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ばぐらび! from Bug&Lavi Project  作者: るーと


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06_窮地

街の奥へ奥へと、ふたりは歩いていった。


砂は歩くほどに引いていった。かわりに増えてきたのは石だ。古びた石畳、苔むした石壁、細く入り組んだ路地。背の高い建物が左右からせり出し、空はいつのまにか、細い帯のようにしか見えなくなっていた。


やがて、その帯さえも、消えた。


左右の建物が、頭の上で手をつなぐように迫り出し、道は、屋根に覆われた長い回廊になった。両脇を石の壁に、頭上を石の天井に囲まれた、薄暗いトンネルのような通路。明かりは、壁のところどころに穿たれた小窓から、細く差しこんでくるだけになった。


その回廊が、どうにも、おかしかった。


しばらくまっすぐ歩いたはずなのに、ふと気づくと、さっき通りすぎた角に戻っている。同じ苔の模様。同じ傾いた標識。見間違いかと思って、別の道を選んで進む。なのに、また同じ場所に出る。何度くりかえしても、同じだった。まるで、この回廊だけが、ぐるりと輪になって、自分の尻尾を噛んでいるみたいに。


困りはてて、ためしに、これまで曲がらなかった細い脇道へ入ってみる。


数歩進んだ、そのときだった。


足の裏が踏んでいたはずの床の感触が、すっと消えた。——と思った次の瞬間、その床は、頭の上にあった。


天と地が、音もなく入れ替わったのだ。さっきまで歩いていた石畳が、いまは頭上に、さかさまにぶらさがっている。かわりに、それまで天井だった石の面を、ラヴィは、当たり前のように踏んで立っていた。落ちる感覚も、めまいもない。ただ、世界の上と下だけが、そっくり引っくり返っていた。


ラヴィはしばらく、その逆さまの景色を見上げ——いや、見下ろしていた。


これは、これまでの「壊れ方」とはちがう。


崩れた道は、表面の色がはがれ落ち、輪郭がにじみ、ぼろぼろとほどけていた。壊れて、歪んでいた。でも、ここはちがう。どこも壊れていない。石はきちんと積まれ、模様はくっきりとして、隅々まで整っている。整っているのに、道の在り方そのものがねじれている。


まるで誰かが、一枚の紙でも折るように、この場所をわざと畳んでしまったみたいに。


その考えが浮かんだとき、ラヴィの胸を小さなさざ波がよぎった。崩れて歪んだものに、誰の意思もなかった。ただほどけていくだけだった。けれど、この捻れた回廊には——「こうあってほしい」という、はっきりとした意図が宿っている。


うまくは言えない。確かなことは何ひとつわからない。それでも——この歪みは、誰かが望んで、この形に作りあげたものだ。世界をこんなふうにこしらえた手が、どこかにある。その気配を、ラヴィは初めて、肌で感じ取っていた。


立ち尽くしていると、かたわらのピキピキが、ついと前へ進みでた。


迷う様子はまるでない。


ラヴィが堂々巡りした道を、ピキピキはすいすいと抜けていく。さかさまの天井も、輪になった角も、まるで気にとめない。どこをどう行けば外に出られるのか、ぜんぶわかっているみたいだった。


「……ピキピキ、わかるの?」


ピキピキはふり返って、こっちこっち、とでもいうように、宙でくるりと回った。


その背を追っていくと、あれほど抜けられなかった捻れた回廊を、ふたりはあっけないほどすんなりと抜けてしまった。


ピキピキは、こういう場所がわかるんだ。


ラヴィは素朴にそう思った。なぜわかるのかは、わからない。けれど、ピキピキにはラヴィに見えない道筋が見えているらしい。不思議だな、と思いながら、ラヴィはその小さな背を追いかけた。


回廊を抜けた先で、ラヴィは思わず立ち止まった。


大きな空間が、ひらけていた。


円い、すり鉢のかたちをした広間だった。入口のあるふちから、床はゆるやかに傾きながら、中心へ向かって落ちこんでいる。いちばん低い底は、ラヴィの背丈の何倍も下。すり鉢のふちには、太い石の柱がぐるりと立ち並び、その上に、半分崩れた丸い天井が、辛うじて架かっていた。柱はどれも罅割れて傾き、今にも倒れそうに、それでも重たい天井を支えつづけている。崩れ落ちた天井の裂け目からは、細い光が幾筋も、底へ向かって斜めに差しこんでいた。


すり鉢の、その底に——あの漂う光が、いつもよりずっとたくさん、寄り集まっていた。


呼吸するように明るさを変えながら、底のくぼみに、いくつも、いくつも溜まっている。まるで、低いところへ流れ落ちた水のように。ここが、無数の記憶の吹き溜まりであるかのように。


ラヴィは、ふちに立ったまま、その底を見おろした。


胸に、ひとつの思いつきが灯る。


これだけたくさんの「誰かの声」があるのなら。——この中に、もしかしたら「自分」のことも、あるかもしれない。


自分がどこから来たのか。なぜここにいるのか。空っぽの胸の奥で、ずっとくすぶっていた問い。その答えが、この光のどれかに眠っているかもしれない。


そう思うと、いてもたってもいられなかった。


ラヴィは傾いた床をくだり、底に溜まった光へ、手近なものから順に触れていった。光に触れる。声が流れ込む。——けれど。


《このボス、ソロはきつすぎ》《課金しないと無理ゲーだって》


ちがう。


別の光に触れる。


《推しの新衣装きた! 絶対まわす》


ちがう。これも、ちがう。


ラヴィが光をたぐるかたわらで、ピキピキも、底の光のあいだを巡っていた。めずらしそうに、ひとつ、またひとつと、光をつついて回っている。——と思うと、ときおり、ひとつの光に、ふいに魅入られたように動きを止めた。じっと見つめ、そっと身を寄せて、すうっと、その光を体の中へ吸いこんでしまう。そのたび、ピキピキのつぶらな目に、見覚えのない色が、一瞬だけよぎった。


そういえば、前にもいちど、こんなことがあった。市場の片隅で、ピキピキが光をひとつ、吸いこんだとき。あのときも、こんな見知らぬ色が、その目をよぎった気がする。なんなのかは、やっぱり分からない。けれど、ピキピキがすぐにいつもの調子に戻るので、ラヴィは、その小さな引っかかりを、そっと胸の隅に置いた。


ラヴィは、また光に向きなおる。次の光。また次の光。どれだけ触れても、流れ込んでくるのは知らない誰かの物語ばかりだった。集って、笑って、誰かを悼んで、別れて。どれもたしかな温度を持っていた。どれもあたたかかった。


でも、そのどれにも——ラヴィはいなかった。


ひとつ、またひとつと触れるうちに、底の光は、とうとう残りひとつになった。


いちばん端で、ためらうように瞬く、最後のひとつ。ラヴィはすがる気持ちで、それに手を伸ばした。


その瞬間——ようやく、ずっと探していた言葉が流れ込んできた。この広間でただひとつ、「自分」に触れる声が。


《新章のうさぎの子、早く会いたいなあ》《会えるの待ってる》


それは、いつか聞いたものと同じような声だった。まだどこにもいない、これから来るはずの自分を心待ちにしてくれていた、あの声と。


ラヴィは、そっと手をおろした。


——もしかして。


ふいに、ひとつの問いが、胸の底に浮かびあがってきた。


この広い世界を、こんなにたくさん探したのに。見つかったのは、いつかの、待つ声だけ。歩いてきた道のりにも、無数の声の中にも、自分がここにいた、という証は、ひとつも見あたらない。……もしかしたら、自分には、振り返るような「過去」が、はじめからないのではないか。


ほかのみんなには、過去があるように見える。物語があるように思える。なのに、自分にだけ、それらしいものが、何ひとつ見つからない。気のせいだろうか。それとも——。


確かなことは、わからない。けれど、いちど芽生えたその問いは、もう、消えてはくれなかった。


胸の奥が、すこし冷たくなる。


自分はこの世界の、どこにも根を下ろしていないのかもしれない。そんな心細さが、足もとから静かに這いのぼってくる。


ラヴィは、小さく頭を振った。今ここで考えても、わからないことだ。この底の光は、もうぜんぶ触れてしまった。——行こう。先へ進めば、また何か、分かるかもしれない。


立ちあがり、傾いた床を、入口のあるふちへとのぼっていく。ふちまで戻ったところで、ラヴィは、ふと足を止めた。


そして、底をふり返る。


すり鉢の底、光のただなかで、ピキピキは、まだ遊んでいた。さっきの問いも、胸の冷たさも、まるで知らずに、ただ無邪気に、光と戯れている。


その姿を見ていると、冷たくなりかけた胸の真ん中に、ぽっと、あたたかいものが灯った。


過去がなくても。証がなくても。——いま、あの子だけは、確かにここにいる。


それでよかった。今はまだ、それだけで十分だった。


「ピキピキ、行くよ」


そう呼びかけようと、口をひらいた——その、すぐあとだった。


ぐらり、と。


足もとが揺れた。


地の底から、低い唸りがせり上がる。すり鉢の広間ぜんたいが、ぐらぐらと震えはじめた。ふちを囲む石の柱が、ひとつ、またひとつと鈍い音を立てて、ひび割れていく。半ば崩れていた丸天井に新たな亀裂が走り、抱えきれなくなった石くれが、底へ向かって、ばらばらと降りそそぎはじめた。


崩落だった。


それだけではなかった。


震える床のあちこちから、黒い虫が湧きだしてくる。ちらちらと明滅しながら、地を、壁をかじりはじめる。みるみるその数を増し、すり鉢のふちから底へと、群れがあふれ落ちていく。


「——ピキピキ!」


ふちに立つラヴィは、はっと底を見た。


その、すぐそばだった。崩れ落ちた天井のかけらが、ピキピキのすぐ脇に、鈍い音を立てて落ちる。撥ねた石の破片が、小さな体をまともに打った。


ピキピキの輪郭が、ぐにゃりと歪む。明滅が、激しく乱れた。痛みに浮かぶ力を失ったのか、小さな体はぐらりと傾いて、底の床へ、力なく落ちた。


飛んで、逃げられない。


すり鉢の底。降りそそぐ石くれと、あふれ落ちてくる黒い群れの、ちょうど真ん中で。ピキピキは、傷ついた体を縮めたまま、動けずにいた。


そして、その小さな体めがけて——落石が、虫の群れが、まっすぐに殺到していく。


ラヴィの頭から、脱兎の二文字が消し飛んだ。


逃げる、なんて。考えもしなかった。


今からでも、脱兎をつかえば——自分ひとりなら、すぐ後ろの入口から、たやすく逃げ出せる。——でも、それは。傷ついて飛べないこの子を、置き去りにすること。


そんなこと、できるわけがなかった。


ラヴィは、すり鉢の底めがけて、傾いた床を駆けくだった。


降りそそぐ石くれの下へ。あふれ落ちる虫の群れの、まっただなかへ。傷ついた小さな体をかばおうと、ラヴィはまっすぐに、身を投げ出した——


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本作はBug&Lavi Projectという創作群の一環として制作しています。 詳しくはこちら→Bug&Lavi Project公式サイト 関連する楽曲なども公開しております。
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