27_硝子の国
灰色の風のなかを、ラヴィは歩いていた。
足の下には、崩れかけた地上圏の地面。表面のところどころが剥がれて、のっぺりと白い地肌がのぞいている。半ばから溶けたような建物。錆びついて傾いだ鉄骨。——星界のあの静謐とくらべると、ここはあまりに雑然としていた。
それでも。ラヴィは、すこしだけほっとしていた。この乱れた景色のほうが、ずっとなじみがある。
「のう、ラヴィ」
胸の奥で、ピアが言った。
「硝子の国は、いま向いておる、その正面じゃ。——なに、そう遠くはない。数日も歩けば、着くじゃろうて」
「うん。——ありがとう、ピア」
ラヴィは、こくりと頷いて、そのまま足を進めた。
しばらく歩いていると、胸の奥が、ふいにそわそわしはじめた。
「ぴゃっ」
ぽんっ、と、胸の奥からミューが飛び出してくる。ピキピキの姿。蜘蛛の妖精のような、ちいさな体。それが、ふわふわと宙に浮かんで、ラヴィの肩にちょこんと乗った。
「ねえねえラヴィ、外、ひさしぶり! やっぱり、外はいいねえ」
星界の高みでは、ミューはずっと内側に縮こまっていた。あの場所の静けさが、よほどこわかったのだろう。いまは、その反動みたいに、ラヴィの肩から手のひらへ、手のひらから肩へと、せわしなく飛びまわっている。
「あんまり遠くに行かないでね、ミュー」
「だいじょぶだいじょぶ!」
その賑やかさが、ラヴィには、なんだかうれしかった。
道は、進むほどに、いろいろな景色を見せた。
崩れた背の高い建物の群れ。そのとなりに、ふいに古い石畳の村が現れる。錆びた橋脚の下を、ひび割れた水路がくぐっていく。違う世界の切れ端を、むりやり一枚に縫い合わせたような眺め。——ピアの語った、あの神の仕業。いまのラヴィには、その景色の意味が、すこしだけわかるようになっていた。
ときおり、不思議な光が、ふわりと宙を漂っていた。だれかの遺した、声の名残。
ラヴィは歩きながら、そのいくつかに、そっと手を触れた。ふれるたびに、見も知らぬだれかの声が、ぽつ、ぽつと胸に流れこんでは、消えていく。だれかの、笑い声。だれかの、約束。——いつか交わされた、だれかの言葉たち。それでも、こうして触れると、なんだか、ひとりではない気がした。
一日目の夜は、崩れた建物の片隅で身を休めた。
崩れかけた壁が、風をいくらか防いでくれる。ラヴィは膝をかかえて座り、胸の奥のみんなと、ぽつぽつと話した。星界で見たこと。女王の話。あの、空を裂く線。——話すことは、たくさんあった。
「……ラヴィ」
ふと、ネオンが言った。
「お前は、よくやっているよ。——こんなところまで、たったひとりで」
「ひとりじゃ、ないよ」ラヴィは、ちいさく笑った。「みんな、いてくれるもん」
「……ああ。そうだな」
ネオンの声は、いつものぶっきらぼうで。けれど、その素っ気なさの奥に、ほんのすこしだけ、照れたようなやわらかさがにじんでいた。
ラヴィは、そっと胸に手を当てた。手のひらの下に、みんなの気配がある。それだけで、夜の冷たさも、すこしやわらいだ。
二日目。三日目。
ラヴィは、ただ歩いた。崩れた荒野を抜け、傾いた塔の影をくぐり、ひび割れた橋をわたる。脚は疲れたけれど、心細さはなかった。みんなが、いてくれる。その確かさが、一歩、また一歩を運んでくれた。
そして——四日目の昼すぎ。
道の先の景色が、ふいに変わった。
きらり、と。
なにかが、光を返したのだ。崩れた地面のあちこちに、ちいさな破片が散らばっている。ラヴィが近づいて、ひとつ拾いあげると——それは、つるりとした、透きとおる欠片だった。光をうけて、淡く色を含んでいる。
「……ガラス?」
「ふむ。——着いたようじゃな」ピアが言った。「ここが、硝子の国じゃ」
ラヴィは、顔をあげた。
行く手に、街並みが広がっていた。
崩れかけてはいるけれど、それは、ふつうの街だった。石を積んだ家。木の梁。ゆるくのぼる坂道。——けれど、ふつうと、ちがうところがあった。
家々の窓に、色のついたガラスが嵌めこまれている。赤、青、菫、琥珀。割れ残った窓が、午後の光を受けて、淡い色を地面に落としていた。街灯の笠も、ガラス。広場に立つ古い彫像は、半透明のガラスで彫られていて、光がそのなかを、すうっと通り抜けていく。
きっと、ここで暮らした人たちは。——このガラスを誇りにしていたのだろう。
ラヴィは、しずかに街を歩いた。
商店だったらしい建物が、軒をつらねている。その店先には、ガラスの器が並んでいた。壊れているものもある。けれど、いくつかは、いまも無傷のまま、ほこりをかぶって光っていた。誰も買う者のいなくなった品が、ただ、律儀に、そこにある。
鐘楼の高い窓も、色のついたガラスだった。傾いた陽が、そこを通って、足もとの石畳に、虹のような模様を落としている。
ラヴィの足音だけが、しんとした街路に、かつ、かつと、硬く響いた。
——と。
ラヴィの胸に、ふと不思議な引っかかりが残った。
足が、止まる。
「……ここ」
なんだろう。この感じ。
「知らないのに。——知ってる、気がする」
来たことなんて、あるはずがない。なのに、この街路の、この色ガラスの光の落ち方が。どこか、なつかしいような。胸の奥のいちばん深いところに、ほんのかすかな、さざなみが立ったような。
「……ほう」
胸の奥で、ピアが、なにかを思案するように、しばし黙りこんだ。
「もしや、ラヴィ。——お前さんに、縁のある場所、なのかもしれんな」
「縁……?」
「確かなことは、言えん。じゃが」いつものおどけた調子は、その声から、すっと消えていた。「お前さんの胸が、こうして何かに応えておる。——なら、この国は、丁寧に見ていく価値があろうて」
「……うん」
「ラヴィ」
こんどは、ネオンの声だった。
「お前が、自分のことを知るためなら。——私たちは、付き合うぞ」
その声は、ぶっきらぼうで。けれど、たしかな芯があった。
「うん!」ミューも、肩の上で声をあげる。「わたしも一緒だよ、ラヴィ! どこまでだって、ついてくもん!」
ラヴィの胸が、じんわりとあたたかくなった。
——わたしが、自分を知ること。
それは、いつのまにか、ラヴィひとりの願いでは、なくなっていた。みんなの目標になっていた。だれかが背中を押してくれる。それだけで、こわいことも、ちゃんと前を向ける気がした。
「……ありがとう。みんな」
ラヴィは、ちいさく笑って、また歩きだそうとした。
——その、ときだった。
ラヴィの胸の、いちばん奥。
とん、と。
なにかが、動いた。
ずっと、ずっと、深いところで眠っていた、だれか。それが、ふと、瞼をひらいたような。かすかな、ほんのかすかな、瞬き。——けれど、ラヴィには、それが、だれの気配なのか、わからなかった。
「……いま、なにか」
胸に手を当てて、ラヴィは、まわりを見まわす。けれど、なにも変わったことはない。色ガラスの光が、しずかに揺れているだけ。
気のせい、だろうか。
ラヴィは、ふと街並みの奥へ目をやった。
そこに——それは、あった。
ほかのどの建物よりも、大きく、高く。白い石を、几帳面に積みあげた、神殿のような建物。その屋根には、色とりどりのガラスが、ぐるりと飾られている。傾いた光をうけて、それは、しずかに、荘厳に輝いていた。
なぜだろう。
ラヴィの足は、もう、そちらへ向かっていた。
だれに教えられたわけでもない。なにに誘われたわけでもない。それなのに、足が、勝手に。まるで、見えない手に、そっと袖を引かれているみたいに。
ミューも、ネオンも、ピアも、なにも言わなかった。ただ、ラヴィの歩みに、しずかに寄り添っていた。
高い石の階段を、ゆっくりとのぼる。
のぼりきった先。大きな入口の上に、文字が刻まれていた。長い年月に、すこし掠れてはいたけれど。それでも、ラヴィには読めた。
——王家の、墓。
「……ここは」
ラヴィの胸の奥が、しんと冷えた。
けれど、それは、こわさだけではなかった。冷たいのに、どこか、あたたかい。さびしいのに、なつかしい。——なんと呼べばいいのか、わからない感情が、しずかに胸を満たしていく。
その正体を、ラヴィは、まだ、知らない。
ただ、たしかに。
——呼ばれている。
そんな気が、した。




