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第114話「小さな一言の大きな意味」
朝の光が、ゆっくりと診療所の窓を満たしていく。
けれど、その朝はいつもと違っていた。
ミナは、口元にそっと手を当てたまま、何度も小さく息を吐く。
「……」
声が、出ない。
昨日の治療中、暴れた動物をかばった拍子に、口の中を切ってしまったのだ。大した傷ではない、とDr.は言ったけれど――話そうとすると、痛みが走る。
診療所の扉が開く音。
いつもなら、自然に出てくる言葉がある。
「おはようございます」
それが、どうしても言えなかった。
代わりにミナは、小さく頭を下げる。
Dr.は少しだけ目を細めて、それから静かに頷いた。
「……今日は、無理に話さなくていい」
動物たちが、いつものように集まってくる。
けれどミナは、声ではなく、手振りや表情でしか伝えられない。
それでも、通じることはある。
通じないことも、ある。
(ちゃんと、言いたいのに)
胸の奥に、もどかしさが溜まっていく。
――たった一言なのに。
――たった、それだけなのに。
数日後。
まだ少し痛むけれど、ミナは深く息を吸った。
そして、ほんの少し震える声で――
「……おはよう、ございます」
その言葉は、前よりもずっと、あたたかく響いた。




