39_危機
菫色の光が、まっすぐにラヴィを呑みこもうとする。
逃げ場は、ない。背には、傷ついた翼の子。一歩でも動けば、この子に当たってしまう。
——いやだ。
ラヴィは、ぎゅっと手のなかの杖を握りしめた。
守りたい。この子も。胸の奥の、みんなも。だれも、もう失いたくない。——お願い。力を、貸して。
その願いに、応えるように。
握った《星の花束》が、ふいに熱を持った。瑠璃色の杖身が、内側からまばゆく輝きだす。そして、ラヴィの手のなかで、するすると、かたちを変えていった。ほっそりと、長く。一振りの、細い剣へ。
「これ……?」
戸惑う間も、なかった。胸の奥から、あたたかい力が、どっと流れこんでくる。だれの力か、考えるより先に、体のほうが、勝手に動いた。背すじが、すっと伸びる。腰が落ちて、剣を持つ手が、ひとりでになめらかな弧を描いた。知らないはずの構え。知らないはずの、太刀の運び。なのに、指の一本一本まで、なにをすればいいのか、わかっている。
その剣先の軌跡を追って、淡い光の帯が、ラヴィの前に、扇のようにひろがった。
迫っていた菫色の波動が、その光の弧に触れる。——そして、刃で水を切るように、するりと左右へ受け流されていった。ラヴィの体を、髪の一筋すら、かすめずに。
逸れた光は、そのまま斜めへ飛んで、崩れかけた建物の壁に突き刺さる。古い石壁が、鈍い音を立てて、ごっそりと崩れ落ちた。
「——これは」
胸の奥で、カトレアが、息を呑む声がした。
「ボクの……ルミナス? ラヴィ、君が、ボクの力を……!」
おどろきと、こらえきれない熱が、その声に滲んでいた。
「軌道を、逸らすための線を、描くんだ」カトレアが、たたみかけてくる。「来る攻撃を、その線でなぞって、横へ流せ。力で、受け止めようとするな。——そう! それで、いい!」
言われるままに、ラヴィは剣を振るった。二射、三射と、つづけざまに放たれる菫色の光。そのどれもを、光の弧が、なめらかに横へ逸らしていく。逸らされた光は、四方へ散って、傾いだ街灯をなぎ倒し、石畳を抉り、宙に浮いた瓦礫を、こなごなに撃ち砕いた。ラヴィの守る、その一点だけを残して、まわりの景色が、削れ、崩れ、変わっていく。
まるで、ずっと昔から、この剣とともにあったみたいに。その力が、手足の隅々まで、馴染んでいった。
宙の、もう一人のわたしの目が、ふと細くなる。
道ばたの石ころでも見るようだった、あの目。それが、いま、はじめて、ラヴィを——"見て"いた。
「……ほう」
ちいさく、声がもれる。
「お前。——そういうものか」
胸の奥で、みんなが、息を吹き返したように沸き立った。
「……たいした守りだ、ラヴィ」ネオンの声が、めずらしく弾んでいた。「その盾があれば、心強い。攻めは、こっちで引き受ける。お前は、守りに集中しろ」
「ほう」と、ピアも、感じ入ったように言う。「案ずるな、ラヴィ。それは、儂から借りた力とは、わけがちがう。——お前自身の、心器じゃ。なにも惜しむな。存分に、振るえ」
わたし自身の、力。その言葉が、胸の奥にすとんと落ちた。手のなかの剣が、いっそうしっくりと馴染む。
「……うん。——うん!」
ラヴィは、剣を構えなおした。背の翼の子を、かばったまま。半歩も、そこを動けない。守りながらの戦いは、片足を縛られているようなものだった。それでも——もう、ただ受けているだけじゃ、ない。
「みんな、いくよ!」
応えるように、もう一人のわたしが、ゆるりと掌をひるがえした。
その指先から、無数の菫色の刃が、生まれる。それが、雨のようにいっせいに降りそそいだ。
ラヴィは、剣を頭上へ。光の弧を、繭のように、ぐるりと身のまわりにめぐらせる。降りかかる刃の一枚、一枚を、弧の表面で滑らせ、地へ、横へと受け流していった。びし、びし、と、光のはじける音が、たてつづけに鳴る。弾かれた刃は、四方へ飛び、地を、壁を、めった刺しにしていった。立っていられる場所が、ひと太刀ごとに、削られていく。それでも、守りきれる。——ここまでは。
その、刃の雨の、隙間を縫って。
「ミュー!」
「まかせて! ——ミラージュ!」
ラヴィのまわりに、幾人もの"ラヴィ"が、ぱっと湧き出した。寸分たがわぬ姿が、てんでばらばらの方向へ駆けだしていく。降りそそぐ刃が、その偽物たちを追って、的を散らした。もう一人のわたしの視線が、ほんの一瞬、どれを狙うか、惑う。
その隙へ。
崩れた瓦礫を蹴って、黒い影が、宙高く躍りあがった。ネオンの分身だ。三つ、四つ。短刀をふりかざし、左右と頭上から、いっせいに斬りかかる。もう一人のわたしが、わずらわしげに片手をはらった。分身は、まとめて断ち切られ、霧のように散る。——けれど。その一手のぶんだけ、相手の体が、ほんのわずかこちらへ流れた。
いま。
ラヴィは、地を蹴った。脱兎。背の子を、ぎりぎり庇いきれる、その間合いのまま、半歩だけ踏みこむ。宙に逸らしきれず残っていた菫色の光を、剣の弧ですくいあげた。そして、手首を返して——その光を、相手へ跳ねかえす。
ひゅっ、と。
もう一人のわたしの体が、はじめて、ひねられた。
跳ねかえった菫色の光が、その白い頬を、ほんのわずかに掠めて——消える。
ラヴィは、目を見ひらいた。
——避けた。わたしを、石ころ同然に見ていた、あの存在が。一度として、避ける必要なんてなかったはずの、あの存在が。いま、たしかに身を退いた。
「……届いた」
胸の奥で、ミューが、ふるえる声でつぶやく。「ラヴィ、あいつに……届いたよ……!」
もう一人のわたしの瞳から、あの、なにも映さない色が——消えていた。かわりに宿ったのは、冷たい、けれど、たしかな注視。
「……そうか」
その声が、低く、沈んだ。
「お前は。——そこまで、私を、煩わせるか」
掲げた掌に、菫色の光が、集まりはじめる。さっきまでの比では、なかった。渦を巻き、ふくれ、脈打って、見ているだけで、肌がひりついた。
——そして、もう一人のわたしは。
ほとんど、吐息のように。その技の名をつぶやいた。
「……ライラック」
瞬間。
掌の菫色が、ぶわり、と弾けた。世界そのものが、みし、みし、と軋みをあげる。足もとの瓦礫が、いくつも、ひとりでに空へ吸い上げられていった。
放たれたのは、もう、線でも、刃でも、なかった。なにもかもを、まとめて呑みこむ、菫色の、奔流。
「——っ!」
ラヴィは、ありったけの力で、光の盾を前へ押しだした。カトレアの軌道が、奔流の壁と、真正面からぶつかりあう。逸らす逃げ道など、もう、どこにもない。ただ、真っ向から押しあうしか、なかった。
光の盾の縁から、こぼれた菫色が、左右の地面をごっそりと抉りとっていく。斜めうしろの街並みが、まとめて薙ぎ払われ、音もなく、菫色のなかへ消えた。それでも、ラヴィの真後ろ——翼の子のいる、その一点だけは、なんとか守りぬく。
ぴき、と。
光の弧に、ひびが、走った。
押し負ける。圧倒的な、力の差。それを、全身で思い知らされる。借りた力で体がこわれる、あの感覚とは、ちがう。心器は、ラヴィ自身の力。それでも——届かない。相手が、あまりにも遠い。踏ん張る両足が、削れた地面を、じり、じり、と後ろへ滑っていった。
「ラヴィ……っ、なんか、やばいよ……!」
ミューの、悲鳴に近い声。
このままじゃ、守りきれない。それでも、ラヴィは、歯を食いしばって踏みとどまろうとした。
——けれど。
ふと、背にかばった、翼の子の気配が、あまりにも薄い。
ちらり、と振りかえる。
あの、淡い光の翼が。もう、ほとんど——消えかけて、いた。




