53_決着
掲げた両手の隙間で、菫色の光が、ぱちぱちと小さく爆ぜはじめた。
細い糸のような紫電が、幾筋も、指のあいだを這うように奔る。それが見る間に束になり、絡みあいながら、太い雷光の柱へと育っていった。あたりの空気が、びりびりと痺れる。焦げた匂いが、うっすらと鼻をつく。
「——ジャッジメント」
低く名を呼ぶと同時に、束ねられた雷が、一気に解き放たれた。空を裂く甲高い音。幾筋もの稲妻が、枝分かれしながら、まっすぐに襲いくる。
ラヴィは、その光を真正面から見据えたまま、手のなかの《星の花束》を強く握りしめた。胸の奥で、分化した皆の力が渦を巻くように集まってくる。ネオンの俊敏さ、カトレアの剣気、ピアの底なしの膂力、ミューのしなやかさ——ひとつひとつが境目もわからないほど溶けあって、全身を満たしていく。そこに、パッチの翼の力も重なった。心器が、これまでにない熱を帯びる。
すべてを、いま、注ぎこむ。加減の仕方など、知らなかった。ただ、届けと願うだけだった。
杖を、まっすぐに掲げる。
「——シューティングスター」
先端から溢れ出したのは、無数の光の粒だった。星屑のように、ひとつひとつが尾を引きながら瞬いている。それが渦を巻き、束になって、まっすぐな奔流となって放たれた。
*
雷と星々の光が、中間の空間で真正面からぶつかりあった。
拮抗する——はずだった。
枝分かれした稲妻の一本一本を、降りそそぐ星の光が絡めとるように呑みこんでいく。押し合うたびに雷が弾け、光の粒が四散した。眩い閃光が幾度も、あたりを白く染める。轟音が鼓膜を叩いた。崩れかけた石柱の欠片が、震動でぱらぱらと崩れ落ちていく。
一進一退。稲妻が星の奔流を食い破ろうとしては、押し返される。押し返しては、また、雷の刃に切り崩される。均衡は、しばらく、揺るがなかった。
けれど、次の瞬間。もう一人のわたしの放った稲妻に、ふっと揺らぎが見えた。幾筋もあったはずの枝分かれが、一本、また一本と力を失うように細くなっていく。渾身のはずの一撃が、どこか芯を欠いていた。まるで、注ぎこむ手前で何かに堰き止められたかのように。
「……なぜ」
戸惑うような声が、雷鳴の向こうから漏れた。理由がわからない、というふうに。本人にも、見当がついていないようだった。
その隙間を、星々の奔流が、なだれこんでいく。
*
押し返す。押し返される。雷と光が、幾度も、せめぎあった。
ラヴィは、歯を食いしばった。加減の仕方がわからない。止めようにも、止め方がわからない。自分のなかから溢れてくるものが、これほどまでに大きいことを知らなかった。
「——ぐっ」
短い呻きが、聞こえた。押し寄せる光の奔流に、もう一人のわたしの体が、じわりと押し返されていく。宙に足場などないのに、まるで見えない壁に押しつけられるように、体ごと後方へ流されていく。掲げた両手から放たれる稲妻は、まだ幾筋も枝分かれしていた。それでも、全力で抗っているはずのその出力が少しずつ弱まっていくのがわかった。
なんで。止まってと、心のなかで叫んだ。それでも、光は、意志とは無関係に、溢れ続けた。
菫色の瞳に、初めて明確な焦りが浮かぶ。両手に力がこもる。掌から迸る雷が、一瞬、強さを取り戻したように見えた。それでも、すぐにまた揺らぎが差す。むしろ押されるほどに、その揺らぎは濃くなっていくようだった。
胸の奥で、パッチの声がした。「——ラヴィ、危ない」
短い警告だった。それでも、もう、止められなかった。
*
決壊は、唐突だった。
拮抗の均衡が、崩れる。降りそそぐ星の奔流が、堰を切ったように、稲妻のすべてを呑みこんだ。眩い光が、視界のすべてを白く塗りつぶす。
「——っ」
短い声とともに、もう一人のわたしの体が、後方へ、大きく弾き飛ばされる。宙に止まったまま浮いていた瓦礫の欠片を弾き飛ばしながら、まっすぐに、地上へ向かって落ちていった。
しまった、と思う間もなかった。
*
地上では、カトレアが、その光景を見上げていた。
まっすぐに落ちてくる、その姿。剣を交えたことも、口を利いたこともない相手だった。それでも——討ち滅ぼすべき敵でないことくらいは、わかっていた。ラヴィが、ずっと望んでいたのは、これではないはずだ。あの高さから、あの速さで落ちれば、ただでは済まない。頭で考えるより先に、体が動いていた。
「——来る!」
叫ぶが早いか、レイピアを掲げる。手のなかで、心器が輝きを増した。降りそそぐ瓦礫と余波を、頭上に広げた光の盾で、幾つも弾き返す。砕けた石の破片が、盾の表面を滑り落ち、周囲へ飛び散っていった。腕に、ずしりとした重みが伝わる。守るべき相手が誰であるかなど、いまは考える余裕もなかった。
その盾の下を、ピアが、駆け抜けた。
「——儂に、任せい!」
両腕を大きく広げる。落下してくる体を、正面からしっかりと受け止めた。千年生きた体でも、その衝撃は骨まで響くほどだった。踏みしめた両足が、地面にじりじりと沈みこんでいく。それでも、腕のなかの重みを決して離さなかった。地面が、大きく陥没する。土煙が、あたり一帯を包んだ。しばらく、砂埃の向こうで何も見えなかった。
*
土煙が、ゆっくりと晴れていく。
ピアの腕のなかに、ぐったりとした体があった。
満身創痍だった。まとっていた光の環も、剣も、天秤の意匠も、跡形もなく消えている。同じ顔、同じ髪の傷だらけの体が、ただそこに横たわっていた。焼け爛れた腕。裂けた頬。あちこちに刻まれた、赤黒い傷痕。抵抗する力は、もう微塵も残っていないようだった。
「……ひどいものじゃな」
ピアが、低く呟いた。腕のなかの重みを、そっと確かめるように抱え直す。
カトレアも、剣を下ろしたまま、しばらくその姿から目を離せずにいた。かつて剣を交えたどの相手とも違う痛ましさがあった。
それでも——息は、あった。
*
ラヴィは、翼を大きくはためかせ、まっすぐに舞い降りた。
下降するあいだ、頭のなかは、真っ白だった。もし、目を覚まさなかったら。もし、あの傷が、取り返しのつかないものだったら。考えるだけで、心臓が、ぎゅっと締めつけられる。地に足がつくよりも早く、駆け出した。
「——っ、生きてる……」
声が、震えた。涙が、あとからあとから溢れてくる。ピアの腕のなかへ、身を投げ出すようにして、その体を、きつく抱きしめた。
「よかった……ほんとうに、よかった……」
腕のなかで、体温がたしかに感じられた。息づかいが荒く、けれど続いている。それだけのことが、こんなにも嬉しくて、こんなにも怖かった。自分がこの手でこんなにも傷つけてしまったのだと思うと、涙があとからあとから溢れてきて、止まらなかった。
しばらく、そうして、泣きじゃくった。肩が、震え続けた。何度も、名前を呼びたかった。けれど、なんと呼べばいいのか、わからなかった。もう一人のわたし、では、あまりにも、よそよそしい。かといって、ほかに、呼べる名前を、知らなかった。
それから、ようやく、掠れた声を絞り出す。
「……ごめんね」
しゃくりあげながら、続けた。
「やり過ぎた。——加減が、わからなくて。あなたを、こんなに、傷つけて」
戦うつもりだった。でも、こんなふうに、傷だらけにするつもりなんて、なかった。抱きしめた腕に、力がこもる。謝ったところで、この傷が消えるわけではない。それでも、言わずにはいられなかった。
*
菫色の瞳が、うっすらとひらいた。焦点の合わない目で、こちらを見上げている。
「……なぜ」
掠れた声だった。責めるでも、拒むでもない。ただ、純粋な戸惑いだけが、そこにあった。
ラヴィは、震える手を、その傷だらけの体にかざした。
「大丈夫。すぐ、治すから」
ヒールの光が、掌に灯る。あたたかい光が、幾重にも降りそそいだ。深い裂傷のひとつが、すこしずつ、閉じていく。届いている——そう思えた、束の間だった。
けれど、途中で光の勢いがふっと弱まる。頬の傷は、半分ほど塞がったところで、止まってしまった。
もう一度、光を集める。今度は、折れているとしか思えない、不自然な指の角度へ。骨が軋むような、鈍い音がした。わずかに、角度が戻る。それだけだった。焼け爛れた腕には、光を送っても、うっすらと痕が残ったまま、消えなかった。
何度も、何度も、繰り返した。光を、送っては、様子を見る。届いた分だけ、傷が浅くなる。それでも、根本から治りきることは、なかった。まるで、水を汲んでも汲んでもこぼれ続ける器のようだった。
「……そんな」
かすれた声が、こぼれる。両手が、震えていた。それでも、光を送る手を、止めなかった。傷は、わずかにしか塞がらない。
自分の力の大きさに、ようやく、実感が追いついた。これほどまでに、傷つけてしまったのだ。取り返しのつかないことを、してしまったのかもしれない。
*
カトレアが、静かに、傍らに膝をついた。何も言わず、ただ、そこにいた。
ピアも、口を挟まなかった。深紅の瞳が、じっとラヴィの背中を見つめている。咎めるでも、慰めるでもなく、ただ見届けるように。焚火の夜、あれほど賑やかだった二人が、いまはただ静かに寄り添っていた。
ラヴィは、涙をぬぐいながら、それでも、光を送り続けた。
*
「……なぜ」
かすかな声が、また、こぼれた。今度は、少し、違う響きだった。
「……なぜ、そんなにも、私と、話をしたがる」
初めて、こちらへ向けられた、自発的な問いだった。責める調子ではなかった。ただ、理解できないものを、理解しようとするような、そんな響きだった。
ラヴィは、手を止めず、まっすぐに、その目を見返した。
すぐには、答えられなかった。何度も、頭のなかで、言葉を組み立てては、崩す。ごまかしたくなかった。ちゃんと、伝えたかった。
「——あなたが、つらそうに、見えたから」
言葉を、ゆっくりと選びながら、続ける。
「……寂しそうに、見えたから」
菫色の瞳が、大きく、見ひらかれた。
しばらく、沈黙があった。風だけが、二人のあいだを、静かに通り過ぎていく。崩れかけた石柱の向こう、ひび割れた空だけが、変わらず、そこにあった。
「……そうか」
ぽつりと、こぼれた。誰に言うでもない、独り言のような響きだった。
「私は——寂しかったのか」
初めて、自分の孤独に、名前をつけたような一言だった。
言葉は、そこで、途切れた。それでも、その沈黙は、これまでの、どの拒絶とも、違う質のものだった。




