第三話
宇宙暦四五二五年七月八日。
スヴァローグ帝国保安局長ヨシフ・プーシキンはこの状況に困惑していた。
(あのピョートルがまた暴走した。奴を早急に始末した方がよいが、その前にアレクサンドルを排除せねばならぬ。だが、さすがに守りが堅い……)
一月にアレクサンドルを暗殺しようとしたのは彼とピョートルだった。保安局が暗殺者を用意し、ダジボーグ藩王家の親衛隊をピョートルが引き離した上で、アレクサンドルを暗殺する予定だった。
しかし、ピョートルが強引に進めようとした結果、親衛隊が警戒を強めたため、中途半端な結果に終わってしまった。
今回もニコライを呼び寄せ、共闘を呼び掛ける予定だったが、ニコライを嫌うピョートルがアラロフに暗殺を命じてしまったのだ。
アラロフはこのタイミングでニコライを暗殺することに必ずしも賛成ではなかった。
ダジボーグ星系が回復しておらず、内戦になった場合に苦戦することは必至だからだ。しかし、考えを変えた。
(内戦が起きなくとも、ダジボーグが回復するには十年以上掛かります。皇太子殿下はともかく、皇孫殿下による帝国の統一を目指すのであれば、一旦ダジボーグを切り捨て、スヴァローグを掌握することに注力した方が建設的ですね。そのためにはまず皇帝陛下の権力基盤を崩し、相対的に皇太子殿下の権力が大きくなるようにした方がよいでしょう。それにこれを成功させれば、殿下は私を重用してくださるでしょう。その方が、後が楽になります……)
アラロフはスヴァローグ皇家の血を引くピョートルの子、皇孫コンスタンティンによる帝国の統一を目指していた。そのため、必ずしもダジボーグに拘る必要はないと割り切ったのだ。
彼は皇太子の名を使い、ダジボーグ藩王家の工作員を配下に引き込むことに成功する。工作員が万全の準備を行ったところで、ダジボーグ愛国党の狂信者に暗殺を命じ、成功させた。
プーシキンはアラロフより悲観的だった。
(このままでは内戦になってしまう。ニコライの仇を討つという大義名分をあるストリボーグに対し、我がスヴァローグはダジボーグ人の皇帝のために戦うことになるのだ。当然士気は上がらん……)
数年前まで戦っていたため、スヴァローグ艦隊の将兵の多くがアレクサンドルに心から忠誠を誓っていない。
(次のストリボーグ藩王のイワンは若いが有能だ。ニコライに不満を持ちながらもピョートルのように感情に任せて動くことなく、時機を窺っていたのだからな。奴なら自由星系国家連合やアルビオン王国を引き込み、決戦を強いて来るだろう……)
プーシキンはニコライの嫡男イワンについて情報を得ていた。そのため、イワンがニコライ以上に危険だと気づいている。もっとも皇帝にはその情報のすべてを上げることなく、若さが目立つ人物として報告していた。これは皇帝がストリボーグを過度に警戒することを防ぎ、油断させるという意味があった。
(アラロフがあの阿呆に何か吹き込んだのかもしれんが、今は奴に構っている暇はない。内戦を防ぐことに全力を投入せねばならんのだから……)
プーシキンには明確な目的があった。それは“スヴァローグ皇家の銀河帝国”を守るということだ。
そして、その目的のためなら汚名を被ることも辞さない。
彼は先々代の皇帝ヴィクトール十一世、先代のルドルフ六世に仕えたが、ヴィクトールはともかく、ルドルフは臆病で無能であり、野心家であるアレクサンドルやニコライに対抗できるとは思えなかった。
このままではスヴァローグはダジボーグかストリボーグに吸収されるだけだと強い危機感を持った。
ルドルフには期待できないが、彼は諦めなかった。
スヴァローグ星系に攻め込まれた際、早々にスヴァローグ皇家を裏切り、戦闘を回避させたのだ。これにより、スヴァローグ星系は人的にも物的にも大きな損害を出さず、国力の低下を防ぐことに成功する。
彼の裏切りにより、内戦は五年以上短くなったと言われ、アレクサンドルもその功績を無視できなかった。
彼はアレクサンドルにエカテリーナをピョートルの妻とし、その皇子がいずれに皇帝になるのであれば、スヴァローグ人を掌握できると提案した。これはアレクサンドルの考えと一致しており、すぐに採用された。
アレクサンドルは自分があと二十年、ピョートルが更に二十年皇帝の座にあれば、ダジボーグ藩王家による支配を既成事実化することができ、スヴァローグとダジボーグの統合が可能だと考えていた。
しかし、プーシキンは別の考えを持っていた。
それは皇子が生まれた後、アレクサンドルとピョートルを暗殺し、皇子を即位させつつ、エカテリーナを摂政とするというものだ。これにより皇子にはダジボーグ藩王家の血は流れているものの、スヴァローグ皇家とスヴァローグ人が帝国を取り戻したことになる。
幼い皇帝はもちろん、エカテリーナも傀儡として、自分が陰から支配する。この方法が最も帝国を安定させることができると考えたのだ。
(皇帝に頭を下げさせるしかない。問題はあの阿呆だ。このままではカラエフも協力しないと脅して大人しくさせるしかないな……)
そんなことを考えていると、皇帝の秘書官が執務室に飛び込んできた。
「大至急、陛下の御前に来るようにとのことだ」
ダジボーグ人である秘書官は敗戦国人であるスヴァローグ人であり、禿げ頭の小男であるプーシキンを見下している。
「承りました。ご用件はニコライ藩王のことですな」
プーシキンは秘書官が要件を言い忘れたことを糾弾することなく、愛想笑いを浮かべて確認する。
「そ、その通りだ。急げ」
急ぎ足で皇帝の執務室に入るが、そこには苦悩するアレクサンドルの姿があった。
(頭を悩ませているようだな。まあ、私も頭が痛いのだが……)
そんなことを考えているが、表面上はうっすらと笑みを浮かべたままだ。
「お呼びとのことでしたが?」
プーシキンが声を掛けると、皇帝は彼に強い視線を向ける。
「ニコライが殺された。それも宇宙港でだ。保安局は何をしていた? いや、何の目的でこのようなことを許した?」
皇帝もプーシキンが命じたことではないと考えたが、保安局の目を掻い潜って暗殺が可能とは考えていなかった。そのため、プーシキンが黙認したと判断したのだ。
「保安局が後手に回ったことは謝罪いたします。ですが、今回の件に小職を含め、保安局は一切関与しておりません。ニコライ藩王閣下を殺めることが帝国のためにならぬからです」
「では、ピョートルが独断で行ったと。あれに単独であれほどのことができるとは思えぬ。誰が手を貸したのだ? その目星は付いておるはずだ」
皇帝はそう言ってプーシキンを睨む。
「皇太子殿下が関与しているという情報は持ち合わせておりません。但し、殿下が元補佐官であるアラロフ殿にお会いになっていること、アラロフ殿がダジボーグ愛国党に接触しているという情報は掴んでおります」
プーシキンはアラロフが障害になると考えていた。そもそもダジボーグ人が信用できないことがあるが、自身と同じような非情さを持つアラロフが危険だと判断していたのだ。そのため、アレクサンドルに排除させるべく、アラロフが関与したと匂わせる。
「アラロフがピョートルに……それは真か!」
皇帝は元腹心が裏切ったことに強い怒りを見せる。
「皇太子殿下に密かに会っていることは事実です。ですが、これは陛下がお命じになったことではないのですか?」
プーシキンはアレクサンドルとアラロフの関係が破綻したことに気づいているが、アラロフが特殊な任務に就いているのではないかと示唆する。
これはアレクサンドルがプーシキンを信用しておらず、すべての事実を伝えていないためで、それを逆手に取った形だ。
「そのようなことはない。すぐに捕えよ」
「御意」
プーシキンは慇懃に答えたが、すぐに難しいことを伝える。
「しかしながら、アラロフ殿はダジボーグ軍情報部と連携しているように見受けられます。保安局より情報部に捕縛を命じた方が確実ではありますまいか」
「情報部と連携だと……分かった。そのように手配する……」
この時、アレクサンドルは情報部にも疑念を抱いてしまった。
(ニコライを暗殺したのは情報部の可能性が高い。だとすると、余が倒れている間にピョートルが情報部を掌握したと考えることもできる……ピョートルだけなら無理だが、アラロフが手を貸したのであれば、あり得ないことではない……プーシキンやピョートルだけでなく、共に死線を潜ってきたダジボーグ軍すら信用できぬ。誰を信じたらよいのだ……)
アレクサンドルは体調がよくないこともあり、判断力は落ちたままだ。そのため、疑念を覚えると悲観的な思考に陥っていく。
この体調不良だが、銃撃を受けた後遺症と言われている。しかし、これはプーシキンが侍医に手を回し、意図的に体調不良を起こさせていた。
アレクサンドルに信用されていない彼では直接侍医に手を回すことは不可能だが、皇妃クリシュティナを懐柔した。
クリシュティナは息子であるピョートルを溺愛しており、夫アレクサンドルがたびたび息子を叱責していることを苦々しく思っていた。
それでもアレクサンドルの権力が盤石なうちは我慢していた。しかし、ダジボーグ会戦で歴史的な敗北を喫した上、王国やFSUを混乱させる謀略にも失敗し、嘲笑の対象になっていると聞き、夫を排除し息子を玉座に就けることを考え始めた。
これはプーシキンが巧みに誘導した結果だった。
その後、アレクサンドルはストリボーグ艦隊に対し、ニコライの死亡と襲撃に対して謝罪を表明した。
『……安全であるはずの帝都において、ニコライ殿がテロリストの襲撃を受けたことに対し、すべての責任を持つ皇帝として謝罪する。しかしながら、これは余が望んだことではなく、不幸な事故である。彼の遺体を遺族である藩王家に引き渡すと共に、弔意を表すため、帝国全土において、本通達を受けた後、三日間の喪に服すことを命じる……』
皇帝が謝罪したことに多くの者が驚くが、ストリボーグ艦隊司令官であり、ニコライの側近であるティホン・レプス上級大将は激怒する。
「藩王閣下のお命を奪っておいて、それだけで済むと思っているのか!」
怒りは見せるものの、一個艦隊では何もできないと考え、遺体を受け取ってストリボーグに帰還することを決める。
しかし、レプスはこのまま引き下がるつもりはなかった。皇帝の主力であるスヴァローグ艦隊の将兵に疑念を抱かせることにしたのだ。
「閣下の仇は必ず取る! スヴァローグ艦隊の諸君らもよく考えることだ! このようなことを平気で行う者に至高の座を許してよいのかと!」
今回の事件に対し、スヴァローグ人たちはアレクサンドルに対する評価を更に下げた。
(あの皇帝には付いていけぬ。だが、スヴァローグ皇家の方々はほとんど残っていない……だからと言って、コンスタンティン様に今すぐ即位していただくことがよいとは思えぬ。何と言ってもあの保安局長が絡んでいるのだから……)
総司令官であるリューリク・カラエフ上級大将を始め、ほとんどのスヴァローグ軍人が同じことを考えていた。彼らは前皇帝を裏切ったプーシキンら保安局を信用していなかったのだ。
レプスもそのことは十分に承知しており、今後の布石とするため、このような発言をしたのだ。
帝国は野心家たちの無軌道な暗躍により、混沌とした状況に陥っていった。




