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動物たちの言葉がわかる獣医と動物たちの楽園  作者: 1010
第1章 はじまりの時期 ミナ登場

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第108話「わかっているから」

朝は、いつも通り。


「おはようございます」


 ミナが扉を開ける。


「おはよう」


 サクラギ先生が答える。


 変わらない診察室。


 その日の患者は、一匹の老犬だった。


 ゆっくりと歩く。


 白くなった毛。


 穏やかな目。


「健康診断をお願いしたくて」


 飼い主が言う。


 声は落ち着いている。


 でも、少しだけ硬い。


「最近、よく寝るようになって」


「食事の量も少し減ってきていて」


 ミナがそっと近づく。


「こんにちは」


 老犬はゆっくり尻尾を振る。


(……ここ、しってる)


「来たことあるんだね」


(……むかし)


 サクラギ先生が静かに診る。


 心音。


 呼吸。


 体の動き。


 どれも、大きな異常はない。


 でも――


「少しずつ、だね」


 穏やかに言う。


 飼い主が小さく頷く。


「やっぱり……」


 言葉の先を、飲み込む。


 老犬は、静かに座っている。


(……だいじょうぶ)


「何が大丈夫なの?」


 ミナが聞く。


(……おわり、ちかい)


 静かな声。


 驚きはない。


 ただ、受け入れている。


 ミナが言葉を失う。


 サクラギ先生は、変わらない。


「怖くない?」


(……すこし)


「でも?」


(……このひと、いる)


 飼い主の方を見る。


 ゆっくりと尻尾を振る。


(……だから、いい)


 飼い主は気づいていない。


 ただ、優しく撫でている。


 その手が、少し震えている。


「先生……」


 小さな声。


「この子、まだ大丈夫ですよね」


 問いかけ。


 でも、確認でもある。


「うん」


 サクラギ先生は答える。


「今は、まだ一緒にいられる」


 はっきり言う。


 嘘はない。


 でも、全部も言わない。


 老犬は静かにしている。


(……いう?)


 サクラギ先生が、ほんの少しだけ目を細める。


「どうしたい?」


(……いわない)


「そっか」


(……このひと、かなしい)


「うん」


(……いまは、まだいい)


 選んでいる。


 わかっているからこそ。


 ミナが小さく息を吸う。


 何かを言いかけて、やめる。


 その代わり、そっと撫でる。


「いい子だね」


(……しってる)


 少しだけ誇らしげ。


 診察が終わる。


「無理させずに、いつも通り過ごしてください」


 サクラギ先生が言う。


「好きなことを、できる範囲で」


 飼い主が頷く。


「はい」


 リードを持つ手が、少しだけ強い。


 帰り際。


 老犬は一度だけ診察室を見回す。


(……ここも、おわりがある)


 でも、悲しくはない。


 ただ、ひとつの場所として記憶している。


 扉の前で止まる。


 飼い主を見上げる。


(……もうすこし)


 そして、歩き出す。


 午後。


 いつもの診察が続く。


 元気な動物たち。


 小さな違和感。


 いつも通りのやり取り。


 でも、その中に、


 静かな終わりの気配も、確かに混ざっている。


 夕方。


 最後の患者を見送る。


 扉が閉まる。


 静寂。


 ミナがぽつりと言う。


「……わかってるんですね」


「うん」


「言わないのも、やさしさなんですね」


「そうだね」


 サクラギ先生は窓の外を見る。


「全部伝えることだけが、正解じゃない」


 ミナが少しだけ目を伏せる。


「でも、ちょっと寂しいです」


「うん」


 否定しない。


「それも、ちゃんと大事」


 窓の外は夕焼け。


 終わりを知っている時間と、


 知らないまま過ごす時間。


 どちらも同じように流れていく。


 この診察室は、


 始まりも、


 途中も、


 そして終わりも、


 静かに受け止める場所だった。


 夕暮れの光の中、


 言葉にしないやさしさを残して、


 今日も一日が終わった。

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