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70:北の異界と白い天狗 (8)

 更に地下深いそこは、もはや学園内とは思えない雰囲気を漂わせていた。

 周りを岩に囲まれた洞窟のような長い通路に、ぽつりぽつりとともる灯りは壁の穴に揺れる炎。

 ただそれだけに照らされた細長い空間はほの暗く、行き着く先が見えない。

 見た目だけではなく、胸の奥がざわめくような嫌な感覚が不気味さと不安を更に膨らませていた。

 

「この先に…茜さんがいるんですね?」

 

 声が思いのほか反響する。

 

「そうだ…。急ごう」

 

 蒼の感情を押し殺した声が逆に穏やかではない心の内を表しているかのようだった。

 通路を進むにつれて圧迫感を感じる。

 着ている物が重いような、いや体自体がが重いような、そんな感覚だった。

 それがふいに幾分やわらいだ。

 広い空間が現れ、視界が開けたのだ。

 そこは今まで歩いてきた通路とは様相の異なる、美しい鍾乳石に形作られた天然の洞窟だった。

 かなり広く入り組んだ地形の鍾乳洞に、滴り落ちる水音がこだまする。

 この先、奥深くに茜という天狗が眠っている場所があるのだ。

 洞窟はそれに相応しい空気をたたえているようにすら思えた。

 白銀を探して、歩きやすいとは言えない足場を急ぎ足で進んでいく。

 かなり先で何かの物音が聞こえた気がした。

 そちらは細い通路になっていて、最後は行き止まりだったのだろう。

 けれど壁が壊されぽっかりと穴が開いていた。

 その先はまた広くなっているようだ。

 穴をくぐってみれば鍾乳石が壇状に連なり祭壇のように厳かな空間が広がっていた。

 見上げる先には白い天狗の姿。

 ついに見つけた。

 彼の目の前には丸い、背丈の半分ほどもある石が鎮座している。

 白銀は今まさに石に短刀を突き立てようというところだった。

 

「ナウマク・サマンダ・バザラダン・カン!!」

 

 私が唱えて放った霊気の波動を追うように蒼が走った。

 私の術を防いだ白銀だったが姿を消すことはできないまま蒼の斬撃を受け止める。

 受け止めた短刀は蒼の振るった刃の鋭さに勝つことはできなかった。

 折れ飛んだ、叶斗の血が付いた刃は岩場に甲高い音を響かせる。

 

「くっ…何故邪魔をする!この国を統べるべきは我らが妖だというのが何故わからぬ!?」

 

「妖が人を統べることなどできはしない!」

 

「人に飼い馴らされ一族の誇りも地に落ちたか」

 

「何とでも言え。お前を止める事が俺の役目だ!」

 

 更に斬り込んだ一撃。

 白銀に迫る刃は容赦なく袈裟懸けに切り下ろされた。

 蒼にしては珍しいほどの無慈悲な斬撃を遮る物はない。

 かに見えたその刀が硬いものと噛み合う音を立てて止まった。

 その刃を止めたのは硬質な石と化した白銀の腕だ。

 石化した腕は短刀を簡単に斬った刃をも受け止めていた。

 

「蒼さん!!」

 

 蒼が飛び退くタイミングで私は術を放った。

 防ぎきれず白銀は膝を付く。

 渾身の一撃を放って、私の疲労は軽くはなかった。

 けれどもう一息で、もう一度術を唱えれば茜が目覚めるのを止められるかもしれない。

 そう思い印を組み替えた時、背後から迫る気配に気付いて振り返った。

 火の玉が迫ってくる。

 炎の付いた何かが。

 護身の術を使う暇はない。

 前髪を焦がすくらいの距離で水の渦がそれを包み込んだ。

 地面に転がったのは四方が尖った鉄製の物――手裏剣だ。

 それを放った夜稀の手の中には今度は手裏剣ではなくクナイが握られていた。

 

「遅いぞ。そちらは任せる」

 

 白銀の言葉に夜稀が無言で蒼と対峙する。

 夜稀がここにいるということは…。

 夜稀もかなり疲弊していて無傷ではないけれど。

 伊緒里達が負けてしまったなんて信じたくはない。

 間違いであってほしいと祈りながら私は白銀へと視線を戻した。

 私は目の前の白銀を止めなければならない。

 蒼が夜稀と戦っている今、私がやるしかないのだから。

 指先を交差させていくつかの印を組みながら真言を唱える。

 さっきから白銀は折れ飛んだ短刀の刃を気にしているようだった。

 どうやら封印を解くにはそれが必要らしい。

 そちらに行かせまいと私は呪縛の術を放った。

 けれど白い煙のごとく姿を消した彼を捕らえることができない。

 そして煙は白い鴉に変わり短刀にではなく意外なことにこちらに向かってくる。

 迫る鴉の羽ばたきは真空の刃を生み出した。

 とっさに唱えた護身の術。

 力はぶつかり合い、護身結界が軋みを上げる。

 印を組んだ指先から鮮血が伝った。

 このまま耐えきることは難しい。

 結界が消える。

 瞬間、印を組み替え術を放とうとしたが、人型に戻った白銀に手を掴まれて攻撃を封じられた。

 もうここまで?

 何もできずに私はここで殺されてしまうのだろうか。

 思いが頭の中をめぐる。

 けれど白銀は、それ以上何もせず私を解放した。

 彼は自らの手を見つめている。

 私は術を放つことをためらった。

 彼の表情があまりに切なさと愛おしさに満ちていたから。

 

「榊河の血。これで…」

 

 その言葉の意味はすぐにわかった。

 白銀の手のひらには私の血が付いている。

 彼はそれを愛おしむような手つきで石へと塗りつけた。

 ミシっという音。

 血の付いたその場所から石にひびが入った。

 とたんに石からはとてつもない気が放たれる。

 私は衝撃に、鍾乳石の階段を転げ落ちた。

 蒼も気付いていないはずはない。

 しかし彼の刀は夜稀のクナイと噛み合って動きを封じられている。

 石にはみるみるうちに無数のひびが刻まれ、そこから光が漏れ出す。

 茜の目覚めが何を意味しているのか、私はまだ過去の全てを知らない。

 けれど悲しみが再び繰り返されようとしているのなら、私はそれを止めたいと思ったのだ。

 人間がそんな風に考えるのはおこがましいというように今や石のほとんどをひび割れが覆い尽くしている。

 光が溢れ出した。

 石の表面がまるで卵の殻を破るように剥がれ落ち、中から現れた一回り小さい光の球体にはひとの形をしたものが浮かんで見える。

 最後に光のシャボンは弾けて消えた。

 

「事は成った。我ら妖の統べる世が訪れるのを見ているが良い」

 

 冷たい瞳に見下ろされた私の位置からは横たわる茜の姿は確認できない。

 

「ああ…その前に」

 

 ついでのように言い、白銀は流れるような動作で空中から矢を抜き取っていつの間にか左手に握られていた弓につがえる。

 瞬きのうちに放たれた矢は空中で無数に増え、私の頭上を越してまだ刃を交えている蒼と夜稀に迫った。

 蒼は飛び退いて何とかかわしたが、逃れられなかったのは背を向けていた夜稀だ。

 矢を放てば蒼よりもむしろ彼に当たることくらい容易に想像できたのに。

 いや、わざとそうしたとしか思えない。

 背から胸へと矢は何本も突き刺抜けていた。

 

「白銀……き…さま…」

 

 血に塗れて真っ赤な唇がかすれた声を吐き出す。

 夜稀は見下ろす白銀を睨み付け、何とか倒れまいとこらえていたが遂には力尽きて地に伏した。

 誰も信じられなくて、それでも孤独から救われたくて人の世を恨む仲間を求め、けれど仲間だと思っていた白銀には裏切られた。

 これが彼の最期だとしたらあまりに哀れだ。

 白銀の冷たい金の瞳はそれすらもう興味がないことのように夜稀から離れて蒼を見ていた。

 

「っ……」

 

 すでに幼い姿に戻っている蒼は胸元を掴んで表情を歪め、その場から更に数歩後ずさる。

 壁にぶつかり、そのままずるずると崩れ落ちた。

 

「ゴフ……ゴホっ」

 

 口元を抑えた小さな手の指の間を深紅の液体が伝う。

 腹部に薄っすらと血が滲んでいる。

 矢は蒼にも傷を負わせていた。

 けれど、これはその傷のせいばかりではない。

 駆け寄った私に体を預けた彼は何度も咳き込んで足元に血だまりを作った。

 血にまみれた手がすがるように私の服を掴む。

 私の位置から表情は見えない。

 けれど荒い息使いで小さな肩が激しく上下を繰り返す様子はあまりに苦しそうで。

 蒼の服も私の服もみるみる真っ赤に染まっていくその恐怖に体が強張って動かない。

 

「そ奴の血は猛毒だったな。それも火の気。水の気の強いあなたにとっては相当辛かろう。体内から焼かれ、存分に悶え苦しまれよ」

 

 やはり夜稀の血のせいだ。

 猛毒の血液は矢を介して蒼の体内を侵していた。

 おそらくは白銀の狙い通りに。

 仲間であった者の命を平然と犠牲にした白い天狗はのどの奥から残忍な笑いを漏らし、白い翼を優雅に広げる。

 

「ま…て…」

 

 血の塊とともにかすれた言葉が吐き出された。

 蒼が力を振り絞って投げた水色の石は白銀にまで届きはしなかったけれど、湧き出た水流は白い翼を捕らえようと迫る。

 しかし羽ばたきが巻き起こした風に阻まれて。

 白銀が舞い上がるのがわずかに早い。

 茜を大事そうに抱え飛び去るその姿を、私は声すら上げることができずに見送っていた。




中途半端なところで次のお話に続きますすみません(汗)


読んで下さってありがとうございます!

連載を始めて、はや2年を迎えました。

その割に話は進んでいないのが申し訳ない限りですが(汗)

飽き性な私が遅筆ながら書き続けて来られたのはひとえに皆様のおかげです(涙)

シリアスな展開が続きますが、この先もどうぞよろしくお願いいたします。

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