄ってきた。
「なぁ、あれ、何に見える?」
蒼が先程と同じ質問を投げかけたのは嵩波というあの少年に対してだった。
二人は見晴らしの良い小高い丘に腰をおろしている。
「鹿のようにも猫のようにも見えるね。蒼は何だと思う?」
「んー…馬だな!」
「蒼は馬が好きだな。前もそう言っていたよ」
「見えるんだから仕方ないだろ!けど好きか嫌いかっていったら好きだよ。いつか乗ってみたい」
「馬より速く翔ることができるのに?」
嵩波はくすくすと面白そうに笑う。
風の速さで空を飛べる天狗が馬に乗りたいのがおかしいらしい。
「いいだろー、別に」
それから蒼はごろんと仰向けに転がった。
今日は風があるから雲は様々な形に姿を変えながら流れてゆく。
「茜は…雲は雲以外には見えないって言うんだ」
蒼は声のトーンを落として言った。
「茜というと、確か君と双子なのだったね?」
「そう。茜は次の長になるんだ」
「へぇ、神の如き空の一族の長かい?それはすごいことじゃないか」
「そうだな。きっと長になるのは大変で、自由もない。けど自由に考えることも出来ないなんて、そんなの寂しいよな」
自由がなくて外の世界を知らないから、雲は雲にしか見えないし、人間と関わり合うなと言うのだと蒼は思っているのだろう。
自分だけが自由を手にしている罪悪感だってあるのかもしれない。
嵩波は何も言えないでいた。
こんな時に人間がかけられる言葉なんてないんじゃなかろうか。
風の音だけが吹き抜ける。
突然蒼はガバッと体を起こした。
「いやな感じがする」
「…あそこ!煙が見えるよ。黒い煙が」
「なんだ、あれ…」
風に流されながら立ち上る煙のような黒い影はおそらく普通の人間には見ることが出来ない物。
「あの辺りには人間の村があったはずだ」
蒼は翼を広げる。
「待って」
「嵩波は危険だからここにいろ!」
「連れて行ってほしい。きっと邪魔にはならないから」
嵩波があまりに真剣な眼差しで言うので蒼はしぶしぶ承諾したようだ。
蒼と嵩波は丘を真っ直ぐに下って村へと急いだ。
村は閑散としていた。
人々は逃げ去ってしまったのだろう。
そこにはまだ暴れまわる妖怪達がいたのだから。
「あいつら、ここらの山の妖達だ」
「様子がおかしいね」
蒼に嵩波がそう答えたように、普通なら人目に付かないようにひっそりと暮らしている妖怪達が村を荒らし回っている。
何軒かの質素な作りの家は半ば破壊されてしまっていた。
「おい!お前ら、どうしてこんなことするんだ!止めろ!!うわっ…」
牙をむいて飛びかかってきた妖怪を蒼は慌てて払いのける。
それから刀を取り出して、けれど攻撃することはできずに鞘に収まったままのそれをただ握りしめた。
黒い煙のように見えたのは妖怪達で、何百匹という数だ。
「蒼、声が聞こえないかい?ほら」
嵩波の言葉通り引きつった悲鳴がかすかだが私にも届いた。
蒼が声の出所を探って妖怪を警戒しつつ走って行く。
半壊した家からそれは聞こえてきていた。
蒼がそこに飛び込む。
妖怪が今にも女性を襲おうというところだった。
羽をはやした変わった格好の少年が現れたのを見て女性は恐怖のあまり気を失う。
さすがに大人の女性を連れて飛ぶことはできず、蒼は妖怪を遠ざけるしかできない。
けれど妖怪達は風を起こして吹き飛ばしてもまたすぐに集まってくるのだ。
大量の妖怪が二人に押し寄せた。
「臨、兵、闘、者、皆、陣、裂、在、前!ナウマク・サマンダ・バサラダン・カン!」
嵩波が早口の九字に続けて凛と響く声で唱えた真言により、妖怪達は一瞬にして縫い止められる。
「ナウマク・サマンダ・ボダナン・ドボウシャナン・アビユダランジ・サトバダトン・ソワカ!!」
次の真言で塵のごとく輪郭をくずして大気に溶け去ってしまった。




