32_夢
荘厳な墓所を出ると、街がいちめんに輝いていた。
窓という窓にはめこまれた色ガラス。軒に下がる、ガラスの灯。陽射しがそのひとつひとつを抜けて、石畳に、淡い光の色を散らしている。歩くたび、足もとで赤や青がゆらめいた。きれいだ、とラヴィは思う。けれど胸の奥には、まだ、あの冷たい棺の手触りが、しずかに残っていた。
「……ルミナリア」
胸の奥で、カトレアが、しみじみとつぶやいた。
「ボクの、生まれた国だ。——もう二度と、この景色を見ることはないと思っていた。あの最期の瞬間には、こんな日が来るなんて、思いもしなかったよ。——ありがとう、ラヴィ」
そんなふうに礼を言われると、ラヴィは、どう答えていいか、わからなくなる。自分が、何かをしてあげられた気は、まるでしない。ただ、名も知らないだれかのために祈っていたら——気づけば、カトレアが、そばにいた。それだけ、だった。
「さて」
ピアの声が、のんびりと割って入った。
「感傷に浸るのも、よいがな。——そろそろ、行くとしようか。例の、心器の試練の場へ」
「……心器」
ラヴィは、その言葉を、口のなかで転がした。いつか聞いたきり、まだ手応えのない響き。自分の内に、固有の力を持った武器があるのだと、ピアは言った。けれど、それがどんなものなのか、ラヴィには、うまく思い描けなかった。
「その試練の場なら」
と、カトレアが言った。
「ボクの、知っている場所だ。——光の聖堂、と呼ばれている。ボク自身、かつてそこで試練を受けた。……懐かしいな」
カトレアの案内のとおりに、街のはずれへ向かう。やがて、人の通りが絶えたその先に、それは建っていた。
ガラスと光で、できた建物だった。
高くそびえる柱も、見あげるほどの天井も、すべてが透きとおっている。色はなく、ただ、白い光だけが満ちていた。物音ひとつしない。足を踏み入れると、自分の呼吸の音さえ、遠くなったように感じられた。
その中心に、円い水鏡があった。
波ひとつ立たず、ただ、高い天井を——その向こうの空を、しずかに映している。
「……ここが」
「ここだよ、ラヴィ」カトレアの声には、どこか懐かしむ響きがあった。「この水鏡に触れれば、試練が始まる。——けれど、その前に。少し、内側で、ボクの話を聞いてくれないか」
ラヴィは、水鏡のふちに膝をつくと、いちど目を閉じ、自分の内側へと、しずかに降りていった。
メゾン・ド・ラヴィ。やわらかな光に満ちた、あたたかな部屋。そこに、みんなが待っていた。
「カトレア」ラヴィは、まっすぐにたずねた。「……試練って、どんなものなの?」
カトレアは、すこし考えるように、目を伏せた。
「この国の伝承では、心器の試練は、人によって姿を変える、という。けれど、たいていは——強い敵との、戦いになるそうだ」
「戦い……」
「ああ。ボクの試練は、そうだな」カトレアの声が、ふと遠くなる。「……『自分自身との戦い』だった。鏡うつしみたいに現れた、もうひとりのボクと、剣を交えてね。——勝って、ようやく、これを授かったんだ」
すらり、と、カトレアが腰の剣を抜いた。
細い白刃が、メゾンの淡い光を弾いて、きらりと光る。
「心器は、その持ち主の、たったひとつの力だ。ほかの誰にも、振るえない。——この剣には、名がある」
切っ先を、すっと立てる。
「《ルミナス》。——光の盾、という意味だよ」
光の、盾。護るための剣。——護りきれなかったこの人が、それでも護るために掲げる剣。その名が、ラヴィの胸に、しずかに落ちた。
「言葉より、見たほうが早いか」カトレアが、いたずらっぽく笑う。「ラヴィ。この内側に、すこし剣を振るえるような、広い場所はあるかな」
ラヴィは、こくりとうなずいて、手をかざした。想いを、外へ送り出すように。すると、メゾンの戸の向こうに、ひらけた庭が、すうっと生まれた。やわらかな草と、淡い光に満ちた、まあるい広場。
カトレアが、目をみはった。
「——これは。君が、いま、創ったのか……。すごいな」
感心したように、ぐるりとその庭を見まわす。
「ネオン」カトレアが、ふりかえる。「少し、付き合ってくれないか」
ネオンは、壁ぎわで腕を組んだまま、ちいさく息をついた。
「……仕方ないな」
ふたりが、庭のまんなかで、向かいあう。
先に動いたのは、ネオンだった。地を蹴り、ふところへ踏みこんで、刀を薙ぐ。手加減した、ゆるい一太刀。——その刃が届くより早く、カトレアのレイピアが、ひらりと弧を描いた。白い光の線が、宙に一瞬、残る。ネオンの刀は、その光の軌道にすべるように沿って、横へするりと逸らされていた。
「うん、いい太刀筋だ」カトレアが、ほほえむ。「——でも。もっと思いっきり、来てくれて、いいよ」
ネオンの目が、すっと細くなった。
「……言ったな」
次の瞬間、その姿が、かき消えた。
——五つに、分かれていた。
同じ顔、同じ刀のネオンが、五人。カトレアを、ぐるりと囲む。正面、右、左、頭上——そして、背後。五つの方向から、いっせいに間合いを詰める。
その、踏みこみの——間際。
「舐めすぎだ」
背後のネオンが、斬りかかるより先に、低く声を投げた。気づいているか、と念を押すように。
刹那、五人が、同時に刃を振るう。
応じて、カトレアのレイピアが、回った。一度きりの、淀みない一閃。けれど、その光の軌道は、平らな円には、とどまらなかった。らせんを巻いて頭上までを覆い、カトレアの全身を、繭のように包みこむ。五つの斬撃は、ことごとくその軌道に吸い寄せられ、つるりと逸らされて、宙を切った。頭上の一撃も、背後の一太刀さえも。
四人の分身が、ふっとほどけて消える。あとには、背後に立っていた本体のネオンだけが、残っていた。
「これはさすがに、驚いたな」カトレアが、剣を下ろし、息をつく。「後ろのは——声をかけて、もらえなかったら、危なかったかも」
「よく言う」
ネオンは、刀を鞘へ戻しながら、鼻を鳴らした。
「私が声をかける前に、ウインクを寄越していたくせに」
カトレアが、肩をすくめて、笑う。
「実演は、これくらいで十分だろう」ネオンは、つれない調子でつけ足した。「これ以上やると、私も、ムキになる」
ラヴィは、ただ、その光景に見入っていた。
すごい。みんな、こんなにも。光の盾も、五つに分かれる刃も、その間で交わされる、息の合った言葉も。眩しくて、胸がいっぱいになる。
——けれど。
その眩しさの片すみで、ラヴィの胸に、また、あの引っかかりがちくりと刺さった。こんなに強くて、やさしい人たちを。わたしは、自分の「知りたい」のために、こうして連れ歩いている。
その小さな棘に、ラヴィは、まだ、名前をつけられなかった。
「ラヴィ」
カトレアの声が、その思いをそっとほどいた。
「君の心器が、どんな姿で顕れるのか。——ボクには、それが、楽しみだよ」
「ラヴィなら、だいじょうぶ!」ミューが、ぴょんと跳ねる。「あたしたちも、ついてるんだから!」
「……無茶は、するな」と、ネオン。
ピアが、腕を組んで、目を細めた。
「お前の資質と、呼応して顕れる。——どんな姿で出るか。儂も、見ものじゃと思うておるよ」
ラヴィは、みんなの顔を、ひとりずつ見た。それから、こくりとひとつうなずく。
「……うん。行ってくる」
意識を、外へ。まぶたを開けると、目の前に、あの水鏡があった。波ひとつない、しずかな水面。ラヴィは、そっとそのふちに身を乗り出し、指先を、その面に触れさせた。
ぴ、と、ちいさな波紋がひろがる。
と思った瞬間、足もとが、すうっと消えた。
光が、視界をのみこむ。落ちていく。——どこか、やわらかくて、あたたかい、知らない場所へ。
◆
「——ラヴィ」
声が、する。
「ねえ、ラヴィってば。いつまで寝てるの。——もう、朝だよ」
まぶたの裏が、あかるい。やわらかな、朝の光。聞き慣れた、おだやかな声が、ラヴィの名を呼んでいた。




