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ばぐらび! from Bug&Lavi Project  作者: るーと


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N2_二人

稽古が終わったあと、シオンが、いつものように手を伸ばしてきた。


——けれど、届かない。


「……あれ」


シオンは、腕を伸ばしたまま、宙で固まった。私の頭までの距離は、この数年でずいぶんと開いてしまっている。あの、十にも満たなかった幼い日から、私の背は毎年のように伸び続け、いまでは里の男衆と並んでも見劣りしないほどになっていた。稽古着の袖も裾も、すぐに合わなくなり、里の仕立て屋を何度も困らせた。体つきも変わった。急に育ちすぎた自分の輪郭を、持て余していた。人目に晒すのが落ち着かなくて、この頃から、私はさらしを幾重にも巻きつけるようになっている。


「……ちんちくりんだから、なぁ」


シオンが、悔しげにつぶやく。十六になっても、シオンの背丈は、あの頃とほとんど変わっていなかった。


「別に、無理しなくていい」


「いや。これは、忍びの意地の問題」


シオンは、近くの岩に、ひょいと飛び乗った。それでもまだ足りず、こんどは一度沈みこんでから跳ね上がる。宙で体をひねり、私の肩に手をかけて、勢いのまま頭に手のひらを届かせた。着地の瞬間まで、いっさいの無駄がない。腕を跳躍の踏み台に使われるとは思わず、私はよろけて、危うく尻餅をつきかけた。周りで見ていた同期たちが、笑いをこらえきれずに噴き出す。里随一と呼ばれる技量を、こんなことのために、惜しみなく使う。


「……忍びの技、そんなことに使う?」


呆れながらも、私は、されるがままになっていた。撫でられるのが嫌なわけじゃない。ただ、その手管があまりに大仰で、笑ってしまいそうになるだけだった。


*


息を切らしたシオンが、頭の上から手を離すと、ふと真顔になった。


「今日の動き、前よりずっと静かになってる」


「……そう?」


「うん。三月前は、着地のたび、かすかに膝が軋んでた。今日は、それがなかった。ちゃんと、伸びてる」


具体的な言葉だった。ただ褒めるための世辞ではない。シオンは、いつも、こうして私の細かな変化を見ている。三月前の失敗も昨日の稽古も、覚えていて、比べて、ちゃんと言葉にしてくれる。だから、その言葉には疑う余地がなかった。同情でも、慰めでもない。ただの事実の指摘。


胸の奥が、じんわりとあたたかくなる。この瞬間だけは、何の引っかかりもなく素直に受け取れた。庇われたときのような、あの引っかかりが、いっさい湧いてこない。褒められるのと庇われるのとでは、こんなにも違うのだと、はっきりとはわからないまま、なんとなく感じていた。


「……それは、素直に嬉しい」


「素直じゃないときのほうが多いくせに」


シオンが、くすりと笑う。私は、口をとがらせたが、言い返す言葉が見つからなかった。


*


十六になった二人は、いまでは里の外へ出る実任務にも加わっていた。


その夜、隣国境の動きを探る偵察の任が下った。月のない、深い夜。私とシオン、それに数名の同期が、闇に紛れて山ひとつを越える。草の匂いと、湿った土の冷たさ。装備の紐が擦れる音さえ、耳障りなほど大きく感じられた。息を殺し、木々の合間を縫って進む。以前の、あの子どもじみた稽古とは違う。しくじれば、命に関わる任務だった。


私にも、いくらかの自負はあった。この数年、稽古を積んできた。前より確かに動きは静かになったはずだ。シオンの言葉が、その自負を裏づけてくれていた。


境目に近い茂みで、一行は身を伏せた。敵の哨戒が、すぐそばの道を通り過ぎていく。松明の灯りが、木々の隙間からちらちらと漏れてくる。鎧が擦れる、規則正しい足音。息を、できるだけ細く、長く。隣で伏せるシオンの気配は、ほとんど感じ取れないほど薄い。自分の心臓の音のほうが、よほど大きく聞こえた。


——ばき、と。


すぐ近くで、小枝を踏む乾いた音がした。誰のものかもわからない、ほんの些細な音。それだけで、私の体が、びくりと強張った。


その瞬間だった。


隣に、もうひとりの自分が現れた。


同じ顔、同じ格好で、ぼんやりとした顔つきのまま、そこに突っ立っている。何をどうすればいいのか、わからない。手を振っても、念じても、消えてはくれない。慌てて消そうとするほど、逆に増えていく。二人、三人。誰かが小さく「うわ」と声を漏らす。息を殺したはずの茂みが、にわかに騒がしくなった。


哨戒の足音が、止まった。


「……何か、いるか」


低い声。松明の灯りが、こちらへ向き直りかける。心臓が、喉元までせり上がってくる。


その刹那、シオンが、手にした小石を、離れた茂みへ投げつけた。かさり、と乾いた音が、別の場所で鳴る。哨戒の視線が、そちらへ流れた。「……獣か」。しばしの沈黙のあと、足音は、山道の先へと遠ざかっていった。


事なきを得た。けれど、任務の緊張は、その一瞬で、粉々に砕けていた。


*


里へ戻ると、すぐに年長者たちの詰問が待っていた。灯りを絞った詰所に、しわ深い顔がずらりと並ぶ。


「あの場で正体を見せていれば、一行ぜんぶが危うかった」


「次、同じことが起きれば、里そのものを危険にさらす」


厳しい声が、次々に降ってくる。これまでの失敗は、稽古の場の失敗として済んでいた。今度は、命に関わる、取り返しのつかない欠陥として、断じられていた。居並ぶ視線が、容赦なく私へ突き刺さる。まるで、この場の失態すべてを、私ひとりで背負えとでもいうように。


黒鵺が、重い口を開いた。


「この技、もし意のままに操れたなら、里の宝となったであろう。並の忍びに、真似のできる業ではない」


そこで、いったん言葉を切る。あの、幼子に干し柿を分け与えるときと同じ、情のある目が、こちらへ向いた。


「だが、いまのネオンには、それができぬ。制御できぬ力は、抱えているだけで、諸刃の刃だ」


それ以上の言葉はなかった。里の誰も、この力を手なずける術も、役立てる術も持ち合わせていない。才そのものは認めながら、危ういものとしてしか、扱いようがない。それが、いちばん、こたえた。


私は、ただ、うつむいていた。反論できることなど、何もなかった。誰かを責めることもできない。この力は、たしかに、危ないものだった。それは事実だ。


*


「——ネオンのせいで、任務が失敗したわけじゃない」


詰問の輪に、シオンが割って入った。年長者たちを、まっすぐ見据えて。


「哨戒をやり過ごしたのは、あたしたちの連携が働いたから。それだけのこと」


臆する様子は、みじんもなかった。皆の前で、堂々と。庇うことを、少しも恥じていない声だった。年長者たちの厳しい視線が、シオンへ集まる。それでもシオンは、視線ひとつ逸らさなかった。


——でも。


その言葉を聞いた瞬間、私の中で、何かが、また、ねじれた。


さっき動きの話をしてくれたときの、あの素直な嬉しさは、もう、どこにもなかった。皆の前で庇われるたび、「できない妹」の証を、また一枚、上塗りされていくような気がしてしまう。


「……もう、庇わなくていい」


気づけば、そう口にしていた。


「よけいに、惨めになるだけだから」


シオンが、こちらへ目を向ける。ほんの一瞬、その表情が曇った。けれど、それも束の間のことだった。


「違う。任務は失敗してない。ネオンを責めるのは、お門違い」


シオンは、引かなかった。それどころか、年長者たちのほうへ、一歩踏み出す。


「だいたい、あたしたちは双子でしょ。あたしだって、ネオンが増えたようなもんじゃない。ネオンを責めるなら、あたしも同じように責めればいい」


筋の通らない理屈だった。年長者たちが、顔を見合わせる。誰も、うまく言い返せない。ひとりが、ため息まじりに「……もう、よい」と、場を収めにかかった。シオンの勢いに、すっかり押し切られた形だった。


私は、その光景を、ただ呆然と見ていた。


——今日は、素直に嬉しいと思えた瞬間も、あったはずなのに。


なんで、また。同じことを、繰り返してしまうんだろう。庇わなくていいと言ったのに、シオンは止まらない。救われている自分と、それでも素直に「ありがとう」と言えない自分とが、胸の中でせめぎ合っていた。


*


夜、二人の部屋。行灯の灯りが、静かに揺れている。


シオンは、何も言わなかった。ただ、隠し場所からあの押し花の包みを取り出して、そっと私の隣に置いた。今日、道すがら見つけたらしい、新しい花びらが一枚、増えている。責めるでも、慰めるでもない。無言の、いつもの距離の詰め方だった。


私は、その花びらを、しばらく黙って見つめていた。あの頃から、この隠し場所だけは、少しも変わっていない。里の評価も、任務の重みも、増えていく体の悩みも、ここへ持ちこむことだけは、二人とも、しないできた。それから、自分の手のひらに目を落とす。


——この手は、いったい、何のためにあるんだろう。


増える自分。誰にも喜ばれない力。忍びとして、いちばん求められる「消える」ことの、真逆をいく厄介な性分。


闇の中、こっそりと、もう一度だけ、力を出そうと試みてみる。息を詰め、意識を研ぎ澄ませて。けれど、何も起こらなかった。呼びたいときには出てこない。呼びたくないときにだけ、勝手に現れる。都合のいい道具にすら、なりきれない。


「……ほんと、向いてない」


小さくつぶやいて、私は、力なく笑った。せめて、自分だけでも、この不格好な力を、受け入れてやろうとするように。


隣の布団から、押し花の紙を、そっと畳みなおす音がした。シオンは、何も聞かなかったふりをしてくれている。それが、いまの私には、いちばんありがたかった。


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