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69:北の異界と白い天狗 (7)

 お(ふだ)は左右の壁、床、そして天井へと放たれた。

 そこから網目状の霊気が広がる。

 叶斗が放ったのは呪縛の符だった。

 その手技は蒼ですらあっけなく絡め取られるほど鮮やかで、それでいて瞬時に動きを奪う強力な術。

 霊気はまるで蜘蛛の糸のように絡みつく。

 

「う…動けまセン」

 

 私も、そしておそらくその網状の霊気は見えてないないであろうイズミも、指一本動かせないのは同じだった。

 白銀が私達の動きを奪うだけにとどめるはずもない。

 冷酷な瞳の天狗は叶斗の手のひらに一振りの短刀を落とした。

 

「手の届く所にあるのに、手に入れられないのは悔しかろう?ならばこれで始末するがいい」

 

 囁きは甘い誘惑の響きでその背を押す。

 蒼の前まで進み出た叶斗は彼に狂気じみた視線を向けた。

 

「お前は僕の式になるはずだったのに…僕の物にならなかった」

 

 短刀がひたりと蒼の首筋に当てられる。

 

「叶斗…」

 

 蒼に抵抗する(すべ)はない。

 刃は白い首筋に僅かに食い込んだ。

 

「もう、僕のものにならない。だから…」

 

「目を覚ましてください!あなたは蒼さんを傷つける事なんて望んでいないはずです!」

 

「だから…いらな…い……?……そんな訳…ない…父様がいなくなって…お前までいなくなるなんて…そんなの…」

 

 苦悶の表情が浮かぶ。

 叶斗は必死で抗っている。

 刃は赤い筋を刻むに止まり、蒼の首筋から離れた。

 

「そのような思いに囚われているのは苦しかろう?楽になりたければ殺すことだ」

 

 けれど白銀の言葉にまだ叶斗の心は捕まったままだ。

 今度は短刀を逆手に持って振り下ろした。

 今度こそ深紅の血液が刃先を伝う。

 しかしそれは、蒼の身を貫いてはいなかった。

 叶斗は自らの腕へと刃を突き立てたのだ。

 抜かれた短刀は彼の手からこぼれ落ち、硬い音を響かせた。

 それに引かれるように叶斗が床に膝を付く。

 張り巡らされた霊気の網が力を弱めたその僅かな隙を蒼は逃さなかった。

 呪縛の網に包まれた空間から抜き放たれた日本刀。

 切り裂かれた霊気の網が光の破片となってゆく。

 私はやっと自由になった指を合わせて印を結び真言を唱えた。

 白銀の術から修験者達を救い出したときに叶斗が唱えたのと同じように。

 一言一句違えぬように。

 はらはらと舞っていた叶斗の霊気の欠片すら飲み込んで、ほんの少し色味の異なる光が空間をうめる。

 木を組んで作られたトンネルは眩く輝く。

 まだ光が消えやらないうちに私は今度は白銀に向かって真言を放った。

 ほとんど同時に術を放ったのは叶斗だ。

 

「術から逃れたか」

 

 言葉が終わらないうちに白銀の姿は幻影のように薄く揺らめいて消えた。

 

「まあ良い。この血さえあれば、な」

 

 再び姿を現して叶斗が落とした血の付いた短刀を拾い上げる。

 蒼が一気に間合いを詰めて放った横なぎの一撃に切り裂かれたのは残像だけだ。

 白銀は白い鴉の姿になって風の早さで扉の隙間へと姿を消す。

 

「大丈夫!?」

 

 叶斗は腕の傷を押さえて再び膝を着いた。

 おそらく相当無理をして一撃を放ったのだろう。

 蒼が差し述べた腕の中に倒れ込む。


「叶斗を頼めるか?」

 

 青白い顔で固く目を閉じた叶斗を、蒼はイズミに託した。

 

「ここから出なければ安全だ」

 

 両側に並んだ扉の一つを開けてその小さな部屋に入るように言う。

 さすがにイズミもこれ以上ついて来るとは言わなかった。

 

「わかりマシタ」

 

 神妙に頷く。

 

「ミズホ、王子のコトも戻ったらちゃんと話してくだサイね」

 

 イズミを残して、私と蒼は別の扉へ向かった。

 その扉先に白銀は消えたのだ。

 暗い石の階段が私達を更なる深淵へと誘うかのように下へと伸びていた。


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