何でもない日の事
雨漏りをする屋根の修繕工事が終わるまでと言う期限付きで部屋を借りていた福屋から、普一さんに半ば強制的に長屋に連れ帰られて数日たった。
特別何も無く穏やかな日々が続いていた。一つ気掛かりが有るとすれば変な噂が立った事だろうか。
(・・・・やっぱり長屋に帰ってきた時の格好が良くなかった)
米俵の様に担がれての帰還は、近隣住民の想像力をいたく刺激したらしく、口々にいろいろな事を言っているようで、例えば、「痴情の縺れから逃げた十和を無理やり普一が連れ戻した」なんて言うのはまだ可愛い方で、中には口にするのも憚られるモノもあるらしい。
行き成り現れ甚平長屋に住み着いた私を不思議に思っていた人達が主な噂の出所だろうと思われた。少し不快では有るけれど私個人に悪意があると言う感じではないので放っておくことにしている。
まぁ、所詮は噂、直ぐ消える。何時ものとおりにしているのが一番だ、と思い今日は井戸端で髪を洗う事にした。
――――ザッパァァーー・・・・
この数ヶ月で使い慣れたつるべから盥に水を移すと、自分の着物に飛沫が飛び、あせた布の色を変えた。盛りは過ぎたものの未だ暑い日が続く、今日は特に良い天気だから放って置いても直ぐに乾くだろう。
「どっこいしょっ ! あぁ、腰にクるわぁ・・」
予想以上につるべは重い。
当たり前なのだが井戸のつるべ、盥、桶、身の回りにある水周りの生活必需品は殆んどが木で出来ている。どれもコレも見た目より頑丈さを重視している為どっしりとしていて重い。プラスチックと違って木は水気を吸うので、ただでさえ重いそれらはもっと重くなり、水を満たした盥なんかは私には持ち上がらない程だ。
だから私は髪を洗う時は、井戸端の周辺で済ませる事にしている。
その時は濡れないように着物の首周りを緩めて肌蹴させているが、胸にゆったり目だがさらしを巻いているから別段恥ずかしくは無い。
「おっ ! お十和だ。何してんだ」
「してんだ」
「何してるって頭を洗っているに決まっているでしょ。大根を洗っているように見える ? 」
髪を濯いでいる私の後ろから良く知った子供の声。態々、顔を上げなくても分かる。隣の家の次男ニノ助と、兄の口真似を何時もしている三男、三ノ助だ。
「なぁ、お十和。どっか遊びに行かねぇか ? 」
「いかねぇか」
「駄目。髪を洗っているって言っているでしょ ? ふのりが落ちなくて大変なのよ・・・」
主に鬢付け油を落とす為に使われるふのりだが、頭皮油も幾分落ちる。
けれど、ぬめるぬると髪に絡んで落とすのが面倒で、残っていたりすると乾いてカベカベ。おまけに臭くなるから手抜きは出来ない。
私が視線も上げずに髪を流す作業を熱心に続けていると子供二人が地面を踏みしめ騒ぎ出した。
ドタドタと踏み締めるたび、コンクリートやアスファルトで整えられている筈も無い剥き出しの地面が抉れ、湿った土が飛ぶ。
子供の駄々は過去も未来も変わらない。
「行こうよぉ~行こうよぉ~」
「行くたいよぉー」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
この二人は一度構うと際限無くはしゃぐので、こういう場合は無視に限る。見ない聞かない触らない。
「そんなに念入りに洗ったって、どうせ誰も見てねぇよぉ ~」
「見てねぇ ~」
・・・・・・・・・・・む、無視に限る。平常心。平常心だ自分。
「そういえばさぁ、お十和。お前って『親の借金の型に売られて江戸に来たくせに不義密通のし放題の上、家出して連れ戻された』って話になっているぞ」
「なっ ! 何それっ ! 誰が言ったのっ ! 」
「蜆売りのおっさん」
噂は尾ひれ背びれをくっ付けて好き勝手に世間様の間を泳ぎまくっているようだ。
いろいろな噂があるのは知っていたが、まさか、こんな子供の耳にまで入っているとは思ってもみなかった。
(…不義密通の意味も分かっているかどうかも怪しい歳の子供に、いったいなにを言ってるの)
だいたい意味が分かっていた場合、本気にしたらどうするのだ ! こいつ等は口から先に生まれてきた様な子供らだ。そこいら中に話しをばら撒くに決まっている。
「そ、それは違うからね ? 嘘だからね ? 本気にしないでよ ? 」
急いで髪を流しながら、恐る恐る訂正をする。下を向いたままなので二人の表情から、その噂をどう思っているか読み取る事が出来ない。
「そんなの知ってる。嘘の噂に決まってるさ」
「ニノ助っ、 えらーいっ ! 」
――――小さくても聡い子。なんて良い子なんでしょうッ ! ちゃんと私を理解していてくれたんだねっ !
喜ぶ私の中のニノ助株が一気に跳ね上がるがしかし・・・・・・・・
「お十和がそんなにもてるわけ無いじゃん」
「なっ ! 」
頭の後ろで手を組みケロッとした口調で奴が言う。その可愛くない言動に折角上がったニノ助株が大暴落。
――――しかし、何と言う言い草っ ? ! そりゃ今まで異性にもてたためしは無いけどさっ !
頭に来たのでふのり混じりの水を盥からすくって二人の声がする方へ投げ掛けてやった。私はまだ頭を下げたままなので命中したかは分からなかったが、二人が慌てて逃げる音で少し溜飲を下げた。
「げっ ! やめろよっ ! 」
「わぁ ! 兄ちゃぁんっ 」
「うっさいのよ、ちびジャリがっ 」
腹立ちまぎれに思わず巻き舌で悪態を付くと下の弟三ノ助がニノ助に言う。
「兄ちゃん。お十和は優しくないね。他のおねぇちゃんは皆優しいのにね」
「ああそうだよな。お都瀬とか、お律とか、お文とか、お咲とか、お公とか、お文とか、お佳代とか、お雪とか、あとは・・・・・」
――――あ、あんた、どんだけ顔が広いのよっ !
しかも美人って評判の女の人ばっかりじゃないっ !
「あとは・・」の後にも長々と続く女の名前に、この子供の行動範囲の広さが伺えた。呆れつつも将来が心配だと思う私を余所に、三ノ助が尚もニノ助に訴える。
「皆優しいよね。三ノ助のこと撫でてくれるし。やさしーく、やさしーく、撫でてくれるよね」
「しょうがねぇよ、こいつは女じゃねぇんだから」
「はぁっ ! ? 何処がよっ ! どっからみても女でしょうがっ ! 」
聞き捨てなら無い言葉を吐いた悪餓鬼に汚れた盥水を集中放水。
たけど相手ははしゃぐ声を上げ、堪えた様子は皆無。
おかしい。段々と子鬼達の思惑道理りなりつつある ?
「じゃぁ、女だって言う証拠は ? 」
「しょうこーー」
調子に乗った二人が井戸の陰に隠れ益々可愛くない事を言う。彼らは私の事を大人では無く、大きな身体の子供だと思っている。なのでその言動、行動に年上を敬う色は全く無い。
でもまぁ・・・・ついつい彼らの挑発に乗ってしまう私も悪いんだけど・・・。
「む、胸とか ? 」
「無いじゃん。」
「たいら」
「あのね・・・・言って置くけど今のこの胸は仮の姿だからね ? 私の本気はこんなものじゃないんだからね ? 実は凄いんだから」
さらしを巻いているから平らに見えるだけだと念を押す。
子供っぽい、女らしくないとは言われ慣れているけれど「女じゃない」と言い切られてしまうと流石に焦る。
日頃、身形に気を使わない私だっていちを女だ。羞恥心も有れば矜持もある。
「じゃあ、見せろよ ! 」
「しょうこーー」
「いーーわよっ ! 見せるわよ ! 腰抜かすなよぉぉっ ! ちびっ子がぁ ! 」
髪を絞り水気を切った後、襟が濡れない様に緩めていた胸元を子供二人の声がする方へ向かって開いてやった。
それはもう、思いっきりと。
景気良くガバッと。
「ほらっ ! 」と。
男と女の区別も未だつかなそうな子供に、さらしを巻いた胸元を見られた位、何でも無いと思ったのだ。大した事ではないと。
しかし、私が着物を開いた方向に居たのはニノ助、三ノ助だけではなくて・・・・・・・。
「あっっ・・・・・何っなにをっ・・・・っっ」
「あ、あれ ? 新介君。居たの ? 」
ニノ助たちの兄の新介が居た。
弟二人の頭越しにこっちを向き目を見開いたまま固まっている。どんどん彼の顔が赤くなっていくのを感じて、私としては「やっちまったな・・・・」と内心ビクつく。この新介には常日頃から小言を言われまくっている。主に生活態度と『慎み』と言う難解な問題で。
不味いなぁと思っていると子供二人が騒ぎ出した。
「兄ちゃんのスケベーっ ! お十和のおっぱい見て赤くなってるーー ! 」
「すーけーべー」
「 ! ! 」
弟二人の戯言が駄目押しになったらしく、父親とは似ていない理知的な顔が限界まで赤くなった。無言でぶるぶると震える骨ばった肩が彼の怒りを現している様で、この後の壮絶な小言が恐い。きっと暫らく続くだろう。
何とか弁解をと開いた着物を正しながら彼に向き合う。
「あ、あのね、これはね・・・・・・」
「ちっちがっ ! 俺違うっ ! 違うんだっ ! 見てないっ いや、見たけどっ、そんなんじゃないんだっ ! 見たいと思ったことなんか無いんだっ ! 違うちがうっ、ちがーーーーうっっ ! ! 」
「えぇっ ! ちょっと新介君っ ? ! 」
私が声を掛けると、乱心している彼は理解不能な言葉を発っしながら長屋の入り口の方へと駆けて行ってしまった。
途中、どぶ川に嵌りながら・・・・・・・・。
あの足はちゃんと洗うのかしらと心配だが、小言攻めを回避出来たのでホッと胸を撫で下ろす。でもいつ彼が正気を取り戻すか分からない。ここは早々に撤退するのが良いだろう。
使い終わった盥や桶を回収しようと立ち上がる。
「お十和さぁ、あんまり家の兄ちゃんを苛めんなよなぁ ~ 」
「兄ちゃん可哀想」
「あんた等に言われたくないっっ ! 」
二人目掛けて盥の水を今度は両手で思いっきり引っ掛けてやる。
きゃあきゃあ、はしゃぎながら逃げ回る子供を追い掛け、濡れ髪を振り乱し井戸端を駆けずり回った。
私の意識を自分達に向ける事に成功した二人は満足そうな顔だ。何だか釈然としない気もするが、私にはこの弾ける笑顔に水を差すことは出来そうに無い。
まぁ、ここは一先ず良しとしようか。
暫らく三人で井戸端を占領して遊んでいると長屋から子供らの母親、おトメさんが出て来た。
四人の子持ちだけあって堂々たる貫禄。しかし聞けば歳はまだ四十には大分あると言う。
私の感覚からだと、かなり若いうちに出産したのだなと感じるが、この時代だと至って普通らしい。
そのおトメさんが濡れ鼠になっている私達3人の前まで来て小首を傾げる。
「ねぇ新介が真っ赤な顔で走って行ったんだけど、どうかしたのかい ?」
「さっ、さぁ・・・・ ? 」
ニノ助、三ノ助のじと~っとした視線が私に集中する。つまり「お前のせいだ」と言っているのだ。
――――やめなさいよっ、そのジト目はっ ! 元はと言えばあんたらのせいでしょうがっ。今度絶対酷い目にあわせてやるからなぁ ! ・・ああ、其れより今は話を逸らさなきゃっ。
「そ、それよりおトメさん。髪を結い直したの ? 」
取り合えず目に付いた事を言ってみた。
おトメさんは何時もよりこざっぱりとした髪をしていたのだ。うなじの解れ髪も綺麗に纏められ結い上げられている。
では手に持っている水の入った桶は鬢付け油を洗ったものだろうか。
「そうなの久しぶりにね。今、家に女髪結いが来ているんだけど、お十和ちゃんもどう ? 結ってもらったら ? 」
「え ? 私が ? 」
髪を結う ?
この時代の人と同じに ?
番外編を入れないと凄く久しぶりの更新になってしまいました。実はそうは見えないかと思いますが物語の折り返し地点を曲がって来ています。後半戦です。亀の歩みですが頑張ります。




