瑠璃
「めっちゃ青い落書き、でありますか」
“駐在所”の巡査さんのひとり、今日の当直の青年は、相変わらず堅苦しい、そしてちょっと時代錯誤的な「おまわりさん口調」で答えた。
訴えているのは、灰色の制服に身を包んだ中学生の少女とランドセルを背負った小学生。二人は、学校帰りにしてはだいぶ遅い時刻ーーなにしろ、空は夕暮れのオレンジを過ぎて、夜の寸前の深い青に変わりつつある。
「めっちゃ噂になってて、んで見に行ったら、マジでめっちゃ青」
「あと、書いてある文字がダメなやつ。あたしには謎の記号にしか見えないのに、読めるって」
男の子は大きめのカブトムシでも見つけたかのように楽しげに語り、地元中学の制服姿の少女は、げっそりした顔で傍らの小学生男子を指さす。
「それは、よくありませんね」
「実は他にあと三カ所知ってるけど、もう明らかにダメじゃん? だから、帰りしなに通報に来たであります」
敬礼してみせる少女。すると男の子のほうが少女に飛びかかった。
「え?! アレ他にもあるの?! 見たい!」
「いけません」
「もう鶺鴒にメッセージしたから、だぁーめ。隼には駐在さん経由の方が良いよね?」
「はい。本官の職務案件と思われます。ご協力感謝します」
駐在の青年は、自分より十歳以上年下であろう、子ども二人に至極誠実な態度で頭を下げた。
中学生の少女は、今にも走り出しそうな小学生男子の二の腕をガッチリ掴み、四カ所の「めっちゃ青い落書き」の場所を告げる。それから、「見たいー!」と珍しい動物が現れでもしたかのような軽さでジタバタする男の子を肩の上に担ぎ上げて完全に動きを封じると「駐在さん、気をつけてね」と、夕闇の中へ去っていった。
もちろん、心得ている。たいていの怪奇現象や異常事態をスルーするあの二人の子どもがわざわざ興味を持ち、少女の方は大人と駐在所に報せに来たのだ。
コレは、本当に危ないモノだ。
特にあの少女は、有害なものを嗅ぎ付ける。
駐在の青年は、闇に遠ざかる男の子の駄々をこねる声を背に、所内へ戻ると、ノートPCと紙のノート両方に「めっちゃ青い落書き」について、通報内容を書き、調査に出る旨を書き添え、ノートPCからは“寮”と“本部”にメールで送信する。
ドアを閉め、「巡回中」の札を下げて、青年は教えてもらった場所へ向かった。
「たしかに、めっちゃ青い」
グラフィティというのだろうか。
海外では廃墟の壁や地下鉄、その他いろんな壁にスプレーなどで描かれているアート作品。芸術には詳しくないので、駐在の青年にはそれくらいしか分からない。
ただ、いわゆる心霊スポットの落書きと言うよりかは、なんとなく芸術性を感じる、気がする。
今いる場所は、この町でもちょっと寂れてしまった区域。
天狼川を渡る橋の近辺に、バス停ができ、大きな業務スーパーやドラッグストア、新しめのクリニックや個人営業の店が連なり、新たな商店街が形成されていく中、古い商店街はシャッター街と化している。理由は単に経営者たちの老いによるものと、次の担い手がいないこと。
そこへ、交通の便が良くなり、橋周辺がいろいろ整備されて、使い勝手が良くなり、夜でも賑わい、明るくなっているから、加速度的に廃墟化が進んだ。
枯れた森のように、閑かに黙りこくる建物群。
しかし不思議と荒らされてはいなかった。
そんな「きれいな廃墟」が、今、目の前の全て、一面が鮮やかで、そして高貴な瑠璃色。
紫を帯びた美しい青で、朽ちゆく商店街が彩られていた。
その青い落書きは、絵にも見えるし、記号にも見える。日本の漢字や、韓国語のハングル文字めいた形状、あるいはトライバルタトゥーにも見えて、「見るものによって千差万別」という制作者の主旨なのだろうか?
「ふつう」なら、そうだろう。
前衛的な芸術作品。
落書きされた店は、かなり前から放棄されていて、怒るものも困るものもいないだろうが、一応「ふつう」であっても、よろしくはない。権利者不明状態なのだろうが、明らかに勝手に描かれている。
なかなか立派な、かつては賑わっただろう商店街はそれなりに長々連なり、両脇すべての店のシャッターが、美しい瑠璃色に塗られているのは、きれいなように見えて、うそ寒くなってくる。
青は、涼しいイメージを与えるものではあるが、この重厚な瑠璃色は、それ以上に、何らかの圧力を与えてくる。
視界すべてが、瑠璃色の文様に塗りつぶされているのだ。
駐在の青年は、少女が感じたであろう脅威を、自身もまた感じ取った。これを見たがる男の子のほうがどうかしている。
これは、危険だ。
積乱雲、遠雷、揺れる藪、濁っていく川の水。
命を奪いに来る脅威が迫る兆し。
駐在の青年は、それを理解したうえで慎重に職務を開始する。
目視確認後、仕事用のスマートフォンと、支給されているフィルム式カメラで、瑠璃色のグラフィティを撮影していく。
わずかに残っている街灯は弱々しい。暗闇の支配が遥かに勝る。並んだ建物のせいで、他の人工光も自然光も入ってこないゆえだ。空も狭くて、月も見えない。
なのになぜ、こんなにも美しい瑠璃色だと分かるのだろう?
しばらく、カメラのフラッシュが何度もたかれて、明滅していた商店街の雰囲気が変わったのは、中央付近。
駐在の青年の、総身の産毛がぞわっとした。怖気が奔る。鳥肌が立つ。
即座にポケットにスマホとカメラをしまい込むと、周囲を見渡す。
このあたりは、特に街灯が切れていて、ほぼ真っ暗だ。
だが、瑠璃色なのだ。
グラフィティが発光しているわけではない。
なのに、暗闇に沈んでなお青い。
瑠璃色の落書きとしてしか、青年には感じるものはないのだが、瑠璃色に見えていることそのものがおかしいのだ。
青年は夜目がきく。
だが、物の形や動きが見えるだけで、白黒の濃淡、モノクロでしか見えない。おそらく人間含めたすべての地球上の生命体は、闇で目が見えていても、そういうふうに認識するはずだ。赤外線とか熱感知とかはまた違うのだろうが、光によってものを見るものは皆、そうなるはずだ。
そっと、青年は手を差し出した。
瑠璃色のグラフィティからは三メートルは離れている。
駐在の青年の、警察官の制服が、ほぐれた。
繊維がほつれたようにも見えたが、それは青年の体自身が変異して服を巻き込んで変形したのだった。
それはイバラに似ていた。だが、植物的というより、筋肉繊維がしなやかに動いているかに見える。色は、闇のなかでもより濃い黒。
黒の肉のイバラのツルが、駐在の青年の腕からザワザワと生え、伸び、瑠璃色を目指す。
すると、瑠璃色が蠢いた。
記号のような、
抽象画のような、
なんらかの文字のような、
意味も意図もわからない連なりが、ぐじゃりとひしゃげて、黒いイバラのツルの先から逃れるように移動し、元々の下地であるシャッターが見えるようになった。
駐在の青年は、伸ばした黒茨のツルを、手元に戻しつつ、腕を下げた。警官の制服は何事もなかったように元通り。
そして、瑠璃色のグラフィティもまた、まばたきの間に元通りになっている。
「これは、本官では対応できそうにないか」
ポツリと呟く。だが声量よりはるかに大きく、いやにシャッター街に反響した、気がした。
中学生の女の子に教えてもらったほかの場所も、似たようなものだった。古びた商店街ほど大規模ではないものの、放棄されている持ち主不明の空き家、天狼川の支流にかかる古い石橋の下、鉄の格子扉にしっかりと阻まれた暗渠の内側の壁。
いずれも、夜が深まり闇が濃くなるにも関わらず、周囲に明かりがないのに、美しい紫を帯びた高貴なる青の文様だとわかる。ハッキリと見える。
駐在の青年は、あまり「この類」が「みえる」質ではないし、中学生の少女も「みえない」タイプだ。
だから、この瑠璃色の落書きは、「存在している」。
瑠璃色の文字のような、グラフィティのようなナニカは、おのれの存在を主張している。
そして、彼女の家族である男の子。彼は「よめる」という。
明らかにヤバい。
確定でヤバい。
以前、青年がこうなった時、かの中学生の少女が彼の命を助けてくれたが、青年はこの土地から離れることのできない身体になってしまった。
それ自体は最早、どうしようもない過去のこと。心配なのは、青年も少女も、見えているが、「さわれない」タイプの怪奇現象にめっぽう弱いということだ。もっとこう、物理的に襲ってきてくれる方がなんとかなるのだが。
『妹が首突っ込まずにサッサと帰ったってことは、「安全とは言えない」な。おまけに浮草が喜んでると来たか』
駐在所に無事に帰還した青年は、専用の黒電話ーー固定電話より更に古くてレアなダイヤル式ーーで、“本部”に簡単な調査報告をした。あとで文書で詳しい報告書を作成する必要がある。ノートPCと紙のノートの両方で。
とても珍しいことに、電話を取ったのは、情報提供者の女の子の実兄だった。今は別の所にいる、というか仕事で日本中を飛び回っているので、“本部”にいるのは珍しい。
“本部”でも屈指の実力者であり、恐れるものなど何もないだろう彼が、真剣かつ緊迫感を伴う声音で、報告を受け取る。
「本官には臨時対応しか出来ないタイプの「存在」と思われます」
『ああ。適任者か応援を選ぶ。“寮”には今、どんな人員がいたんだったか…いや、浮草が「よめる」となると中途半端な人材は危険だな…』
苦虫を噛み潰したような煩悶の滲む上司の声。
青年は、光源がないのに瑠璃色と判別できる以外では異常はなかった。なにこれめっちゃ青いな、としか感じなかった。
だから、無事という可能性が高い。
『調査に関する人員は、慎重に選ぶ必要があるだろう。すまないが、それまで監視をお前に任せたい。ナニカが蓄積していく、という可能性もあるから、十分に注意しろ』
「了解しました」
いくつか、今回の件とは関わりのない業務連絡のあと、電話を切る。
駐在の青年は、スマホの写真をノートPCに転送し、報告書に添付。更にプリンタで二組ぶん紙に印刷し、一組を紙のノートに添付。フィルム式カメラはカメラ本体まるごと、加えて紙のノートのコピーともう一組の印刷した写真を、“本部”からの回収要員のためのボックスに収納する。
これで一連の作業終了である。
青年は、スマホの写真をしばし眺める。
紫を帯びた、濃い青色。
高貴なる瑠璃色。
前衛アートのような、摩訶不思議なグラフィティ。
ひと気のない暗闇で、青く己を主張する。
駐在の青年は、分からない。
だが、だからこそ、できることがある。この異様な瑠璃色を「変なモノ」としか感じない自分だからこそ、安全に監視できるだろう。
……たぶん、いまのところは。
キーワード「瑠璃」終
もはやキーワードを利用して、本編に出せなさそうな人々を出演させるシリーズになってしまいました
ありがとうございました(反省してない)
“駐在所”と駐在さんたち、凄く好きで設定だけあるんですけどね…出番作りたいなぁ
ほとんどが一般人なのですが、こういった方々もごく当たり前に混じっています
「彼」のエピソードは、けっこうガチホラーなので、若かりし日の薔薇と共にちゃんと書いてあげたいですねえ…
ちなみに「彼」の触手がイバラっぽいのは、薔薇に助けてもらって恩を感じて、なんやかんやあって、薔薇へのリスペクトからイバラっぽい形状に落ち着きました
“駐在所”及び“寮”には、さまざまな理由でこの地から動けなくなったヒトや、特殊な経緯のあるヒトが所属しており、ちょっと有害すぎる怪奇現象や、ニンゲンの危険なヒトにも対応しています
クマやイノシシにも、場合によっては対応しますが、本職の猟師が即応するので野生動物とはあんまり戦いません




