第105話「伝わっているつもり」
朝は、いつも通り。
「おはようございます」
ミナが扉を開ける。
「おはよう」
サクラギ先生が答える。
診察室も、変わらない。
その日の患者は、一匹のインコだった。
「この子、最近すごく鳴くんです」
飼い主が少し困ったように言う。
「前はこんなに鳴かなかったのに」
ケージの中で、インコがこちらを見る。
(……ちがう)
はっきりした声。
「ご近所にも迷惑で……」
「叱ると、もっと鳴いて」
ミナがケージに顔を近づける。
「どうしたの?」
インコは少し羽を広げる。
(……よんでる)
「呼んでる?」
サクラギ先生が静かに聞く。
(……いるよって)
「誰に?」
(……このひと)
インコは飼い主を見る。
飼い主は気づかない。
「先生?」
「うん」
サクラギ先生は頷く。
「この子、伝えてるつもりみたいだ」
「伝えてる?」
「“ここにいるよ”って」
飼い主が戸惑う。
「え……でも、ずっと一緒にいますし」
「家でもちゃんと見てます」
(……みてない)
インコが小さく言う。
ミナが少しだけ目を細める。
「最近、何か変わりました?」
「えっと……」
少し考える。
「あ、在宅で仕事するようになって」
「家にはずっといるんですけど、忙しくて」
キーボードを打つ仕草をする。
「前より遊ぶ時間は減ったかも」
「なるほど」
サクラギ先生は頷く。
「距離が近くなって、関わる時間が減った」
「え?」
「いるけど、向いてない」
短い説明。
飼い主が少し黙る。
インコが小さく鳴く。
(……みて)
その声は強くない。
でも、繰り返される。
「鳴くのは、困らせたいからじゃないよ」
「うん」
「気づいてほしいだけ」
飼い主がケージを見る。
少しだけ、表情が変わる。
「……そうだったのか」
インコがじっと見返す。
(……いる?)
サクラギ先生が静かに言う。
「少しだけでいい」
「時間を作って、“ちゃんと向く”」
ミナが続ける。
「話しかけるとか、目を合わせるとか」
「短くてもいいから」
飼い主はゆっくり頷く。
「やってみます」
ケージに近づく。
少しぎこちなく。
「……おいで」
インコが首を傾げる。
そして、少しだけ近づく。
(……いいかも)
小さな変化。
でも、確かな一歩。
帰り際。
インコは一度だけ鳴く。
でも、その声は少し違う。
(……とどいた)
ミナが笑う。
「さっきと違いますね」
「うん」
サクラギ先生も頷く。
午後。
いつもの診察が続く。
それぞれの違和感。
それぞれのすれ違い。
大きくない。
でも、放っておくと少しずつ広がるもの。
ここでは、それを少しだけ整える。
夕方。
最後の患者を見送る。
扉が閉まる。
静寂。
ミナがぽつりと言う。
「伝わってると思ってても、違うことありますね」
「うん」
「逆もある」
「え?」
「伝えてるつもりで、伝わってない」
ミナが少し笑う。
「難しいですね」
「でも、直せる」
短い言葉。
それで十分だった。
窓の外は夕焼け。
言葉があっても、
なくても、
すれ違うことはある。
でも、少し向きを変えれば、
ちゃんと届くこともある。
この診察室は、
その“少し”を整える場所だった。
静かに、
やわらかな一日が終わった。




