45_決めた
出立してから、ラヴィは、あまり内側に降りなかった。
崩れゆく世界の道を、ただ、ひとりで歩いた。
あたりは、しんと静まりかえっている。かつては、人の声や店のざわめきで満ちていたのだろう道。いまは、傾いた街灯と割れたショーウィンドウが、灰色の沈黙のなかに並んでいるだけだ。自分の足音だけが、やけに大きく響いた。
宙に止まったままの瓦礫の下をくぐる。手を伸ばせば届きそうな高さに、砕けた石の塊が、落ちることも忘れたみたいに、ぽつんと浮かんでいた。ひびの入った空からは、ときおり、こまかな光の粉が、雪のようにこぼれ落ちてくる。手のひらに受けると、ふれるそばから、音もなく溶けて消えた。
——きれいだ、と思う。こんなにも、こわれかけているのに。
目指すのは、ふたたび星界へ——層間をつなぐ、あの遺跡だ。そこを抜けた、崩壊の奥に。もう一人のわたしが、いるであろう場所がある。
考えることが、たくさんあった。パッチのこと。直すということ。自分の"なか"と、自分が、ちゃんと繋がっていないということ。そして——自分とは、いったい、何者なのかということ。
答えの出ない問いを、ひとつずつ、足もとに置いていくみたいに。ラヴィは、ひとりで歩いて、ひとりで考えていたかった。賑やかな内側に降りてしまえば、この静かな思いは、きっとほどけて消えてしまう気がしたから。
「ラヴィー!」
ふいに羽音がして。ピキピキ姿のミューが、ひゅん、と肩の高さまで飛んできた。二枚の翅をせわしなく震わせ、ラヴィのまわりを、くるりと回る。
「だいじょうぶ? つかれてない? あたし、ちゃんと見ててあげるからね!」
「うん。ありがとう、ミュー」
ラヴィが笑うと、ミューは満足そうに、ひとつ宙返りをした。それから、名残おしそうに、ラヴィの頬へ、ちょん、と翅の先をふれさせて。——すうっと、内側へ戻っていく。胸の奥が、また、すこしだけ賑やかになって。それから、しんと静かになった。
——ひとり。でも、ひとりじゃない。
その、ふしぎな感じを噛みしめながら。ラヴィは、また一歩ずつ、遺跡への道を、たどっていった。
日が暮れた。
光を失った街は、いっそう深く闇に沈んでいく。崩れた壁の隙間を抜けていく風が、ひやりと冷たい。ラヴィは、風の当たらない物陰を見つけて、腰を下ろした。
拾い集めた木切れを組んで、火を熾す。はじめは心細げに揺れていた炎が、やがて、ぱち、ぱち、と音を立てて燃えあがった。ちいさな火。それでも、まわりの闇を、あたたかく押しのけてくれる。手のひらをかざすと、じんわりと、熱が滲みた。
見上げれば、ひびの入った空の、ずっと向こう。崩壊の奥に、もう一人のわたしがいるという、あの高みが、ぼんやりと、淡く光って見えた。星明かりとも、燃えのこりの光ともつかない、かすかな輝き。——あそこへたどり着くには、まず、星界へつなぐ遺跡まで。まだ、道のりは遠い。
膝を抱えて。ラヴィは、しばらく、その炎と遠い光を、かわるがわる見ていた。
それから、ぽつりと。
「……ピア。起きてる?」
胸の奥で、衣擦れのような気配がして。
「うむ。——どうした、こんな夜更けに」
ピアの声がした。いつもの、気だるげで、やわらかな響き。
「あのね」ラヴィは、炎を見つめたまま。「色々、考えたんだ。ずっと。——わたし、決めたよ。パッチのこと。……信じる」
しばしの、間。
「そうか」ピアの声は、淡白だった。「——まあ、お主は、そうじゃろうな」
意外でもなんでもない、というふうに。ラヴィは、ちょっとだけ笑ってしまった。
「ピアは、お見通しだね」
「伊達に、千年は生きておらん」
ぱちん、と、火の粉がひとつ爆ぜる。
「パッチはね」ラヴィは、ことばを選びながら。「きっと、わたしに似てるんだ」
「ほう」
「……うまく、言えないけど。あの子、わたしのことを放っておけないんだと思う。直さないと落ち着かない、って。——あんなふうに言って、ぶっきらぼうな顔して。でも、ほんとは。どうにかしてくれようと、してるんだよ」
炎に、目を細めて。
「わたしには、それが。——拒めない。だって、それって。わたしが、いつもしてることと、おんなじだもの」
言いながら、ラヴィの胸に、あの子の横顔が浮かんだ。輪のなかには入ってこず、出窓のふちで、ひとり膝を抱えていたパッチ。ぶっきらぼうで、寂しがりで。——きっと、ほうっておけないのは、おたがいさまなのだ。
ラヴィは、膝をすこし抱きなおした。炎の熱が、つま先まで、じんわりと届く。
「……でもね、ピア。ひとつだけ、お願いが、あるんだ」
「うむ。——言うてみい」
炎がゆれて、ラヴィの横顔を、あかく染める。
「もしも、わたしが。直してもらって。全部を思い出して、全部が分かったとき。——なんだか、イヤな感じの子に、なってたり。……もしかしたら。あの、もう一人のわたしみたいに、なっちゃったり、して」
声が、すこしふるえた。それでも、ラヴィはつづけた。
「そのときは。——思いっきり、ビンタして。どうにかして、わたしの目を、覚まさせて。だって、わたしは」
炎の向こうを、見て。
「わたしは。——みんなのことが、大好きなんだよ」
しん、と。夜が静まる。
——と。
「……ふ。ふふっ」
胸の奥で、ピアが笑った。くつくつと。心底おかしそうに。
「ばかを言え。——儂が、思いっきりビンタなぞしたら。お主の首が、もげるぞ」
ラヴィは、きょとんとして。それから、昼間の、あの手合わせを思い出して。——ぷっと噴き出した。
「あ……たしかに」
「じゃろう」
ひとしきり笑って。それから、ピアの声が、ふっと、やわらかく低くなった。
「……すまんな、ラヴィ」
「え?」
「儂が、つい、余計な話をしてしまったのが。——悪かったのじゃ。お主に、いらぬ怖れを、植えつけた」
炎が、ぱち、と爆ぜる。
「本来、儂らはな。——死人じゃ。とうに終わった者たち。これは、本当なら。生きているお主の。——お主だけの、物語じゃからな」
その声には。千年を生きて、生きすぎた者の。静かで、一歩引いた、やさしさがあった。
「……ううん」
ラヴィは、首を横に振った。何度も。
「ううん。ちがうよ、ピア。ちがう」
炎のあかりのなか。その目が、すこし潤んでいた。
「ほんとうに、ありがとう。——わたしね。バカだから。ひとりじゃ、なんにもわからなくて。だから」
ぎゅっと、膝を抱きしめて。
「みんなが、いっしょにいてくれて。……ほんとうに、ほんとうに、うれしいんだよ」
その、ちいさな声は。きっと、内側のみんなにも、届いたのだろう。
「……ふん」
ぶっきらぼうな声がした。ネオンだ。
「世話の焼ける、主だ。……まあ、せいぜい、無茶をするなよ」
「ラヴィ」つづいて、凛とした、カトレアの声。「なにがあっても、ボクたちが、ついている。——その綻び、直してくるといい。きっと、君は、君のままだ」
「ラヴィ! あたしも!」ミューの、はずんだ声。「ぜんぶ思い出したって、ラヴィは、ラヴィだもん! あたしが、保証する!」
ひとつ、またひとつ。あたたかい声が、胸の奥から、灯りみたいにともっていく。
ラヴィは、空を見上げた。
ひびの入った、こわれかけの空。その、ずっと向こうの、星界の光。——こわい。ほんとうは、すこし、こわい。自分が何者なのかを、知るのは。
でも。もう、ひとりじゃ、ない。
ラヴィは、そっと、胸に手を当てた。いちばん奥の、まだ少し離れたところにいる、あの子へ。呼びかけるように。
「……ねえ、パッチ」
胸の奥で、気だるげな気配が、ひとつ動いた。
「……なに」
「あのね。わたし、決めたよ」
炎を見つめて。ラヴィは、笑った。
「あなたに、お願いしたい。——わたしのこと。直して、ほしいんだ」
しばらく、返事はなかった。それから。
「……わかった」
ちいさく、けれど、はっきりと、パッチは言った。「いいよ。僕に、できることなら。——ちゃんと、繋いであげる」
そっけない響き。でも、その声には、これまでの——輪の外から、ただ眺めているだけだった、あの遠さが。もう、なかった。
炎が、ぱちぱちと明るく爆ぜる。舞いあがった火の粉が、闇のなかを、星屑みたいに昇って——ふっと、消えた。




