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動物たちの言葉がわかる獣医と動物たちの楽園  作者: 1010
第1章 はじまりの時期 ミナ登場

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第106話「ちょうどいい距離」

朝は、いつも通り。


「おはようございます」


 ミナが扉を開ける。


「おはよう」


 サクラギ先生が答える。


 変わらない診察室。


 その日の患者は、一匹の大型犬だった。


「この子、すごくいい子なんですけど……」


 飼い主が少し困ったように言う。


「全然甘えてこなくて」


 黒いラブラドール。


 体は大きいのに、静かに座っている。


 視線は優しい。


 でも、少しだけ距離がある。


(……だいじょうぶ)


 落ち着いた声。


「呼べば来るし、言うことも聞くし」


「でも、自分から来ないんです」


 ミナがしゃがむ。


「どうしたの?」


 ラブラドールは少しだけ尻尾を振る。


 でも、近づかない。


(……じゃましない)


「邪魔?」


 サクラギ先生が聞く。


(……いそがしそう)


 飼い主が少し驚く。


「え?」


「いや、そんなこと……」


 少し考える。


「でも、仕事は忙しくて」


「帰りも遅い日が多いです」


「家でも、疲れてそのまま寝ちゃうことがあって」


 ミナがそっと犬を見る。


 ラブラドールは静かに座ったまま。


(……やすんでほしい)


「だから、行かないのか」


 サクラギ先生が言う。


(……うん)


「呼ばれたら行く」


(……それならいい)


「でも、自分からは行かない」


(……がまんする)


 飼い主の表情が、少しだけ曇る。


「……そんなつもりじゃ」


 ラブラドールは穏やかにこちらを見る。


(……わかってる)


 責める気配はない。


 ただ、選んでいるだけ。


「どうしたらいいですか」


 飼い主が静かに聞く。


「このままだと、かわいそうで」


「無理に変えなくていい」


 サクラギ先生は言う。


「この子のやり方は、ちゃんと優しさだから」


 ラブラドールの耳が少し動く。


「でも」


 少しだけ続ける。


「遠慮しなくていいって、教えてあげよう」


「どうやって?」


「“来てほしい”を、はっきり出す」


 ミナが頷く。


「遠慮してる子って、察しちゃうから」


「ちゃんと言わないと、ずっと引いちゃうんです」


 飼い主がゆっくりラブラドールを見る。


 少し迷って――


 手を伸ばす。


「……来ていいよ」


 静かな声。


 でも、今までよりまっすぐ。


 ラブラドールは動かない。


(……いいの?)


「いいよ」


 今度は、少しだけ強く言う。


「来てほしい」


 その一言。


 ラブラドールの尻尾が、大きく揺れる。


 ゆっくり立ち上がる。


 一歩。


 また一歩。


 そして、飼い主のそばに来る。


 大きな体を、そっと預ける。


(……ちょっとだけ)


 控えめな重さ。


 でも、確かな甘え。


 飼い主が小さく笑う。


「重いな……」


 でも、その手は優しく撫でている。


「全然、邪魔じゃないよ」


 ラブラドールの目が、少しだけ緩む。


(……そっか)


 ミナがほっとしたように息を吐く。


「来れましたね」


「うん」


 サクラギ先生も頷く。


 帰り際。


 ラブラドールは自然に飼い主の隣を歩く。


 少しだけ距離が近い。


 でも、無理はしていない。


 午後。


 いつもの診察が続く。


 それぞれの優しさ。


 それぞれの遠慮。


 重なったり、すれ違ったりしながら、


 少しずつ整っていく。


 夕方。


 最後の患者を見送る。


 扉が閉まる。


 静寂。


 ミナがぽつりと言う。


「優しいと、遠慮しちゃうんですね」


「うん」


「人も同じかも」


「そうだね」


 サクラギ先生は診察台に手を置く。


「だから、言わないといけない」


「来ていいって」


 ミナが少し笑う。


「シンプルですね」


「うん」


 短い答え。


 でも、それで十分だった。


 窓の外は夕焼け。


 近づくことも、


 離れることも、


 どちらも選べる距離。


 この診察室は、


 その“ちょうどいい”を見つける場所だった。


 静かに、


 あたたかい一日が終わった。

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