9話 血の香りと痛み
「……ッ!」
周囲に充満した濃厚な血の香りに思わずえづきそうになるが、下唇を噛み締め堪える。
扉の向こう側は、どう見ても屋内ではなかった。
(転移部屋か)
所謂ワープポイントだ。
ロボが操作していたダイヤルは座標を合わせるための物だろう。
どうやらここは『境界の森』の入り口付近らしい。
周りでは何人もの魔族がモンスターたちと戦っていた。
血まみれで呻いている者、四肢の一部が欠損している者、そして恐らくもう死んでいる者もいる。
戦況は目に見えて悪い。
ヒトクチ、ゲルタイラント、エビルワーム、それにあれはキングべヒーモス…?
こいつらは本来、1度のスタンピードで1、2体しか現れない『第五危険度』のモンスターだったはずだ。
基本的に数字が大きければ大きいほど強力なモンスターであることの証左になるこの『討伐危険度』だが、第五危険度ともなれば英雄が出向かなければならないレベル。
そんな奴らが当然のようにそこらを闊歩している。
まるで玩具で遊ぶような気軽さで魔族の冒険者たちを蹂躙していた。
ドシャッ
キングベヒーモスにかち上げられたエルフが少し離れた場所に落ちた。
今にも漏れ出しそうな感情を飲み込む。
アイテムボックスから緑色の結晶を1つ取り出し、それを空へ放り投げる。
『恵みの雨』
本来は一定範囲内の人族だけを選別して回復させる高級アイテムだが、どうやら今回は魔族にも効果があるらしい。
魔族たちの傷が治っていくのが確認できた。
(ある意味賭けみたいな物だったが、効果があってよかった…)
高いからねアレ。
それから間髪入れずに黒曜の英雄スキルを使用する。
「取り込め【漆黒の監獄】」
俺の目の前に巨大なブラックホールが現れ、周辺のモンスターを次々と飲み込んでいく。
第五危険度のモンスターが何体いようと関係ない。
これはそういうスキルなのだから。
全てのモンスターが飲み込まれたのを確認してから俺もそこに飛び込んだ。
後ろから何か聞こえた気がするが、今の俺にはそこまで気にする余裕は無かった。
【漆黒の監獄】はどんな数、どんな強さのモンスターも暗黒空間に飲み込む強力な俺専用のスキルだがもちろん欠点がある。
スキルの使用者もその中に入らなければその空間は維持できない。
その空間を維持している間は飲み込んだ相手の数、強さに応じて自身の魔力を消費し続ける。
この空間から出る方法は俺が死ぬか、俺の魔力が尽きるか、俺がスキルを解除するか。
暗闇の中に浮かび上がる巨大な砂時計がタイムリミットだ。
実に分かりやすくていい。
「お前たちは喋れたりするのか?」
一応聞いてみたが耳障りな鳴き声しか返って来ない。
どうやら魔族の言葉は分かるようになってもモンスターの言葉は分からないらしい。
耳障りな音を撒き散らしながら襲い掛かってくるモンスターたちを見て俺は恐怖を感じていた。
しかしそれ以上に。
「ならよかった」
俺は安堵していた。
同じ生き物を殺すのでも、同じ言語を話す相手を殺すよりかは遥かにマシだ。
エンドレスダークを身に纏い、モンスター達を迎撃する。
巨大な蚯蚓のようなエビルワームが吐き出した溶解液を弾き飛ばし横から回り込もうとしてきたヒトクチにぶつけた。
ヒトクチはくぐもった悲鳴を上げながら痙攣している。
こいつは大きな口が特徴で何でも食べる悪食モンスターなのでまずはその口を塞がせてもらおう。
「切り開け【リベリオン】」
エンドレスダークの一部を黒い片手剣に変形させ、エビルワームを輪切りにする。
他の群がるモンスターも片っ端から切り伏せた。
「掻き消せ【黒炎砲】」
目の前に立ちふさがるゲルタイラントにはエンドレスダークの胸元を展開し、黒い炎を浴びせ一気に蒸発させた。
こいつに物理的な攻撃は効かない。
さらに高速回復能力を持っているため高火力で片付けなければジリ貧になる。
正面から口を塞がれたヒトクチが向かって来るが、最大の武器である口はもう封じたので足を払ってから背中を突き刺す。
凄まじい悲鳴を上げ赤い血が噴水のように吹き上がり顔にかかった。
温かい、赤い血だ。
再び吐き気がこみ上げてくると同時に全身に衝撃が走る。
気がつくと俺は宙を舞っていた。
「馬鹿か、まだ終わってねえだろうが……ッ!」
下ではキングベヒーモスが血走った目で俺が落ちるのを待ち構えている。
反省して、次に活かせ。負ければ次なんて無いんだぞ。
俺は体中が軋むのを無視して空中で体制を立て直し、踵を大きく振り上げた。
「踏み砕け【アギト】ッ!!」
踵から禍々しい牙が突き出す。
それをキングベヒーモスの額に叩き付け、そのまま一気に引き摺り下ろす。
こいつも断末魔の叫びをあげながら血を噴き出し、その場に倒れ伏した。
その血はやはり、赤かった。
砂時計に目をやるとまだ半分以上残っている。
全身が熱い、痛い。
キングベヒーモスから受けた一撃は完全に余計だった。
冷静であれば問題なく対処できたはず。
『油断して死にました』じゃ目も当てられない。
ゲームでは何度でも復活できたが…。
いや、この世界をゲームの世界と同様に考えるのは止めた方がいいだろう。
あの謎の女性二人は俺がこの世界を1度『制覇』していると言っていた。
だから俺は当然のようにこの世界は『Truth story』の世界と同じ物だと信じて疑わなかったが、俺の知っているゲームの世界とこちらの世界はほとんど同じだが重要な点に違いがある。
六英雄が何故6人とも召喚されているのか、魔族の言葉が何故人族である俺に理解できるのか、俺は何故ファンタズムではなくヘルへヴンに召喚されたのか、これらの大きな疑問は決して無視することはできない。
「ベースが同じだと言うのがより一層たちが悪い」
これでは自分が持っている事前知識のどれが正しいのか慎重に判断しなければならないではないか。
あとはこの世界の命は元の世界と同じように1つだけだと考えたほうがいいだろう。
蘇生アイテムはいくつか所持しているが、試しに1度死ぬ訳にもいかないからな。
死んだら、終わり。
今までの人生と何も変わらない。
ただ命の危険が桁違いに跳ね上がっただけだ。
そんなことを考えながら俺は取り出したポーションを飲み干した。




