第109話「こだわりの場所」
朝は、いつも通り。
「おはようございます」
ミナが扉を開ける。
「おはよう」
サクラギ先生が答える。
変わらない診察室。
その日の最初の患者は――
「この子、全然寝ないんです」
飼い主が差し出したのは、一匹のハリネズミ。
小さく丸まっている。
……ように見えるけど。
(……ねれない)
目はしっかり開いている。
「夜中ずっと動いてて」
「昼も落ち着かなくて」
ミナが覗き込む。
「ハリネズミって夜行性ですよね?」
「うん」
サクラギ先生が頷く。
「でも、これはちょっと違うね」
ハリネズミはもぞもぞ動く。
(……ちがう)
「何が違うの?」
(……ここじゃない)
「ここじゃない?」
ミナが首をかしげる。
「寝床、ありますよね?」
「はい、ちゃんと用意してます」
飼い主が写真を見せる。
ふかふかの布。
きれいに整えられた小さな家。
「すごくいい環境ですね」
「うん、むしろ良すぎるくらい」
サクラギ先生が言う。
「でも?」
ハリネズミが小さく動く。
(……ちがう)
「何が違うの?」
少し間。
(……おちつかない)
「どうして?」
ハリネズミはしばらく考えて――
(……かんぺきすぎる)
ミナが一瞬止まる。
「完璧すぎる?」
(……におい、ない)
「ああ」
サクラギ先生が小さく頷く。
「自分の匂いがついてないんだ」
「え?」
「きれいすぎて、落ち着かない」
飼い主が少し驚く。
「毎日掃除してて……」
「いいことなんですけどね」
ミナが苦笑する。
「やりすぎちゃった感じですか」
(……じぶんのばしょ、わからない)
ハリネズミが小さく丸くなる。
でも、落ち着かない。
「どうすればいいですか?」
「少しだけ、崩そう」
「崩す?」
「全部整えない」
「少し使った布とか、匂いが残るものを入れる」
ミナが頷く。
「あと、触りすぎないのも大事ですね」
「“自分で作る場所”を残す」
飼い主がゆっくり頷く。
「やってみます」
数日後。
再び来院。
「先生、寝ました」
少し嬉しそうに言う。
「ちゃんと丸まって」
ケースの中。
ハリネズミは、くしゃっとした布の中でぐっすりしている。
(……ここ)
安心しきった声。
ミナが小さく笑う。
「完璧じゃない方がいいこともあるんですね」
「うん」
サクラギ先生も頷く。
「少し乱れてるくらいが、ちょうどいい」
帰り際。
ハリネズミは起きない。
本当に、ぐっすり眠っている。
午後。
いつもの診察が続く。
元気な動物たち。
小さな悩み。
ちょっとしたズレ。
それを少し整えるだけで、
うまく回ることも多い。
夕方。
最後の患者を見送る。
扉が閉まる。
静寂。
ミナが診察室を見回す。
「ここ、ちゃんと散らかってますね」
「うん」
サクラギ先生が答える。
本は少しずれていて、
道具もきれいすぎない位置にある。
「これも計算ですか?」
「いや」
少し考えて、
「たぶん、結果」
ミナが笑う。
「いい感じの結果ですね」
窓の外は夕焼け。
整いすぎないことも、
安心のひとつ。
この診察室は、
きっちりしすぎず、
でも崩れすぎず、
ちょうどいい形で続いていく。
静かに、
少し軽くなった一日が終わった。




