↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ばぐらび! from Bug&Lavi Project  作者: るーと


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
72/91

P5_千年の想い

さらに数世紀が過ぎた。


グレンの物語と、あの約束は、もはや一族だけの秘密ではなくなっていた。祭りの夜、篝火を囲んで、老人が子どもらに語って聞かせる声が、風に乗って館まで届くこともある。パチパチと爆ぜる火の粉、歓声、太鼓の音に混じって、聞き覚えのある一節が切れ切れに耳へ届く。「森の貴婦人と、討伐者の誓い」——いつのまにか、話にはずいぶんと尾ひれがつき、討伐者は大剣を振るう豪傑に、貴婦人は嵐を呼ぶ魔女に、まことしやかに脚色されていた。子どもらが目を輝かせて聞き入る気配まで、館の窓辺にはかすかに伝わってくる。


館の窓辺には、繕い直した跡だらけの膝掛けが、いつも掛けてある。ピアは、それを膝に広げたまま、遠くの篝火を眺めていた。二百年前も、三百年前も、こうして同じ窓から、似たような火を見ていた気がする。数えることに、いつからか意味を感じなくなっていた。それでも、火影の向こうで語られる声だけは、代替わりのたび、少しずつ違う響きを持って届く。


「私の武勇伝にされているな」


ある晩、風に乗って届く語りを聞きながら、ピアはひとりごちた。それから、ふと思いつきで言い直してみる。


「……儂の、武勇伝にされておるな」


自分の口から出た響きに、少し驚いた。年寄りじみた、古めかしい一人称。だが、悪くない、と思った。


*


その年、鍛冶屋の若者が、館の門を叩いた。


名を、トビアスといった。日に焼けた肌、鍛冶場仕込みの太い腕。祖母から聞いた、討伐者と渡り合った女傑の話を、この目で確かめに来た、と豪語する。


門の前で仁王立ちして名乗りを上げたはいいものの、軋む扉が開いた途端、その声はいくらか上ずっていた。暗がりから現れたピアの白い肌を目にした瞬間、喉がひくりと動く。それでも、踵を返しはしなかった。逃げ出さず踏みとどまるその足に、ピアは、まず好感を持った。無鉄砲で、恐れを知らない気性——グレンとは、まるで違う人種のはずなのに、どこか懐かしい生命力を、ピアはその姿に感じ取った。


「見てくれよ、俺が打った剣だ」


腰の鞘から引き抜いた剣を、トビアスは得意げに掲げてみせる。日の光を受けて刃がぎらりと鈍く光った。ピアは、それを一目見て酷評した。


「刃筋が甘い。これでは、木も斬れん」


きっぱりとした物言いに、トビアスの顔が、みるみる赤くなった。


トビアスは、ムキになって言い返してきたが、ピアが、庭の木から垂れた枝を、その剣で無造作にひと薙ぎしてみせると、途端に黙りこんだ。切り口は、綺麗とは言いがたい、ささくれた断面だった。悔しさと感服のあいだで複雑な顔をしている。


「……鍛冶を、見てくれるか」


しばらくして、ぼそりと頭を下げてきた。ピアは、しばし迷う素振りを見せたが、結局根負けしたように頷く。


「儂は、鍛冶師ではないがな。目利きくらいは、できる」


また、その響き。自分の口調が、いつのまにかそちらへ寄っていることに、ピアは内心可笑しくなった。トビアスは、気にする様子もなく、ただ素直に喜んでいる。


*


年月をかけて、トビアスの腕は上がっていった。


打つ刃は、次第に鋭さと粘りを増していく。何度も打ち直し、水に浸け、また鍛える——鍛冶場の火の音と金槌の音が、季節を追うごとに、より確かな響きに変わっていった。焼きの甘い刃を持ってきては、ピアに鼻先で笑われ、悔しさに歯を食いしばりながら、また鍛冶場へ駆け戻っていく。そんな夜が、幾度も繰り返された。ある朝、持ちこまれた一振りを見て、ピアは、はじめて何も言わなかった。トビアスの顔に、みるみる笑みが広がっていく。


やがて、郷の自警団の頭となり、ピアの見えないところでも郷を守る側に回っていった。辻々に配した見張りの目印。夜回りの段取り。ピアが与えた助言のひとつひとつを、トビアスはしっかりと自分のものにしていった。


グレンの生きた意志が、形を変えて、また別の誰かに受け継がれていく。それを、ピアは、静かに見届けていた。


夜回りを終えた明け方、トビアスが、館に立ち寄ることも増えていった。竈で温めた葡萄酒を、ぶっきらぼうに差し出してくる。長椅子に並んで腰かけ、他愛のない話をするうち、東の空が白みはじめることも、一度や二度ではなかった。


「今度、嫁を貰う」


ある朝、照れくさそうにそう打ち明けてきた。相手は、隣村の鍛冶屋の娘だという。ぶっきらぼうな口ぶりの端々に、隠しきれない喜びが滲んでいた。ピアは、素っ気なく「そうか」とだけ返したが、内心では、あの迷子だった少女を見つけたときと同じ、あたたかな疼きを覚えていた。


ある夜、トビアスが、狼の群れに襲われかけた旅人を、単身、助けに飛びこんだという話が、館まで届いた。


翌朝、当人が、腕に晒しを巻いた姿で、館の戸を叩いた。得意げな顔と、ばつの悪そうな顔が、半分ずつだった。


「聞いたか」


「郷じゅうが、もう知っておる。無茶をする」


呆れた声で咎めながらも、ピアは、その晩少しだけ、誇らしい気持ちを覚えた自分に気づいていた。あの、討伐者の男が、ひとりで館に踏みこんできた夜と、どこか重なる話だった。


「儂の弟子と名乗っていいのは、剣の腕を、あと十年は磨いてからだ」


軽口を叩くたび、トビアスは、悔しそうに笑いながらも律儀に稽古を重ねた。館の広間には、いつしか、打ちたての刃物の匂いと二人分の笑い声が、当たり前のように満ちていた。


*


トビアスもまた、老いて世を去った。


孫やひ孫たちに囲まれた、穏やかな最期だったと聞く。晩年は、鍛冶場を若い者に譲り、縁側で日向ぼっこをしながら、自警団の跡目にあれこれと口を出すのが日課になっていたという。そんな、いかにも彼らしい話を、ピアは風の噂に聞いていた。


ピアは、森の外れから、その葬列を見送る。乾いた風が、梢を揺らして渡っていった。棺を担ぐ男たちの中に、若かりし頃のトビアスによく似た、頑丈そうな体つきの若者がいた。血筋は、こうして姿かたちにも受け継がれていくのだろう。——何度目だったか、もう正確には数えていなかった。


リタを見送ったときのような、切り裂かれるような痛みはなかった。深く、けれど凪いだ悲しみとして、ピアはそれを静かに受け止める。悲しみに慣れた、というのとは少し違う。悲しみを抱えながら、それでも生きていく作法を、長い年月のうちに身につけていたのだった。


トビアスの跡を継いだ孫は、祖父から聞いた稽古の逸話を、まるで自分が見てきたことのように、若い見張りたちに語って聞かせているという。館を訪ねてくる者は、以前より減った。それでも、年に一度、収穫祭の晩には、自警団の若者たちが揃って館の門先まで顔を出す。何のためかと問われれば、誰もうまく答えられないだろう。ただ、そうするものだと、代々申し送られているだけだった。ピアは、その律儀さを少しだけ、微笑ましく思っていた。


*


そんな折、館に、見覚えのある女が、再び現れた。


軋む扉を押し開け、埃をかぶった広間へ、迷いのない足取りで踏みこんでくる。装いも面差しも、以前とまるで変わらぬまま。長い黒髪が、灯りの下で艶やかに揺れた。値踏みするような視線を、あたりへ悠然と巡らせる。棚に並んだ品々の上を、その視線が一瞬だけ滑っていったのを、ピアは見逃さなかった。


「……まだ、続けているのか」


呆れとも感心ともつかない声だった。数世紀ぶりの訪問だというのに、ヴィオラの声には、まるで先週会ったばかりのような、あっけらかんとした響きがある。ピアは、椅子に腰かけたまま、悠然と応じる。


「儂の勝手じゃ、と、前にも言うたはずだが」


その一人称は、もう迷いなく口をついて出た。長い年月のうちに、それは、冗談でも借り物でもない、確かな自分の声になっていた。


「お前こそ、暇な奴じゃな。何百年も、こんな辺境まで、様子を見に来おって」


ヴィオラが、意外そうに片眉を上げる。前回のような、傷ついた反抗ではなかった。揺るがぬ土台の上に立った、余裕のある切り返し。


「聞けば、また鍛冶屋の小僧を、目にかけていたそうだな。同族のあいだじゃ、いまだお前の噂は絶えん。人を喰らわず、それどころか、人間と親しく交わっている変わり者だと」


「それが、どうした」


「いずれ死ぬ。前と同じ話を、また繰り返すつもり?」


「同じ話でいい。儂は、それを選んでおる」


短いやり取りだったが、そこに迷いは欠片もなかった。ヴィオラは、しばし黙ってピアを値踏みするように見つめていた。赤い瞳が、以前より落ち着いた光を宿すピアの顔を、じっくりと確かめるように動く。それから、ふっと小さく笑う。


「……面白くもない女になったな。前は、もう少し、突けば崩れる隙があった」


皮肉のようで、どこか、認めているようにも聞こえる響きだった。ピアは、可笑しくなった。崩れる隙がなくなったのではない。守るべきものが、増えただけのことだ。わざわざ説く義理もなかったので、黙って肩をすくめるに留めた。


「郷には、今回も、手を出さないでおいてあげる。……せいぜい、長生きしなさい」


捨て台詞のようで、捨て台詞ではない一言だった。ヴィオラは、それだけ言うと、もう用は済んだとばかりに来たときと同じ足取りで踵を返す。扉の軋む音が、広間にひとつ響いた。それきり、館にはいつもの静けさが戻った。


*


ひとり残されたピアは、館の中を、ゆっくりと歩いた。


棚に並ぶ、長い年月のうちに、ひとつ、またひとつと増えていった大切な宝物——グレンが土産にと持ってきた、砂糖漬けの空き瓶。リタが幼い日に、覚えたての手つきで焼いてくれた菓子の、あの欠けた器。トビアスが打った、小さな守り刀。どれも、埃ひとつなく、丁寧に並べられている。ひとつひとつに、指先でそっと触れていく。それぞれの品に、誰かの顔と誰かの声が、いまも確かに宿っていた。


孤高ではある。だが、決して空虚ではない。満ちた日々だった。あの湖畔で交わした約束が、こうして幾つもの生を経て、いまも自分の中で息づいていることが、ふと、不思議に思えた。


窓辺に立ち、郷の灯りをひとつひとつ数えるように、ピアはしばらく眺めていた。石造りの家々に灯る、橙色の淡い光。どの灯りの下にも、誰かの暮らしがある。かつて、自分がそこへそっと関わってきた暮らしが。この先、あと幾つの灯りを見送ることになるのか、見当もつかなかった。それでも、この場所に留まり続けることだけは、迷いのない確信だった。


「……グレン」


久しく呼ばなかった名を、そっと呟いて、ピアは、小さく笑った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
本作はBug&Lavi Projectという創作群の一環として制作しています。 詳しくはこちら→Bug&Lavi Project公式サイト 関連する楽曲なども公開しております。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。