40_向き合う
光の盾が、砕けた。
こらえきれなかった。菫色の奔流が、最後のひびをこじあける。ガラスのように砕け散った光の破片もろとも、ラヴィの体は、後ろへ——突き飛ばされた。
崩れた瓦礫の山に、背中から、叩きつけられる。ぐ、と、肺の空気が、すべて押しだされた。視界が、ちかちかと白く弾ける。耳の奥で、鋭い音が、鳴りつづけていた。手のなかの剣が、ふっと熱を失って、もとの杖のかたちへするりと戻っていく。
奔流の、通りすぎたあと。あたり一帯は、もう、なにひとつ原形をとどめていなかった。深くえぐれた地面。薙ぎ倒された残骸。その、まんなかで。ラヴィは、ひとり、倒れていた。
「ラヴィ……!」
胸の奥で、みんなの声が、悲鳴のように重なる。
——立た、なきゃ。
痺れた手を地について、ラヴィは、なんとか身を起こした。口のなかに、にじむ血の味。それでも。
ふと、視界の端を、淡い光がよぎった。
翼の子。
崩れた壁ぎわに、あの子は、ぐったりと横たわっていた。白い翼が、淡い光になって、端から、ほろほろとほどけていく。体の輪郭そのものが、もう、かたちを保てていない。指の先が、髪の先が、光の粒になって、宙へ溶けて、消えていく。——消えてしまう。本当に、もう、すぐ。
「だめ……!」
ラヴィは、痛む体を引きずって、その子のそばへ這い寄った。とっさに、手をかざす。
「——ヒール……!」
やわらかな光が、こぼれる。けれど、それは、やっぱり。あの子の体を、すうっとすり抜けていった。届かない。何度、かざしても。光は、宙を撫でるばかりで、その子には、ふれられない。
わかってる。わかってるのに。
「ピア……っ」
「言うな。やるんじゃろ? ——急げ」
ヒールでは、助からない。残された手は、ひとつだけ。喰らって、内側に取り戻す。——ミューに、したように。
拒まれていた。それでも、このまま、消えるのを見ているなんて、できない。
「ピア。——力を、貸して」
「いいんじゃな?」
「うん」
ラヴィの瞳に、ふっと赤い色が宿った。吸血鬼の、眼。けれど、牙は立てなかった。そっと、その小さな体に、両手を重ねる。
「ごめんね。勝手で」
消えかけた光に、ラヴィは、そっと囁いた。
「でも——いなくなるより、ずっと、いい」
朦朧と、その、ちいさなくちびるが、動く。「な……っ、なに、を……する気……」。なにをされるのか、わからないのだろう。怯えたように、それでもなお逃れようとする、か細い声。それでも、ラヴィは、手を離さなかった。離せるはずが、なかった。
あたたかいものが、手のひらから流れていく。ヒールとは、まるで逆向きの感覚だった。与えるのではなく、招き入れる。あの子の小さな体が、輪郭から、淡い光の粒へとほどけていく。その光が、ラヴィの胸へ、ひとひら、ひとひらと、吸いこまれていった。
外の壁ぎわから、その姿が、すっと消える。
「……ラヴィ!」
胸の奥で、ミューの声が、はずんだ。「あの子、来た……! 来たよ、ラヴィ!」
ラヴィの胸の奥に、たしかに、あたらしい気配が、ひとつともる。すうすうと、しずかな寝息。深く、眠っているらしい。
「……眠ってる、みたい」ミューが、そっと言った。「でも、ちゃんと、ここにいるよ」
消えては、いない。それだけで、いまは、じゅうぶんだった。
ほっとしたのも、つかのま。
ぞくり、と。背すじが、粟立った。
顔を、あげる。
もう一人のわたしが、すぐそこに、いた。ゆっくりと、こちらへ掌を向けて。次の一撃を構えている。
ラヴィは、立とうとした。けれど、膝が、言うことをきかない。両腕が、震えて、地面をうまく押せなかった。心器は、ただの杖に戻ったまま。借りた力も、もう、底をついている。体じゅうの節々が、火がついたみたいに、熱く、痛い。
——もう、無理だ。
頭の隅で、つめたい声が、ささやいた。じゅうぶん、やったじゃないか。これ以上は、立てない。ここで、目を閉じてしまえば、楽になる——。
ちがう。
ラヴィは、奥歯を噛みしめた。にじむ血が、濃くなる。
終われない。終われるはずが、ない。ここで、わたしが倒れたら。
——みんなが、消える。
胸の奥にいる、ミュー。ネオン。ピア。カトレア。そして、いま招いたばかりの、眠る、この子。わたしという器が、こわれてしまったら。この子たちは、みんな、いっしょに消えてしまう。あの硝子の試練の場で、いやというほど、思い知らされた。——わたしの命は、もう、わたしひとりだけのものじゃない。
ここで倒れることは、わたしが死ぬこと、じゃない。みんなを道連れにすることだ。
そんなの——ぜったいに、いやだ。
ラヴィは、震える手を、自分の胸もとへかざした。
「——ヒール」
やわらかな光が、こぼれて、すり傷を、ひとつ、またひとつと、ふさいでいく。さっき、翼の子には、どうしても届かなかった、おなじ光。それが、ラヴィの体には、ちゃんとしみこんでいった。焼けるような痛みが、すこしずつ引いていく。折れかけていた力が、わずかに戻ってくる。
——まだ、戦える。
「……まだ」
ラヴィは、杖を支えに、立ちあがった。
「まだ、終わって、ない」
唇の血を、ぬぐう。まっすぐに、もう一人の自分を見すえた。
「わたしは、ひとりじゃ、ない。——だから、立てる。何度でも」
「……ラヴィ」カトレアの声が、ふるえた。「ああ。——君なら、そう言うと、思ったよ」
「無茶を、しやがって」ネオンが、ぶっきらぼうに、けれど、どこか誇らしげに言う。「……まったく。お前って奴は」
立ちあがったラヴィを、もう一人のわたしが、じっと見ていた。
ぼろぼろで。それでも、退かない。だれかを内に抱えて、まっすぐに立つ——その姿を。
ふいに。
構えていた、その掌が。
止まった。
菫色の瞳が、わずかに見ひらかれる。そして、もう一人のわたしは、空いたほうの手で、自分の胸もとを——ぎゅっと押さえた。覚えのない痛みを、もてあますみたいに。眉が、苦しげにゆがむ。
——そんなふうに、ラヴィには、見えた。
「……」
もう一人のわたしは、なにも言わなかった。掌を、向けたまま。胸を、押さえたまま。ただ、動かなくなっている。
どうして、攻撃をやめたんだろう。
ラヴィには、わからない。けれど——その表情は、いまにも、泣きだしてしまいそうに見えた。
ラヴィは戦いの最中なことも忘れて、ただ、その顔を見つめていた。




