私は涙にくれる
「追い出されちゃったわね」
「……追い出されました」
事件発生から二時間後。到着した二宮警部補を始めとした警察関係者によって、クランドたちはセイジの部屋から叩き出されていた。
いくら事件を解決した前歴があっても、クランドはただの学生でしかない。故に捜査に協力など許されないし、そもそも一般人に捜査内容を漏らすことすら許されないのだ。
だから仕方ないとクランドも納得……
「……聞き込みに行きます」
……していなかった。
「聞き込みって……誰に?」
「とりあえずは宮藤さん。容疑者が絞り込めるようなら、一人一人に話を聞いていきます」
「……そういうのは警察の仕事でしょう。深海くんがやる必要は無いわ」
「あるんです。個人的な理由で」
「え?」
はっきりと断言したクランドに、ユウリは目を瞬かせる。
「深山先生は先に帰ってください。危険ですから」
「あっちょっと深海くん!?」
呼び止める声を無視して、クランドはショウキを探す。
焦りと怒りが彼の心を急かしていた。
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ほどなくして、クランドは宮藤と学内のカフェで落ち合わせていた。
ショウキも軽い取調べを受けたらしく、セイジの死は知っていたようだが、やはりその顔には影が濃かった。
「……それで、話っていうのは何かなクランドくん?」
それでも笑ってみせるショウキは、中々意思が座っているといった印象だ。
この青年は普段いくらおちゃらけていても、人前では本当の意味で感情を露にすることは無いのだろう。
「宮藤先生に恨みがある人に心当たりは?」
「……いきなり主題の提示かい? 君らしいというか、そういえばベートーベンなんてあだ名なんだっけ」
「分不相応なことに」
実のところ、クランドはベートーベンというあだ名を結構気に入っていたりする。
同時に自分などがベートーベンを名乗るのはおこがましいとも思っているのだが。
「恨みねえ。あれは自殺じゃないとクランドくんは思ってると」
「はい」
「しかし恨みねえ。……あの通り穏やかな人だったし、恨まれるなら逆恨みかな。思いつくところで三人」
「三人?」
すぐに思いついたにしては多い。ショウキが言うように、セイジは穏やかな人柄で恨まれるような人間ではない。
にも拘らず三人とは、人間関係というのはやはり複雑ということだろうか。
「まずは教授の関谷さん。元々父さんと同期なんだけどね、一時期は距離を置いてたそうだよ」
「何故?」
「嫉妬だよ。かたや伝説とすら呼ばれたピアニスト。かたやしがない大学教授。大学教授も捨てたもんじゃないと僕は思うけどね。関谷さんのプライド的には許せない壁だったみたいだよ」
「……」
嫉妬。クランドには理解しがたい感情だ。
クランドは他人への興味が薄いし、他人が自分より優れていても、それを羨んだり妬んだりする感情の動きも乏しい。
だが、理解できなくともそういう感情があるのは分かる。故にクランドは関谷教授の事を頭の片隅に置いておくことにした。
「次は神前ユイさん」
「……人を恨むような人には見えませんでしたけど」
「まあ確かに、恨んでたら口に出して言うねあの子は。でも相手はあの宮藤セイジだよ? 文句なんていえると思うかい?」
「納得しました。それで、理由は?」
「ああ、ユイさんは一度父さんに弟子入りを断られてるんだよ」
意外な事実にクランドは驚き、しかし納得する部分もあった。
クランドを宮藤セイジに会わせると聞いたとき、彼女はかなり怒っていた。
あれはクランドがさらに成長する機会を与えられてという事以上に、自身が逃したものを手に入れようとしている事への嫉妬があったのかもしれない。
「しかし、神前さんの実力的には申し分ないはずですが」
「だからこそ……かな。父さんが言うには、ああいうタイプの子は師は導く程度で、別段優秀じゃなくても良いんだってさ。放っておいても勝手に成長するって」
「でも神前さん自身は納得しなかった」
「かもしれないって事。さすがに天下の宮藤セイジについて、大っぴらに文句を言えるわけがないしね」
そしてそのフラストレーションを発散できないからこそ、積もり積もった怨嗟があったかもしれない。
あくまで可能性の話だが。
「最後は……深山ユウリ」
「……え?」
よく知る人の名前が出て、クランドは驚いて目を見開いた。
「君もそういう顔するんだね。よっぽど意外だった?」
「……いえ、それで理由は」
「うん。彼女今は声楽を専攻してるけど、元はピアノが専門だったんだよ。そして父さんの弟子の中でも、二十年ぶりの天才だって誉めそやされてた。
一部じゃ宮藤セイジの後継者とまで言われてたくらいだよ。うん、あの頃は僕も楽でよかったなあ」
ユウリの過去に、クランドはそれほど驚きは無かった。
確かにユウリは普段の話し方からして、声楽の才能や技術もかなり高いことが分かる。
しかしそれ以上に、クランドのピアノの技術を細かく見抜く感性があった。自身もピアノに習熟していなければ分からないレベルの事までだ。
「……ピアノをやめた事に宮藤先生が関わっていると?」
「事故で怪我をしたって、よくある話だよ。もっとも事故にあったのがピアニストで、怪我をしたのが手だったとなると、よくある話ではなくなるのかな」
そこまで聞いて、クランドは大体の事情を察した。
しかしまだ何があるか分からないと思い、ショウキに話の続きを促す。
「詳しい経緯は知らないけど、深山さんは右手の指を何本か複雑骨折をして、神経のほうもヤバイ状態だったらしい。
医学の発達した時代だ。治るのに時間はそれほどかからなかったけど、ピアニスト、特に僕たちみたいな発展途上な人間にとっては、それは一ヶ月や一週間でも致命的だ。
一日休めば三日遅れるってのは嘘でも冗談でもない。まして一度指がぶっ壊れたも同然なんだ。怪我が治っても、深山さんの『音』は戻ってこなかった」
それはどれほどの絶望だっただろうか。
生涯を捧げるほどに、時と努力を尽くして、宝といえる結晶となったそれを一瞬で奪われる。
人生を否定されたに等しい。もしそうなったら、自殺したっておかしくはないだろう。
「でも、父さんはそんな深山さんを励まし続けた。自分の弟子として扱い続けた。……周囲がどう思ってるかも気づかずにね」
「……」
善意が必ずしも良い結果をもたらすとは限らない。
きっとユウリは、セイジの献身のせいでさらに傷付いたのだろう。
自分にとって全てと言っていいものを失い、周囲の人間には手の平を返され、悪意でもって裏切られた。
クランドはユウリのあの社交的な性格が、どこか痛々しいものに感じられていた。
それはそういった事情があったからなのかもしれない。友好的に振舞いながらも、いつ裏切られるのかとユウリは怯えているのかもしれない。
「まあつまりは、僕が深山さんに嫌われてるのもその辺りのせいなんだろうね。深山さんが怪我をして『宮藤セイジの後継者』の座は、当たり前のように僕の下に転がってきた。
本当に、どいつもこいつも勝手だよ。ユウリさんに嫌われるくらいなら、僕はそんなもの欲しくは無かったのにね」
そう言って笑うショウキの表情は、今まで見たこと無いほどに悲しげなものだった。




