20_メゾン
ひとしきりの騒ぎが落ち着いたころ。
ミューが改めてあたりを見回して、むうっと頬をふくらませた。
「……ねえ、ラヴィ。ここ、なんにもなくない?」
言われて、ラヴィもぐるりと内側を見渡した。確かに。果てのない薄明かりの空間に、ぽつんとネオンの部屋がひとつ浮かんでいるきり。あとは、ただ薄暗い光がどこまでも続いているだけだ。
「黒いのには部屋があるのに。あたしの寝るとこは? ねえ、あたしのは、ないの?」
「あ……」
そういえば、とラヴィは思った。いつだったか。ネオンのためにつよく想い描いて——気づけば、床と窓と寝台のある、ひとつの部屋を作ることができた。
なら。
「……作れる、かも」
ぽつりと、ラヴィは言った。
「みんなの部屋。ここ、わたしの内側だから。たぶん……ちゃんと想えば、ミューの部屋も、ピアの部屋も作れる」
「ほんと!?」ミューの目が、ぱあっと輝いた。「やった、やった! ねえ、作って! あたしの部屋、いますぐ!」
「ほう」
ふっと、薄明かりのなかにピアの姿が浮かんだ。腕を組み、いかにも面白そうに目を細めている。
「内側に家を建てる、か。——せいぜい、見物させてもらおうではないか」
ピアは、すっかり楽しむ気でいるらしかった。
「……えっと。じゃあ、やってみるね」
ラヴィはミューのとなりに立って、目を閉じた。ミューの部屋。ミューが喜ぶ部屋。——つよく想い描く。胸の奥から、あのときのあたたかい力が、すうっと満ちていく感覚。
そして、目を開けると。
「……うわ」
ミューが、ぽかんと口をあけた。
目の前にどんと現れていたのは——天井の見えないほど馬鹿でかい、宮殿のような大広間だった。きらきらした柱が何本も並び、ありえないほど豪奢なシャンデリアまでぶら下がっている。
「お、おっきすぎ……っ!」ミューがたじろいだ。「こんなの、落ち着かないよ……っ!」
「ご、ごめん。加減がよく分からなくて……っ」
ラヴィは慌てて、それを消そうとした。けれど今度は、なかなか消えてくれない。焦れば焦るほど、シャンデリアだけが、ぽん、ぽん、と数を増やしていく。
「ちょ……っ、増えてる、増えてる!」
「あ、あれ……っ!?」
「ぷっ……くくく」
ピアが、こらえきれずに噴き出した。
「いや、すまん。——なに、慣れよ、慣れ。最初からうまくやれる者などおらん。ほれ、力を抜いて、もう一度」
その面白がる声に、けれど、どこか励ますような響きもまじっていて。ラヴィはひとつ息を吐いて、肩の力を抜いた。
何度かやり直して。
ようやく、ミューの部屋がそれらしい形になってきた。けれど今度は、ミューの注文が次々とふくらんでいく。
「あ、ね、もっと高いとこがいい! 見晴らしのいい、てっぺん!」
「うん」
「それと、ふっかふかの、おっきい寝床! 飛びこんでも痛くないやつ!」
「うん、うん」
「あ、あと、あと——」
ミューは思いつくままに、あれもこれもと、はしゃいでいたけれど。
ふと、何かに気づいたように言葉を止めた。
それから、ちらりとラヴィを見て。もじもじと指先を合わせる。
「……あのさ。やっぱり、部屋、そんなに立派じゃなくていい」
「え?」
「あのね。——あたしの部屋、ラヴィの部屋のすぐ隣がいい。なんなら……ラヴィとおんなじ部屋でも、いい。だって……ひとりの部屋なんて広くたって、ラヴィがいないならさみしいもん」
上目づかいにそう言って、ミューはぱっと、ラヴィの腕にしがみついた。
「……ミュー」
ラヴィの胸が、じんとあたたかくなる。この子は。ほんとうにいつも、まっすぐにラヴィのそばを求めてくれる。
——でも。ふと、ラヴィの胸を、ちいさな不安がよぎった。わたしは、ずっとこの内側にいられるわけじゃない。外を歩いているあいだは、この子はここで、ひとりきりになってしまう。こんな調子で、寂しくはないだろうか。——だいじょうぶ、かな。
けれど、いまは。その心配をぐっと呑みこんで、ラヴィは優しく笑った。
「うん。——いいよ。じゃあ、ミューの部屋、わたしの隣に作ろうね」
「やった!」
「……おい。腕にひっつくな。歩きにくいだろう」
ネオンが、半眼で口を挟んだ。
「いいでしょ、べつに! あんたには関係ない! ……ていうか、黒いの。なんで、ずっとついてくるの?」
「お前が騒がしいから、見張っているんだ。——この、ちんちくりんが」
「ちんちくりんって言うなぁーっ!」
またしても火花を散らすふたり。ラヴィはあいだで、あはは、と笑うばかりだ。
「さて。次は、儂の番か?」
ピアが、悠々と進み出た。
「言うておくが。儂はどんな部屋でも構わんぞ。隅っこに寝床がひとつあればよい。——派手なものは、いらん」
口ではそう言って、素っ気なく肩をすくめる。
けれど、ラヴィは。ピアのために、ちゃんとした部屋を作りたかった。ミューを助けてくれた、この人のために。——ピアが心地よく過ごせる場所。ピアに似合う場所。それを胸に想い描く。
やがて、現れたのは。
落ち着いた淡い暗がりに沈んだ、静かな部屋だった。やわらかな灯りがひとつ。古い書物がぎっしりと並んだ棚。深く沈みこめそうな、ゆったりとしたひとり掛けの椅子。窓の外には、星屑のような光がちらちらと流れている。——どこか、浮き世から離れた場所のような。
ピアは、しばらくその部屋を眺めていた。
「……ふん。大げさな」
そう言いながらも、その足は自然と、あの椅子のほうへ向かっていた。腰をおろし、ふう、と息をつく。指先で本の背をそっとなぞる。——その横顔は、なんだか、ひどく満ち足りて見えた。
口で何と言おうと、やっぱりこの人の本心は、こういうところにこぼれてしまう。ラヴィは、ちいさく笑った。
「ピアにも、ちゃんとここに居てほしいから。——だから、作ったの」
ぽつりとそう言うと。
ピアの指が、ふと止まった。
ほんの一瞬。いつも飄々としたこの人が、珍しく言葉をなくしたように見えた。それから、ふいと顔を本のほうへそむける。
「……物好きな娘じゃ」
低い呟き。けれど、その声には、いつものからかうような棘がなかった。
それから、ラヴィはネオンのほうを振り向いた。
「ネオンの部屋も。せっかくだから、すこし手を入れよう? なにか、欲しいものある?」
「私は……今のままで構わない」ネオンは、ぶっきらぼうに言った。「べつに、不自由はしていない」
「でも」
ラヴィはネオンの部屋を見つめた。床と窓と寝台だけの、簡素な部屋。——きっとこの人は、自分から何かを欲しがったりはしないのだ。
だから、ラヴィのほうで想いをめぐらせる。ネオンが静かに過ごせるように。——刀を置ける場所を。ひとりで心を静められる、窓辺の席を。簡素なままに、けれど少しだけ居心地よく。
部屋が、静かに形を変えていく。
ネオンは、それを黙って見ていた。やがて、ぼそりと、
「……まあ。悪くはない」
それだけ言った。けれど、その耳の先が、また、ほんのり赤かった。
そうして。
最後に残ったのは——みんなで集まる場所。
「いちばん、大事なところだね」
ラヴィは呟いた。——いつだったか。旅の途中で見つけた、空き家の灯りの下。ミューとふたりで囲んだ、あたたかい夕餉。あの温もりみたいな場所を。——みんながいつでも集まれる場所を。
胸の奥から、これまででいちばんつよく、あたたかい力が満ちていく。
その手応えは、これまでとすこし違っていた。ただ、ぼんやりと形を結ぶのではなく。——もっと確かに。もっとしっかりと。薄明かりだけだった内側が、いま、確かな手ざわりをもって、ひとつの"場所"になっていく。
現れたのは、あたたかな灯りに満ちた、広すぎず狭すぎない居間だった。大きな丸いテーブル。ふかふかの、いくつもの椅子。隅には、小さな暖炉まである。
「わ……っ、あったかい……!」ミューが目を輝かせて駆けこんだ。「ねえ、ねえ、ここ、あたし、ここに座る! ラヴィのとなり!」
「猫娘。お前は、いちいちうるさい」
「あんたは隅っこでいいの! ね、ラヴィ、黒いのはいちばん遠くね!」
「勝手に決めるな」
わいわいと、椅子の取り合いがはじまる。ピアは悠然と、いちばん奥の椅子に腰かけて、そのありさまを肴に、ケラケラと笑っていた。
ラヴィは、その光景をしばらく、ただ見つめていた。
——できた。
みんなの部屋。みんなの居間。ラヴィの内側に、ちいさな、けれど、確かなすみかが。
かつて、ここには何もなかった。誰の声もしなかった。それがいまは、それぞれの部屋に灯りがともり、まんなかの居間には、笑い声が絶えない。——わたしの中に、帰る場所ができた。
胸が、いっぱいになる。
「——ふむ。なかなか立派になったではないか」
ピアが満足げに内側を見渡して、それから、にやりと笑った。
「よし。この住まいに、名をつけてやろう。——そうじゃな。『メゾン・ド・ラヴィ』、とでもしておくか」
「めぞん……?」ミューが首をかしげる。「なに、それ」
「『ラヴィの館』、とでもいう意味じゃよ。——どうじゃ。洒落ておろう」
「えーっ、なんか、気取ってる!」
「ふはは。よいではないか。家主の名を冠してやったのじゃ。ありがたく思え」
ピアは、すっかりごきげんだった。さっきから、ラヴィがあれこれと部屋を生み出すのを、この人はずっと、誰より面白がっている。
「メゾン・ド・ラヴィ、か」
ラヴィは、そのちょっと大げさな名前を、口のなかで転がしてみた。——なんだか、くすぐったい。でも。悪くない。
「……ふふ。うん。気に入った」
ふと。
ラヴィの視線が、居間の灯りから、すうっと外れた。
その先には、まだ何も作られていない、薄明かりの遠い暗がりが広がっている。しんと静かな空白。——なぜだろう。そこを見ていると、胸の奥が、ほんの少しざわついた。まるで、いつかそこにも、誰かが来るのを待っているような。
——けれど。
「ラヴィー! なにしてるの、早くこっち!」
ミューの明るい声に呼ばれて。ラヴィは、その淡いざわめきを、そっと胸の奥にしまった。
いまは。このあたたかな灯りの、まんなかへ。
「……うん。いま、行く」
ラヴィは笑って、みんなのいるテーブルのほうへ歩み寄った。
メゾン・ド・ラヴィ。ラヴィのちいさなおうちに、あたたかな笑い声が、いつまでもともり続けていた。




