第8話 星の隠語
一、解読のはじまり
翌日の午後、僕は再びあの図書館を訪れた。
昨日の騒ぎの後ステラは「あの連中は当分戻ってこない」と言った。
用心棒に逃げられたと知れば雇い主はしばらく様子を見るはずだ、と。
その読みはいかにも理屈っぽくてどこかロジーさんを思い出させた。
奥の閲覧机でステラは僕を待っていた。
眼鏡の奥の深い青の瞳が僕が差し出した紙切れにまっすぐ注がれる。
「もう一度、見せてください。今度は、じっくりと」
僕は紙切れを机に広げた。
数量の記録と、その隣に並ぶ、流れるような古代アストレア語。
ステラは羽根ペンと白紙を用意して文字を一つずつ書き写し始めた。
その手つきには一切の迷いがない。
「……綺麗な字ですね」
「古代語は、線の角度一つで意味が変わります。雑に書けば、誤読する」
彼女は顔も上げずに言った。
「この文字体系は、星の運行を記録するために生まれたものです。だから、規則的で、美しい。……書いた人間も、それを知っている」
「どういう意味ですか」
「この記録を書いた人物は、古代語を正しく学んでいる、ということです。我流ではない。きちんとした教育を受けた者の筆跡です」
僕は息を呑んだ。
きちんとした教育。
この世界で、古代アストレア語をまともに学べる場所は——限られている。
「……王立学院、とか?」
ステラの手が一瞬止まった。
「ええ。古代語を体系的に教えているのは、私の知る限り、王立学院の神秘学部門だけです」
彼女の声がわずかに低くなった。
「私が、追放された場所です」
二、星の隠語
ステラは書き写した古代語を一文字ずつ指でなぞりながら解読を進めた。
「この記録は二層構造になっています」
彼女が説明を始めた。
「表の層は共通語で書かれた数量。『魔石・小・三十』『魔石・中・十二』——これは、誰が見ても採掘量の記録だと分かる。隠す気のない部分です」
「裏の層が、古代語?」
「そう。そして、この古代語は——星座の名前を、別の意味に置き換えて使っています」
ステラは一つの単語を指した。
「たとえば、これ。古代語で『天の竜』と読みます。本来は、北の空に横たわる星座の名前。でも、この記録の中では——」
彼女は少し考えて、続けた。
「文脈から見て、これは『場所』を指す隠語です。竜の星座は、北の空に長く伸びている。つまり——北方の、細長い地形。おそらく、運搬の経路か、集積場所」
僕は思わず身を乗り出した。
「星座を地理の暗号に使ってるってことですか」
「ええ。古代の航海者や旅人は、星を見て方角を知りました。星座と方位を結びつける知識は、古代アストレア語と一体です。この暗号を作った人間は、それを応用している」
ステラの指が次々と単語を解いていく。
「『双子』——これは取引の『回数』か『相手の数』。双子の星は二つで一対だから……定期的な、二者間の取引を指していると思われます」
「『秤』——これは『取引』そのもの。秤は、商いの象徴ですから」
僕はその解読を聞きながら頭の中で全体像を組み立てていた。
数量の記録。
北方の集積場所。
定期的な二者間取引。
「……つまり、こういうことですか」
僕は紙に図を描きながら言った。
「銀霜の坑道で、誰かが魔石を違法に採掘していた。それを定期的に特定の相手に売っていた。集積場所は王都の北方」
「論理的にはそうなります」
ステラが頷いた。
「そしてこの記録を書いた人物は王立学院で古代語を学んだ者。少なくともその知識を持つ人間がこの密売に関わっている」
三、純度の意味
解読が進むにつれ僕の中で化学者としての疑問が膨らんでいった。
「ステラさん。一つ、確認したいことが」
「なんでしょう」
「この数量の記録、ただ『魔石・小・三十』って書いてあるだけじゃなくて、横に小さな記号がついてますよね。これは?」
ステラが、該当箇所に目を凝らした。
「ああ、これも古代語です。数字の脇に……『澄んだ』『濁った』という意味の語が添えてあります」
澄んだ、濁った。
僕はその言葉を頭の中で転がした。
魔石——この世界の魔力を蓄えた鉱石。
アストの記憶によれば魔石には品質の差がある。
魔力の純度が高いものほど価値が高い。
「純度だ」
僕は確信を持って言った。
「『澄んだ』は高純度の魔石。
『濁った』は低純度。
……この記録、純度ごとに魔石を分類して取引してる」
「それが何か重要なのですか?」
ステラが僕を見た。
僕は少し考えてから答えた。
前世の知識——物質の純度が持つ意味をこの世界の言葉に翻訳しながら。
「普通の魔道具に使うなら純度はそこまで重要じゃないはずなんです。低純度の魔石でも、灯りや簡単な道具なら動く。なのにわざわざ純度で細かく選別している」
「つまり?」
「高純度の魔石を大量に選んで集めている。……これは何か『精密なもの』を作ろうとしているか、あるいは『大きな魔力』を一点に集中させようとしている。普通の商売じゃ、ここまで純度にこだわらない」
ステラの瞳が鋭くなった。
「……兵器、ということですか」
その言葉に図書館の空気が少しだけ重くなった気がした。
「断定はできません」
僕は慎重に言った。
「でも、高純度の魔石を、誰にも知られず、違法に、大量に集めている。その目的が、まっとうなものだとは思えない」
ステラはしばらく黙って解読した文字列を見つめていた。
それから、ぽつりと言った。
「……私が学院にいた頃、似たような話を、聞いたことがあります」
僕は彼女を見た。
「禁じられた研究です。古代の文献に、魔石の魔力を一点に集約して、莫大な力を引き出す技術が記されている、と。学院の上層部が、それを秘密裏に研究しようとしていた。……私は、その文献に近づきすぎて、追放されました」
奪われた者。
その言葉の意味がまた一つ輪郭を持った。
四、北へ向かう糸
解読作業が一段落した頃には窓の外はもう茜色に染まっていた。
ステラがまとめた解読の結果を僕は頭の中で整理した。
一つ。
銀霜の坑道で、高純度の魔石が違法に採掘されていた。
二つ。
それは王都の北方の集積場所へ、定期的に運ばれていた。
三つ。
記録を書いた人物は、王立学院で古代語を学んだ者。
四つ。
集められた高純度の魔石は、おそらく「大きな魔力を一点に集約する」目的に使われる——禁じられた研究の可能性。
「……思っていたより、ずっと大きな話だ」
僕は正直な感想を漏らした。
たかが廃坑の異変。
そう思って受けた依頼が王立学院の禁断研究にまで繋がっている。
「降りますか?」
ステラが静かに聞いた。
「ここまで分かれば、あとはギルドか騎士団に渡せばいい。あなたは一介の冒険者だ。これ以上首を突っ込めば、命が危ない」
それは正論だった。
僕には、 まだ何の力もない。
レベル1のハズレ判定の冒険者。
相手は王立学院や貴族と繋がっているかもしれない大きな組織。
普通ならここで手を引く。
でも——
「ステラさんは、どうするんですか」
僕が問い返すと、彼女は少し驚いた顔をした。
「私は……」
言いよどんで、それからまっすぐに言った。
「私は調べ続けます。学院が禁断の研究に手を出しているなら放っておけない。たとえ、私一人でも」
「なら、僕も続けます」
ステラが、目を見開いた。
「あなたには関係のない話でしょう。坑道の依頼は、もう終わっている」
「関係ならあります」
僕は懐の——母のペンダントに、無意識に手を当てていた。
「奪われたものを取り戻したい人がいる。それを、見て見ぬふりしたくないんです。前に一度、それで後悔したから」
ステラは、しばらく僕を見つめていた。
その深い青の瞳に何か——驚きとも共感ともつかないものがよぎった。
「……あなたは、変な人ですね」
ぽつりと彼女が言った。
でも、その声はどこか柔らかかった。
「無属性のハズレ判定で戦う力もない。なのに平気で危険に首を突っ込む。普通ならとっくに逃げている」
「よく言われます」
僕が苦笑するとステラは初めて小さく笑った。
眼鏡の奥で青い瞳がわずかに緩む。
図書館の埃っぽい空気の中で、その表情だけが、不思議と澄んで見えた。
「では、共犯者としてもう少しだけ付き合いましょう」
彼女は解読した紙束を僕に手渡した。
「次は北方の集積場所。竜の星座が示す、細長い地形。心当たりがあります。王都の北、廃れた運河沿いの倉庫街——あそこなら、人目を避けて魔石を集積できる」
僕はその紙束を受け取った。
二人の調査はまだ始まったばかりだ。
廃坑の謎は王立学院の禁断研究へ。
そしてその糸は、王都の北へと伸びている。
窓の外、茜色の空に、宵の明星が一つ、輝き始めていた。
その光を見ながら、僕は思った。
——星を読む少女と、星座図を持つ僕。
奇妙な巡り合わせだ。
でも、悪くない。
二度目の人生で初めて僕は「一緒に何かを追う相手」を得たのかもしれない。




