C1_王女
椅子に、長く座っていられたためしがない。
礼儀作法の授業ともなれば、なおのことだった。玉座の間に続く長い広間、窓から差しこむ光が、ステンドグラスを通って色とりどりに床へ落ちている。壁の彫像も、燭台のガラス細工も、陽を受けるたびきらきらと輝く。硝子の国と呼ばれるだけあって、王宮のどこを見渡しても、光を弾かないものはなかった。その色の縞を指先でなぞることに、カトレアは、行儀作法そっちのけで夢中になっていた。
「姫様。淑女たる者、指先までお美しく」
老齢の講師が、扇を優雅にひらいてみせる。しなやかに反った手首、すっと伸びた背筋。決められた角度、決められた間。カトレアは、思わず、その所作をそっくりそのまま真似てみせた。誇張気味に、けれど寸分違わず。扇のかわりに、手にしていた木の匙を使って。
侍女のひとりが、噴き出すのを堪えるように、口元を押さえた。
「姫様!」
講師の声が、跳ねあがる。カトレアは、悪びれもせず、にっと笑ってみせた。
「上手くできてただろ?」
「淑女は、そのような口を利きません」
「うっ……わたくし、上手にできましたでしょうか」
慌てて言い直す。取り澄ました声色まで真似てみせたので、また侍女が肩を震わせた。だが、講師のため息は、もう止まらなかった。まっすぐ座っていた時間より、真似て笑わせていた時間の方が、よほど長かったのだから。
*
その日の午後、玉座の間で、国王が笑い声をあげていた。恰幅のいい体を反らし、豪快に。
「はっはっは! 良いではないか、器用なものよ」
講師からの報告を、まるで手柄話のように笑い飛ばす父の隣で、母である王妃は、眉尻を下げていた。
「あなた、笑い事ではありませんよ。カトレア、少しはじっとなさって」
「はーい」
気のない返事のまま、カトレアは、袖口に隠していた硬貨を取り出し、指の間でくるりと躍らせてみせた。旅の手品師から盗み見て覚えた芸だった。国王が、目を丸くして手を叩く。
「おお、また新しい芸を仕込んだか」
「昨日、市で見た人の真似っこ。まだ、下手だけど」
得意げに、もう一度、同じ手つきを繰り返す。今度は硬貨を取り落としてしまい、慌てて拾い上げた。国王の笑い声が、ひときわ大きくなる。王妃は、それ以上は追及せず、傍らに控える少女へ、そっと目をやる。
「シエラ、これからも、この子のそばにいてあげてね」
「はっ」
短く答えたのは、カトレアより二つ、三つ年上の少女だった。まだ幼さの残る顔立ちに、既に騎士らしい折り目正しさが滲んでいる。年が近く、女の子だから——それだけの理由で、両親が選んだ護衛だった。堅苦しい古参の騎士でなく、いつか友のように育つことを願っての人選でもあった。他人行儀な硬さで、シエラは深々と頭を下げる。挨拶の言葉も、型どおりで硬い。
カトレアは、そんなシエラを、興味津々に眺めていた。同じ年頃の子どもというより、小さな大人のようだった。にこりともしない横顔に、どうにか一泡吹かせてやりたいという、悪戯心が疼く。
*
数日後、中庭の稽古場から、甲高い金属の音が響いてきた。
覗きに行くと、シエラが、先輩の騎士と打ち合っている最中だった。踏みこみ、剣が閃く。躱し、返す。息を切らしながらも、その足取りに、迷いはひとつもない。陽の光を弾いて、刃が銀色に光る。汗が飛び、砂埃が舞う。その一連の動きから、カトレアは、目を離せなくなった。
打ちこまれた一撃を、シエラが半歩引いて躱す。体勢を崩さぬまま、すかさず切り返す。先輩の騎士が、感心したように声をあげた。
「筋がいいな、シエラ」
「まだまだです」
短く返す声にも、隠しきれない張りがあった。年若いながら、既に、並みの騎士とは一線を画す腕前らしい。カトレアは、その一部始終を、瞬きも忘れて見つめていた。
——きれいだ。
幼い頃から、動きのあるものを真似るのが好きだった。手品師の指先、踊り子の身のこなし。だが、これほど心を奪われたことはなかった。胸の奥が、これまで知らなかった熱で疼いた。
打ち合いが終わると、カトレアは、こっそり庭木の枝を一本、へし折った。誰もいない物陰で、見たばかりの型を、そのまま真似てみる。踏みこみ、振り下ろし、躱す真似。危なっかしいが、妙に様になっていた。何度も繰り返すうち、息が上がっていくのさえ、心地よかった。
「——姫様?」
背後から、声がかかる。振り返ると、シエラが、驚いた顔で立っていた。木の枝を握ったまま、型を真似ていたところを、すっかり見られてしまったらしい。だが、恥じらう様子もなく、カトレアは、得意げに枝を掲げてみせた。
*
「シエラ、ボクも剣を習いたい」
即座に、そう告げる。シエラの顔が、みるみる強張った。
「なりません」
「なんでさ」
「姫様には、過ぎたお戯れです。剣は、遊びではございません」
きっぱりとした物言いだった。カトレアは、頬を膨らませる。
「遊びのつもりじゃない。ボクは、本気で——」
「なりません。それだけです」
取りつく島もなかった。剣を持てば、いずれ怪我をする。傷を負えば、王女としての名にも障る——シエラの目には、そう書いてあった。まだ幼いなりに、カトレアにも、それくらいは読み取れた。
「じゃあ、シエラは、剣を振るうのが怖いのか?」
「怖い怖くないの話では、ございません」
「ふうん。ボクは、怖くないけどな」
売り言葉に買い言葉のつもりが、シエラの眉が、わずかにひそめられた。
両親に頼んでも、変わらなかった。国王は「はっはっは、良いではないか」と面白がるだけで本気にせず、王妃は「危のうございます」と難色を示すばかりだった。誰も、真剣に取り合ってはくれなかった。何日訴えても、暖簾に腕押しのままだった。
*
それでも、諦める気はなかった。
カトレアは、王宮の片隅で若い衛兵たちに槍の稽古をつけているという老騎士——ガロの元へ、直談判に赴いた。日に焼けた顔、節くれだった太い腕。長年、槍ひとすじで生きてきた男だと、ひと目で知れた。かつては前線で名を馳せたが、いまは若手の指南役に回っているのだと、侍女から聞いていた。
「ボクに、剣を教えてほしい」
ガロは、槍を担いだまま、しばし黙ってカトレアを見下ろしていた。子どもの戯言と切り捨てるでもなく、値踏みするように。それから、ふむ、と唸る。
「姫様は、剣など振るったことは?」
「ない。けど——」
言うが早いか、カトレアは、持参した木の枝を構えてみせた。この間、盗み見た型そのままに、踏みこみ、振り下ろす。危なっかしいが、筋は、確かに悪くなかった。
ガロの目つきが、変わった。
「……面白い」
しばし思案してから、ガロは、意外なことを口にした。
「槍は、姫様の細い体には合いますまい。——細身の剣を、見繕いましょう」
本来、槍しか扱ったことのない男の言葉だった。長年連れ添った得物を措いて、目の前の小さな弟子に合わせ、扱ったこともない得物を検討する。その懐の深さに、カトレアは、目を輝かせた。
「教えてくれるのか!」
「まだ、何も約束はしておりませぬ。まずは、国王陛下のお許しがあってのこと」
そう釘を刺しつつも、ガロの口元は、わずかにほころんでいた。
*
ガロが直々に稽古をつけると聞き、国王夫妻は、ようやく折れた。ガロの実直さと、長年の忠勤とを、二人ともよく知っていた。
「ガロ殿がそう仰るなら」
王妃の言葉に、カトレアは、飛び跳ねて喜んだ。国王も、満足げに頷いている。「はっはっは、良い師についたものよ」——そう言って笑う父の隣で、王妃だけが、なおも心配げな顔をしていた。
稽古の許しが出た日、カトレアは、真っ先にシエラの元へ駆けていった。廊下を走る足音が、遠くから聞こえていたのだろう。シエラは、駆けてくる姿を見た瞬間から、もう表情を硬くしていた。
「聞いたか、シエラ! ボク、剣を習うぞ!」
シエラは、何とも言えない顔で、それを見つめていた。何か言いたげに、口が、一度だけ、わずかにひらいた。だが、結局、言葉にはならなかった。
「……ご勝手に」
素っ気ない返事だったが、その声には、隠しきれない何かが滲んでいた。カトレアは、気づかず、ただ嬉しそうに笑うばかりだった。手にした木の枝を、また一振りしてみせる。
「今度、ボクが強くなったら、シエラ、相手をしてくれよ」
「……そのときが来たら、考えます」
そっけない返事だったが、拒みはしなかった。硝子の国に、まだ穏やかな陽が差していた頃の話だった。
こうして、硝子の国の王女は、剣に恋をした。




