第7話 星を読む者
一、読めない記録
坑道の依頼から、三日が過ぎた。
僕は安宿の一室で机に向かっていた。
目の前に広げているのは銀霜の坑道で見つけた、あの紙切れだ。
魔石の違法採掘の現場に残されていた、墨書きの記録。
何度見ても、その内容は解けなかった。
数字と記号の羅列。
一部はこの世界の共通語で書かれた数量らしき
記述——「魔石・小・三十」「魔石・中・十二」といった、取引の記録のようなもの。
問題はその横に並ぶ見慣れない文字だった。
流れるような、曲線的な文字。
共通語のアルファベットとはまるで違う。
【解析眼】を向けてみる。
『文字(古代アストレア語)/判読不能/注釈:現代では失われた言語』
……古代アストレア語。
この世界の、はるか昔の言語。
今では誰も読めない、失われた文字。
アストの記憶を辿っても、手がかりはない。
ノクトゥルナ家で受けたわずかな教育の中にも古代語なんて含まれていなかった。
「……お手上げ、か」
数量の記録は読める。
だが、その隣の古代語が何を意味するのか——取引相手の名前か、場所か、あるいは別の何かか——それが分からなければ、この記録の本当の意味には辿り着けない。
魔石を違法に掘って、誰かに売っていた。
それは分かる。
でも、「誰に」が分からない。
その「誰に」こそがこの事件の核心のはずなのに。
僕は紙切れを置いて天井を見上げた。
ギルドには坑道の調査結果として、違法採掘の痕跡と証拠品の存在を報告してある。
だが、ギルドも騎士団も「古代語が読める人間がいない」と言って、解読は保留になっていた。
このまま放置すれば、犯人たちは別の場所で同じことを続けるだろう。
……自分で、なんとかするしかない。
問題はどうやって古代語を読むか、だ。
二、星を読む者
翌朝、僕はギルドのエリスさんに相談した。
「古代アストレア語を読める人、ですか……」
エリスさんは、少し考え込んだ。
「うーん。学者さんなら、王立学院にいるかもしれませんけど……でも、学院は紹介状がないと門前払いですし、平民や冒険者には冷たいって評判で」
王立学院。
その名前に、僕は内心、少しだけ身構えた。
アストの記憶では、この国の最高学府であり、同時に、権威と差別の象徴のような場所だ。
「他に、心当たりは?」
「あ……そういえば」
エリスさんが、ぽんと手を打った。
「王都の外れに、古い図書館があるんです。あんまり人が行かない、ひっそりした場所なんですけど。そこの司書さんが、ものすごく物知りで、古い言葉も読めるって噂で……ただ」
「ただ?」
「その人、ちょっと変わり者っていうか……訳ありらしくて。学院を追い出された人だとか、いろいろ噂があって。みんな、あんまり近づかないんです」
学院を追い出された。
その一言に、なぜか引っかかるものを感じた。
「行ってみます。場所を教えてください」
* * *
王都の外れの図書館は、本当にひっそりとしていた。
古い石造りの建物。
蔦が壁を這い、看板の文字も半ば消えかかっている。扉を押すと、軋んだ音とともに、埃と古い紙の匂いが流れ出てきた。
中は薄暗く、天井まで届く書架が、迷路のように並んでいた。
人の気配はない。
「……すみません。誰か、いますか」
声をかけながら、奥へ進む。
書架の隙間を抜けると、窓から差し込む光の中に、小さな閲覧机があった。
その机に向かって、一人の少女が座っていた。
青みがかった銀色の髪。
夜空のような、不思議な色合い。
それが肩の下まで、まっすぐに伸びている。
俯いて本を読む横顔は、白く、整っていた。
鼻筋に、銀縁の眼鏡。
歳は、僕より少し上——十七歳くらいだろうか。
彼女は僕が近づいても顔を上げなかった。
完全に本の世界に没入している。
声をかけるのが躊躇われるほどに。
【解析眼】を向けてみる。
『ステラ・ノクス/』
そこで、表示が滲んだ。
『——対象の情報を、一部読み取れません。』
ロジーやガイウスの時とは、少し違う。
あれは「レベルが高すぎて」だった。
だが今回は——なんというか情報そのものが霞がかかったように曖昧だった。
妙だ。
この痩せた少女が。
三、追われる司書
声をかけようとした、その時だった。
図書館の入口の方から、荒々しい足音が複数、響いてきた。
「おい、いるんだろう。ステラ・ノクス」
野太い男の声。
少女——ステラが、初めて顔を上げた。
深い青の瞳が、わずかに揺れる。
だが、彼女は無言で本を閉じ、静かに立ち上がった。
書架の陰から、三人の男が現れた。
身なりは悪くないが、目つきが鋭い。
商人の用心棒、あるいはそれに類する連中だ。
僕は咄嗟に、近くの書架の陰に身を隠した。
「探したぞ。学院を追われた『異端の天才』様が、こんなところに隠れてたとはな」
先頭の男が、にやにやと笑った。
「うちの旦那が、あんたの『知識』にご用がある。古い文字を読めるんだろう? ちょいと付き合ってもらおうか」
「……お断りします」
ステラの声は、思いのほか、しっかりしていた。
静かだが、芯がある。
「私はもう誰かのために知識を使うつもりはありません。特に後ろ暗いことに使う気は」
「後ろ暗い、ねえ」
男が一歩踏み出した。
「そいつは聞き捨てならねえな。まるで、うちの旦那が悪事を働いてるみたいじゃねえか」
「違うのですか?」
ステラは退かなかった。
「魔石の不正な取引。その記録の解読を、私に依頼しようとした。一度目は断りました。なのに、また来た。……正規の取引なら、わざわざ追放された私のところへ来る必要はないはずです」
……魔石の不正な取引。
僕の心臓が跳ねた。
懐の紙切れ。
あの違法採掘の記録。
それと、繋がっている——?
男の表情から、笑みが消えた。
「口の減らねえ女だ。旦那は穏便に頼みたいって言ってたが……少し痛い目を見た方が、素直になるか?」
男がステラの腕を掴もうと、手を伸ばした。
ステラは身を引いたが、書架に阻まれて、逃げ場がない。
——考えるより先に、体が動いていた。
四、奪われた者たち
僕は書架の陰から飛び出して、近くの閲覧机にあった燭台を掴んだ。
火は灯っていない。
だが、ろうそくの蝋がたっぷり残っている。
【解析眼】が、周囲の情報を一瞬で映す。
『床(古い木材/乾燥)/書架(紙束・極めて燃えやすい)』
……いや、ここで火は使えない。
図書館だ。
一歩間違えば、貴重な本が全部燃える。
それに僕自身も巻き込まれる。
火以外。
視線を走らせる。
男たちの足元、窓から差し込む光、埃の舞う空気——
机の上に、白い粉の入った小瓶があった。【解析眼】が告げる。
『乾燥剤(石灰)/古文書の湿気取り用』
石灰。
これだ。
僕は燭台を投げ捨て、小瓶を掴むと、栓を抜いて、男たちの顔めがけて中身を撒いた。
白い粉が、宙に舞う。
「うわっ!? な、なんだ!?」
「目が——目が痛え!」
石灰は、目や粘膜に入ると強い刺激を与える。
失明させるほどではないが数分は目を開けていられない。
男たちが、 顔を押さえて怯んだ隙に僕はステラの手を取った。
「こっちへ!」
「えっ……あ、あなたは——」
「説明は後で! 走れますか!」
僕はステラを引いて、書架の迷路を駆け抜けた。
地理は分からないが、【解析眼】で空気の流れを読めば外気が入ってくる方向——出口がわかる。
裏口から二人で図書館を飛び出した。
しばらく路地を走り男たちの声が聞こえなくなっ頃、僕たちは古い井戸の脇で足を止めた。
ステラが肩で息をしながら、僕を見た。
深い青の瞳がまっすぐにこちらを向いている。
「……あなた、何者ですか」
「アスト。冒険者です」
「冒険者が、なぜ、私を助けたのですか?」
僕は、少し迷ってから、懐の紙切れを取り出した。
「あなたが言っていた、魔石の不正な取引。……たぶん、僕が追っているものと、同じです」
ステラの目がその紙切れに釘付けになった。
「それ……どこで」
「廃坑の違法採掘の現場で。でも、肝心なところが古代アストレア語で書かれていて、読めなくて」
ステラは震える手で紙切れを受け取った。
食い入るように文字を追う。
そして——その瞳が、大きく見開かれた。
「……これは」
彼女が低く呟いた。
「ただの取引記録じゃない。これは——『星の名前』を、隠語に使っている」
「星の名前?」
「古代アストレア語の星座の呼び名です。これを暗号として使っているということは……書いた人間は、古代の天文知識を知っている」
ステラが顔を上げた。
その表情はもう怯えた追われ人のものではなかった。
知識に飢えた者の強い光を宿した目だった。
「あなた、この記録の出所を知っているのですね。……取引きしましょう」
「取引き?」
「私が、この暗号を解読します。その代わり——」
ステラは、眼鏡の奥の瞳で、僕をじっと見据えた。
「あなたが、なぜ古代語の混じった記録を『読めない』と言いながら、化学反応を熟知しているのか。さっきの、石灰の使い方。あれは、知識のない人間にはできない。……あなたの『知識』の正体を、私に見せてください」
僕は、息を呑んだ。
——見抜かれている。
完全にはないにせよ。
この少女はただ者じゃない。
「……お互い、訳ありみたいですね」
僕がそう言うと、ステラはほんの少しだけ、唇の端を上げた。
「ええ。私は学院を追われた身。あなたは、正体を隠している冒険者。……奪われた者同士、利害は一致しそうです」
奪われた者同士。
その言葉が妙に胸に残った。
夕暮れの光の中で、僕たちはまだ名前以外の何も知らないまま、奇妙な共犯関係を結んだ。
——星を読む少女、ステラ・ノクス。
彼女との出会いがこの先どれほど大きな意味を持つことになるのか。
この時の僕は、まだ知らない。




