46_繋がり
焚火のそばで、ラヴィは、そっと目を閉じた。ぱちぱちと爆ぜる炎の音が、すこしずつ遠ざかる。意識が、すうっと、自分の内側へと降りていく。
——メゾン・ド・ラヴィの居間。
やわらかな灯りの下に、みんなが集まっていた。長椅子のそばに、腕を組んだネオン。いちばん奥の椅子に、ピア。そのかたわらに、レイピアを携えたカトレア。ラヴィの足もとには、心配そうに見上げる猫娘のミュー。
そして——いつもの出窓のふちではなく。今日は、ちゃんと輪の中に。パッチが、ぽつんと立っていた。
「……ほんとうに、いいんだね」
念を押すように、パッチが言う。その声には、めずらしく、ほんのすこしためらいの色があった。
「うん。おねがい、パッチ」
ラヴィが、まっすぐにうなずく。その迷いのなさに、パッチはふっと目を伏せた。
「……わかった」
すうっと、息を吸う。それから、ラヴィの正面に立って、両手をそっとかざした。
「すぐ終わる。動かないで。——痛くはないと思う。ただ、ちょっと。……奇妙な感じが、するかも」
ピアは、すこし離れたところで、腕を組んでそれを見ていた。深紅の瞳が、じっとパッチの手もとを追っている。警戒を解いたわけでは、ない。けれど——口は、挟まなかった。これは、ラヴィが自分で決めたこと。それを黙って見守るのも、信じるということなのだろう。
パッチの、虹色の瞳が、すうっと細くなる。ふつうの目には見えないものを、覗きこむように。
その視線の先。ラヴィの胸のあたりに——なにかが、浮かびあがって見えた。
糸だ。何本もの、細い糸。本来なら、ぴんと張りつめて、ラヴィと、その奥のみんなをしっかり結んでいるはずのもの。それが——ところどころで、ぷつりと断ち切れている。ほつれ、もつれ、力なく垂れさがった、痛々しい縫い目。長いあいだ、ずっと、こんなふうにばらばらのままだったのだ。
「……ひどいな、これ」
パッチが、ちいさくつぶやいた。痛ましいものでも見るような、声だった。
それから、その細い指が動きはじめる。
断ち切れた糸の片端を、つまむ。宙をたぐって、もう片端を引き寄せる。慎重に。ていねいに。息をつめて。——ひとつ、ずつ。ぱちん、と、ちいさな光をこぼして、糸が繋がる。また、ぱちん、と。
パッチの背の、半透明の翼が、淡く光った。水色と、ピンク。その回路のような紋様が、繕う手と呼応するみたいに、すう、すう、と明滅する。
ラヴィの内側で、なにかが、ほどけていった。
ひとつ繋がるたび、すうっと視界がひらけていくようだった。すぐそこに、ネオンの気配。その奥に、ピアの、ミューの、カトレアの——ひとりひとりの、たしかな温度と輪郭。これまで、もやの向こうにぼんやりとしか感じられなかったものが、手に取るように、くっきりと。胸の奥が、じんとあたたかくなる。
ああ。——みんな。ほんとうは、こんなにも近くに、いてくれたんだ。
涙が、にじみそうになる。——けれど。
繋がりが深まるほどに、流れこんでくるものの量が、ふくれあがっていった。みんなの気配だけじゃない。その奥の、さらに奥の。あふれるほどの、膨大ななにか。知らない記憶。知らない声。光。像。——どっと、堰を切ったように。
「……っ、あ」
受け止めきれない。頭の奥が、ちかちかと明滅して、痛んだ。
そのとき。みんなの目に映る、ラヴィの姿が——
ぶれた。
輪郭が、ちらつく。二重に、三重に揺れて。像が、ざ、ざ、と乱れ飛ぶ。まるで、そこに在りつづけることに、体が耐えきれないみたいに。
「ラヴィ……っ!?」
ネオンの声が、はねあがった。さっと血相を変えて、踏みだす。
「おい、ラヴィ! ——パッチ、貴様、ラヴィになにを……っ!」
「ネオン、だめ!」
その前に、ミューが、ぱっと両手を広げて立ちはだかった。ちいさな体をめいっぱい伸ばして。長身のネオンを、必死に押しとどめるように。
「信じるって、ラヴィが、自分で決めたんだよ! だから——だいじょうぶ! ぜったい、だいじょうぶだから!」
「だが、こいつは……っ」
「案ずるな」
落ち着いた声がした。ピアだ。腕を組んだまま、微動だにしていない。深紅の瞳だけが、静かに、ことの次第を見すえている。
「——あれは、繋ぎ直しておるだけじゃ。乱れて見えるのは、流れこむものに、器が追いついておらんから。……耐えよ、ラヴィ。お主なら、耐えられる」
パッチの様子も、ただごとでは、なかった。
白い額に、玉のような汗が滲んでいる。歯を食いしばり、繕う手がこまかく震えはじめていた。紡ぐ手の速さが、すこしずつ落ちていく。一本、また一本と糸を繋ぐたびに、パッチ自身のなにかが、削れていくみたいに。
——つう、と。
その鼻から、赤いものが一筋、つたい落ちた。鼻血だ。けれど、パッチは、ぬぐおうともしない。ただ、ラヴィの綻びだけを、まっすぐ見つめている。
そして——ある一点で。ぴたり、と、手が止まった。
「……ここまでだ」
パッチが、荒い息をつく。
「これ以上は、危ない。器が、もたない。——それに。この先は、僕にも無理だ。あまりに複雑すぎて。手が出せない」
その奥は。深い、深い霧の中だった。ラヴィが、いちばん知りたかったもの。自分とは、何者なのか。どこから来たのか。——その、いちばん芯のところだけは。とうとう、閉ざされたまま見えなかった。
でも、ラヴィには。もう、それを惜しむ余裕もなかった。
繋がった分だけで、もう。胸がいっぱいで。あふれて。——意識が、ぐらりと大きく傾く。
「ラヴィ!」
ネオンの声が、ひどく遠い。みんなの顔が、ぐにゃりと滲んで流れていく。膝から、力が抜けていく。
ラヴィの体が、その場に崩れ落ちた。——倒れこむ、その寸前。パッチが、とっさに手をのばして抱きとめる。
「……だいじょうぶ。だいじょうぶ、だから」
ぐったりとしたラヴィを、両腕でそっと支えながら。パッチは、こわばった顔のみんなのほうを振り返った。鼻血を、手の甲で、ぐい、とぬぐって。
「……繋いだ。ちゃんと、繋いだよ。だから——あとは。ラヴィが、目を覚ますのを、待ってくれ」
ネオンが、なにか言いかけて。——口を、つぐんだ。
——暗い。
ラヴィは、深い、深いところへと沈んでいく。あたたかな居間の灯りも、みんなの声も、遠く、遠く。意識が、とろりと闇に溶けていく。
けれど。その闇の、いちばん底に。ぽつり、と。ちいさな灯りが、ともった。
それは、夢の、はじまりだった。
——気がつくと。ラヴィは、見知らぬ場所に、立っていた。
見たこともない、空の色。知らない街なみ。行きかう、知らないひとびと。——なのに、どうしてか。その景色のぜんぶが、ひどくなつかしかった。胸の、いちばん深いところが、きゅう、と疼くくらいに。
これは。——だれの、記憶なんだろう。
ゆっくりと。とけていた世界が、輪郭を、像を、結んでいく。




