24_天にも昇る
崩れた街を、ラヴィたちはあとにした。
ミューを悼んだ、あの小さな墓標。それを背に、一歩ずつ離れていく。胸の奥には、もう、消えそうな心細さはない。みんなが、いてくれる。その確かさを抱いて、ラヴィは前へ進んだ。
「のう、ラヴィ。そろそろ、上を目指すぞ」
歩きながら、胸の奥でピアが言った。
「上……?」
「あの線を、覚えておろう」
言われて、ラヴィは空を見上げた。崩れかけた灰色の天の、その真ん中を、一筋の線がどこまでも走っている。線をはさんで、向こうの空の色が、ほんの少しだけ古びて見えた。旅のはじめから、ずっとそこにあった裂け目。
「お前の探しておる答えはな。この壊れきった地べたより、もっと世界の保たれた高みにある。……儂の、心当たりも、そこじゃ」
ピアの言葉は、いつものように、必要なことだけを淡々と。けれどその「心当たり」の一語に、ラヴィは、かすかな緊張を感じ取った。——もう一人の、わたし。その手がかりが、きっと、その高みにある。
「……うん。いこう」
道は、進むほどに荒れていった。崩壊は、ここまでのどこよりも激しい。地面は表面の色を失って、のっぺりと白い。建物は半ばから上が溶けたように消え、見えない床だけが宙に残る。歩くたび、足の裏が、あるはずのない段差を踏んだ。世界が、いよいよ、ほどけきろうとしていた。
その崩れの果てに——それは、あった。
崩れた一帯のただなかに、ぽつんと。古い、巨大な遺跡が、天へ向かって伸びている。
ぐるりと立ちならぶ、白い石の柱。それが幾重もの輪をなして、上へ、上へと積み重なり、いちばん高いところで、大きな環をかたちづくっていた。まわりがあれほど崩れているのに、そこだけは、ひびひとつない。まるで崩壊のほうが、この場所を避けて通ったみたいに。
「ここじゃ」ピアが言った。「ここから、上の圏へ昇れる」
ラヴィが遺跡に近づくと——ふと、あたりの空気が、ざわめいた。
崩れた街に漂っていた、あの不思議な光。いつもはまばらに瞬くだけのそれが、いくつも、いくつも、どこからともなく集まってくる。そして吸い寄せられるように、遺跡のいちばん上の大きな環へと、すうっと昇っていった。
環が、淡く光りはじめる。
「……わ」胸の奥で、ミューが声をあげた。「ねえ、ラヴィ。なんか……あったかい。あの光」
ミューにも、感じられるらしい。ネオンも、息をのむ気配がした。内なるみんなが、その光にそっと耳を澄ましている。
「ピアは、この光のことも、知ってるの……?」
「まあ、な。——よいか。乗れ」
言われるままに、ラヴィは遺跡の中心へ立った。
その瞬間。足もとから、淡い光が、ふわりと立ちのぼった。体が軽くなる。脱兎のときとも、ちがう。もっとしずかな浮力。ラヴィの体は、ゆっくりと地を離れていった。
下界が、遠ざかる。
崩れた街が、見る間に小さくなっていく。ほどけかけた地面も、溶けた建物も、ぜんぶ足の下へ。やがて、灰色の雲がすぐそばを流れはじめた。雲を抜ける。ひんやりとした霧が、頬を撫でていく。——そして。
ラヴィは、息をのんだ。
雲の上は、星の海だった。
どこまでも続く、深い藍色の空。そのいちめんに、数えきれない星がしずかに散らばっている。下界の崩れた灰色とは、まるでべつの世界。澄んで、静かで、おそろしいほどに美しい。
足の下に、あらたな地面が現れた。淡く透きとおる、白い石の床。そこへ、ラヴィはそっと降り立った。
あたりを見まわす。
星明かりが、斜めに差している。その光が、ラヴィの足もとに、長い影を落とした。やわらかな、淡い影。——そして、気づく。空の星が、止まっていない。ひとつ、またひとつ、定まった道筋を、ゆっくりと巡っている。風はないのに。まるで、大きな時計の中に迷いこんだみたいだった。
道の先には、庭があった。
色とりどりの花が、咲きみだれている。けれど、ふしぎだった。一輪も散っていない。風に揺れもしない。咲いたまま、ずっと、そこにある。そのかたわらでは、古い灯火が、誰も見ていないのに、しずかにともっていた。傷ひとつない泉が、こんこんと水をたたえ、流れつづけている。
——でも。
どこにも、誰もいない。
花を育てた人も。灯をともした人も。泉のほとりに腰かけた、誰かも。ぜんぶ、もう、いない。ただ、その人たちが遺したものだけが、こうしていつまでも、咲いて、灯って、流れている。
ラヴィの胸が、しんと痛んだ。あの水槽の魚と、同じだ。動いて、輝いて、それでも——からっぽ。けれど、ここのさびしさは、もっと深く、もっと静かだった。
どこか遠くで、鐘が鳴った気がした。撞かれた音ではない。いつか撞かれた音の、消えきらない余韻だけが、この高みに薄く漂っているような。
「うわぁ……っ!」
ふいに、胸の奥から、ぽんっと、ミューが飛び出した。ピキピキの姿で、ラヴィの頭の上へ。
「なにここ、なにここ! すごい、星がいっぱい……っ!」
ちいさな体で、星屑のあいだをくるくると舞う。さっきまで胸を浸していた、あの静かなさびしさを、ぱっと吹き散らすみたいに。ラヴィは、つい笑ってしまった。
「ミュー、あんまり遠くに行かないでね」
「だいじょぶ、だいじょ——」
と、ミューの声が、ふと途切れた。
くるくると舞っていた動きが、止まる。ピキピキのちいさな体が、何かを感じ取ったように、しん、と静まった。
「……なんか。ここ、しずかすぎる」
ぽつりと、ミューが言った。はしゃいだ声は、もう、どこにもない。
「きれいなのに……なんでだろ。ちょっと、こわい」
ラヴィも、同じだった。美しいのに、胸の奥がざわつく。ここには、何か——触れてはいけないような、大きな静けさが満ちている。
——と。
胸の奥で、ネオンが、ふいに黙りこんだ。
「ネオン……?」
ラヴィは、そっと呼びかけた。さっきまで、ミューの隣でぼやくように口を挟んでいたのに。いまは、何も言わない。ただ、その気配が、どこか遠くを見ているように揺れている。
「……いや」やがて、ネオンは、低く言った。「なんでも、ない。……ただ」
少し、間があった。
「……ここに来たことが、あるわけじゃない。たしかに。なのに——なんだろうな。胸の奥が、しめつけられる。なつかしいような。何か大事なものを、ずっと昔に、ここへ置いてきた、みたいな」
その声には、いつか整いすぎた崩落の跡で聞いた、あの戸惑いと似た色があった。けれど、あのときよりも、ずっと深い。ネオン自身にも、その正体はつかめていないようだった。
ラヴィは、何か言いたかった。けれど、うまく言葉にならない。——きっと、訊いてはいけないことだ。そんな気がした。だから、ただ、そっと胸に手を当てた。ここにいるよ、と伝えるみたいに。
ネオンは、それきり何も言わなかった。けれど、その気配が、ほんの少しだけやわらいだ気がした。
——と。
胸の奥で、ピアが、しずかに口をひらいた。
「ラヴィ。お前さん、この場所が何なのか。——知りたいか」
その声は、いつもの飄々とした調子のようでいて。どこか、これから大切な話をする者の、静かな重みをおびていた。
ラヴィは、星界の奥へ目をやった。古い、大きな建物の影が、星明かりのなかに、ぼんやりと浮かんでいる。
「うん。……教えて、ピア」
「よかろう」ピアは、ふっと笑った。「——この星界に、まつわる話を、ひとつしてやろう」




