68話 汚泥に沈む
「思ったより状況が悪いな」
すでに戦況は魔族側の劣勢からモンスター側による蹂躙へと移行していた。
恐らく『統率者』によるモンスターのさらなる活性化と、魔族たちの疲労がピークに達したタイミングが重なってしまったのだろう。
辿り着いた目的地では、もはやろくに反撃もできない魔族たちが今にもモンスターの波に飲まれそうになっていた。
「縫い留めろ【奈落の鎖縛】」
俺は迷わず英雄スキルを発動する。
今にもその獰猛な牙や爪を魔族たちに突きたてようとしていたモンスターの動きが止まった。
地面に浮かび上がる魔方陣から飛び出した鎖が次々に連中を絡め取り、引きずり倒す。
空を飛んでいたモンスターも当然例外ではない。
無駄に頭数が多い目玉をギョロつかせた怪鳥どもにも鎖が伸び、その翼を砕いて地上に引き摺り下ろす。
今モンスター側の攻勢を止めなければ、魔族側は全滅しかねない。
未知のモンスターの出現という不安要素がある以上、彼女たちには一人でも多く生き残ってもらわなくては。
「誰、だ……?」
「人族が何で……」
モンスターたちの動きが止まった事で何人かの魔族が俺に気づいたようだが、いちいち彼女らの相手をしている暇は無い。
いくら『代償の指輪』により消費する魔力のリミッターが外れているとはいえ、後日一定期間魔力の回復ができなくなることを考えると無駄遣いはできない。
今の状況を乗り切るために多少のリスクを負う事は覚悟しているが、長期間無防備な状態が続くのは極力避けたい。
エンドレスダークを片手剣『リベリオン』に変形させ、その黒刃を振るう。
動きを封じられたモンスターを一方的に、容易く葬るがいかんせん数が多い。
『黒炎砲』で一気に焼却したいところだが、先ほどの区画での状況とは違い既に満身創痍の今の彼女たちに自力で撤退する術は無い。
彼女たちの身の安全まで保証する余裕が無かったと言えば、ここで俺がモンスターもろとも彼女たちに【黒炎砲】を放つこともできるのではないか?
そうすれば俺の負担も大きく減る。
そもそも周囲に気を使わなければ『代償の指輪』を使って自らリスクを背負ってまで戦術の幅を狭める必要も無い。
俺という戦力をレイラがどこまで高く評価しているのかは分からないが、俺がファンタズム側に付くことだけは避けたいはずだ。
以前自分以外の六英雄との戦闘で彼女たちの強さは嫌と言うほど理解できた。
そこに自分が加われば多少のイレギュラーなど関係なく、ヘルへヴンを蹂躙する事もできるだろう。
俺は別に何かのスキルや魔道具で縛られているわけでもなければ、ヘルへヴンに対して愛着があるわけでもない。
あるのは俺が労働を提供し、それに対してレイラが報酬を支払うといった口頭での契約のみ。
であればわざわざ自分を迫害するこの国のためにリスクを背負ってまで働く必要など…。
淡々とモンスターの命を刈り取りながらふと、自分の考え方が良くない方向に向かっている事に気がつく。
自分が至った考えに僅かに困惑する。
状況は確かに良いとは言えないが、仮にもヘルへヴンと協力関係にあるのだから可能な限り彼女たちを救援する義務があるはずだ。
それに自分でもスタンピードの円滑な対処のために彼女たちを少しでも多く生き残らせる事が自分のためにもなると答えが出ていたはずだ。
最近自分の思考にぶれのような物を感じる事が増えた気がする。
俺はここまで考え方が右往左往するような人間だったのだろうか。
何かが視界の端に映った。
足元を見ると、首と胴体を切り離してなお動き続けるモンスターの頭が蠢いていた。
俺はそれを踏み潰す。
腐った果実を潰したような、軽い、そして不快な感触が足から伝わってくる。
あのまま元の世界にいられたら、こんな感触を経験する事もなく平和に生涯を全うする事ができたのかもしれない。
その時、俺の横を凄まじい速さで巨大な塊が通過し、次の瞬間轟音と共に背後の大木に打ち付けられた。
空気が揺れるほどの勢いだ。
俺は本能的に背後で大木に打ち付けられた何かではなく、それが飛んできた方向にある何かに対して身構える。
本来であれば正体も分からない物に背中を向けるのは自殺行為だが、俺の中の危機察知センサーはそちらを無視してでも前方の何かを警戒するように訴えかけてくる。
それは確かに人の形をしていた。
今まで戦ってきたモンスターたちと違い、人型で透き通るような白い肌、美しい金色の髪、抜群のプロポーション、儚げで芸術品のような整った顔立ち。
そして頭の上には天使を思わせるような光輪が浮かんでいる。
かつて俺がいた世界のどれほど美しいモデルでも裸足で逃げ出すような美しい女性が、そこには立っていた。
体が緊張で震えそうになる。
しかしこれは相手が絶世の美女だから、などと言った馬鹿げた理由からではない。
見た目はどう見てもモンスターなどではなく、人族や魔族よりの人型でありながら明らかに自分とは別種の存在であることが理解できたからこそ、認識の歪みが俺を恐怖させた。
「アレク!!」
背後でロボの声が聞こえる。
ここまで彼女の焦りが伝わってくるのは初めてだ。
その反応からして先ほど吹っ飛んできた物は、彼女の知り合いなのかもしれない。
しかし俺は振り返ることができない。
今俺が最優先で対処すべきは目の前の怪物だ。




