第4話 星を数える場所
一、王都ヴィンストン
街道を二日歩いて、僕はようやく王都ヴィンストンにたどり着いた。
はじめてその姿を見た時思わず足が止まった。
高い城壁が地平線を区切るように長く伸びている。
その向こうに、いくつもの尖塔と、石造りの建物が折り重なるように並んでいた。
中央には、ひときわ高い王城。
白い壁が午後の陽を浴びて淡く輝いている。
アストの記憶の中にも、王都の風景はあった。
でも、記憶で見るのと自分の目で見るのとではまるで違う。
……生きてる。
城門をくぐると、大通りには人が溢れていた。
荷車を引く商人、買い物客、走り回る子供、武装した冒険者ふうの男たち。
様々な人種が行き交い、露店の呼び込みが飛び交う。香辛料と、焼きたてのパンと、家畜の匂い。
前世の研究室にこもっていた僕にはこんな雑多な活気は縁がなかった。
でも、不思議と嫌いじゃない。
……いや、感傷に浸っている場合じゃないな。
所持金はもうほとんど残っていない。
道中の宿代と食費で銀貨はあらかた消えた。
今日中に冒険者ギルドに登録してできれば手付金の出る依頼を見つけないと明日の宿にも困る。
僕は道行く人に尋ねながら冒険者ギルドへと向かった。
二、星を数える場所
冒険者ギルドは大通りから一本入った広場に面した、大きな石造りの建物だった。
分厚い木の扉を押し開けると中はざわめきに満ちていた。
広いホール。
壁一面に貼られた依頼の張り紙。
長いカウンター。
あちこちのテーブルで武装した冒険者たちが酒を飲んだり、依頼の相談をしたりしている。
その雰囲気に、一瞬気後れした。
屈強な男たち。
傷だらけの女戦士。
明らかに歴戦の猛者といった風格の者たち。
そんな中に、痩せて細い、黒髪の少年——僕——が1人で入っていく。
案の定、何人かの視線がこちらを向いた。
「おいおい、坊主。ここは冒険者ギルドだぜ。お使いか?」
近くのテーブルの男が、にやにやしながら声をかけてきた。
悪意というより、からかい半分の口調。
【解析眼】が、男の情報を映す。
『冒険者(人間)/レベル:12/ランク:D/武装:鉄剣』
……D級か。
今の僕から見れば、相手は十分強い。
でも、ここで怯んだら終わりだ。
前世の僕なら俯いて立ち去っただろうけど、もうあの頃の僕じゃない。
「いえ。登録に来ました。冒険者になりに。」
はっきりそう言うと、男は一瞬きょとんとして、それから笑い出した。
「ぶはっ!冒険者だってよ!こんなナリで!」
周囲の何人かもつられて笑う。
まあ、そうだろうな。
痩せた少年が「冒険者になる」と言えば誰だって笑う。
でも僕は気にせずカウンターへと歩いていった。
笑われるのには慣れている。
前世でさんざん「お前には無理だ」と笑われてきた。今さらこんなのは何でもない。
「あの、すみません。登録をお願いしたいんですが」
カウンターの向こうにいた受付の女性が、顔を上げた。
明るい栗色の髪を後ろで一つに結んでいる。
歳は二十歳そこそこだろうか。
人懐っこそうな丸い目が、僕を見て、ぱちくりと瞬いた。
「登録、ですか?ええと……」
彼女は、僕の風体——痩せた体、子供っぽい外見——を見て、少し戸惑った様子を見せた。
でも、すぐに表情を引き締めて、丁寧に応対してくれた。
「冒険者登録ですね。承ります。あの、念のため確認なんですが……ご年齢は? 登録は十歳以上であれば可能ですが」
「十五歳です」
「では問題ありません。ええと、私はエリス。このギルドの受付を担当しています。よろしくお願いしますね」
エリスと名乗った彼女は、にこっと笑った。
からかってくる冒険者たちとは違う、ちゃんと一人の人間として接してくれる笑顔だった。
それだけで少しだけ肩の力が抜けた。
「登録には、いくつか手続きがあります。まず、身分の確認なんですが……何か証明できるものはお持ちですか?」
僕は、懐から一枚の紙片を取り出した。
ロジーがくれた、紹介状。
「これを」
エリスは紙片を受け取って、目を通し——その動きが、ぴたりと止まった。
「……えっ。これ、第三騎士団の……印?」
三、ハズレ判定の冒険者
「ど、どうして第三騎士団の紹介状を……?」
エリスは紙片と僕の顔を、交互に見比べている。
「街道で商人が盗賊に襲われているところに居合わせて。少し手伝ったら、第三騎士団の方が来て、その縁で書いてもらったんです」
事実をかいつまんで説明する。
粉塵爆発のことは伏せておいた。
「盗賊を……あなたが?」
エリスの目は、まだ半信半疑だった。
まあ、当然だ。
その時、横から声が割り込んできた。
「おい、嬢ちゃん。そのガキ、何か揉めてんのか?」
さっき僕をからかってきた、D級の冒険者だった。
にやにやと、面白がるように近づいてくる。
「揉めてなどいません。登録手続き中です」
エリスがきっぱりと言うと、男は紹介状を覗き込んで——その印を見て、表情を変えた。
「……第三騎士団の紹介状ぉ? なんでこんなガキが」
「ですから、事情があるんです」
エリスが男を押し返すように言う。
だが男は引き下がらず、僕に向き直った。
「おい坊主。お前、才能判定は? 属性は何だ」
……来たか。
冒険者の世界でも、結局これを聞かれる。
属性。
才能。
この世界の「物差し」。
でも、隠しても仕方ない。
登録すれば、いずれ分かることだ。
「無属性です。ハズレ判定でした」
ホールの一角が、しんと静まった。
それから——どっと笑いが起きた。
「無属性ぃ? ハズレが冒険者だってよ!」
「やめときな坊主、死ぬぞ!」
「紹介状は誰かに書いてもらったのか?騎士団も酔狂だなぁ!」
好き勝手な野次が飛ぶ。
僕は、黙ってそれを受け止めた。
……ああ、そうだ。
これが、この世界の「普通」だ。無属性は、ハズレ。何をやっても認められない。
前世のゲームでも、現実でも、僕はずっと「使えない」と言われ続けてきた。
でも。
ロジーは、ガイウスは、僕を見てくれた。
無属性の僕が起こした粉塵爆発を、商人を救った行動を、ちゃんと見て、認めてくれた。
だから、もう、この程度の野次は怖くない。
「……笑いたければ、笑ってください。」
僕は、静かに言った。
「でも、僕は冒険者になります。属性がなくても、できることはあるので」
声は震えなかった。
その落ち着きが、かえって異様に映ったのか、野次が少しだけ収まった。
エリスが、僕をじっと見ていた。
それから、何かを決めたように、背筋を伸ばした。
「——登録、進めますね」
彼女の声は、もう迷っていなかった。
「無属性だろうと、何だろうと、関係ありません。冒険者になる資格は、年齢と本人の意思だけ。それがギルドの規則です」
エリスは野次を飛ばす冒険者たちをきっと睨んだ。
「それに……第三騎士団が身元を保証する新人を、笑いものにするのは、感心しませんね。皆さん」
その一言で、ホールの空気が変わった。
第三騎士団の名前は、それなりに重いらしい。
冒険者たちは、ばつが悪そうにそれぞれの席へと戻っていった。
「……ありがとうございます、エリスさん」
「いえ。当然のことをしたまでです」
エリスは、ちょっと照れたように笑って、登録の書類を取り出した。
「それじゃ、改めて。お名前は?」
「アスト・ノクトゥルナ……あ、いえ、アストで」
貴族の家名はもう名乗らない。
あの家とは縁を切ったつもりだ。
「アストさんですね。はい、登録完了です。これが、あなたのギルドカード」
差し出されたのは、薄い金属のプレート。
そこには「アスト」の名と、「F」の文字が刻まれていた。
F級。
最底辺。
でも——僕にとっては、生まれて初めて手にする、自分の力で生きる資格だった。
四、最初の依頼
「さて、アストさん。登録ほやほやのF級だと、受けられる依頼は限られています。まずはこのあたりから——」
エリスが、壁の依頼板からいくつかの張り紙を示してくれた。
薬草採取。
下水の掃除。
荷物運び。
猫探し。
どれも地味で、報酬も雀の涙だ。
F級が受けられるのはこういう雑用が中心らしい。
【解析眼】で、報酬額を確認していく。
どれも銅貨数十枚。
今日の宿代にすら、少し足りない。
……困ったな。
その時、依頼板の隅に貼られた一枚が目に留まった。
『急募・銀霜の坑道の調査』
『旧鉱山にて異変。原因調査求む。E級以上推奨。報酬・銀貨二十枚』
銀貨二十枚。
破格だ。
これ一つで半月は暮らせる。
「あの、これは?」
僕が指さすと、エリスは少し顔を曇らせた。
「ああ、それは……やめておいた方がいいですよ。『銀霜の坑道』は、昔の鉱山なんですけど、最近、中で異変が起きてるみたいで。調査に入った冒険者が、何人も体調を崩して引き返してるんです」
「体調を崩す?」
「ええ。坑道の奥に行くと、急に頭が痛くなったり、息が苦しくなったり。それで倒れる人も。だから、E級以上推奨になってて……魔物がいるわけじゃないんですけど、原因不明で、誰も奥まで行けてないんです」
……頭痛、息苦しさ、原因不明。
僕の頭の中で、何かが、かちりと噛み合った。
坑道、地下深く、空気がこもる場所。
そこで起こる、頭痛と呼吸困難——
……これ、もしかして。
「エリスさん。この依頼、僕が受けます」
「えっ!? だ、駄目ですよ! F級が受けられる依頼じゃ——」
「紹介状の保証があれば特例で受けられませんか?」
エリスは慌てた。
「で、でも、危険です!現に何人も倒れてるんですよ!?あなた、無属性で、戦う力も——」
「戦う力は要りません」
僕は静かに言った。
「たぶんこれは戦って解決する問題じゃない。原因さえ分かれば、対処できます。……むしろ、僕みたいな人間の方が向いてる依頼です」
アストの記憶を辿る。
前世のゲーム『アストレア・サーガ』にも、確か、序盤に行ける廃坑のダンジョンがあった。
「銀霜の坑道」——名前は違うかもしれないが構造は同じはずだ。
そして、前世の知識が告げている。
密閉された地下空間。
頭痛、呼吸困難、原因不明の体調不良。
これは魔物の仕業でも、呪いでもない。
もっと単純でもっと確実な——化学の問題だ。
「……本当に、行くんですか?」
エリスが心配そうに僕を見た。
「はい。行きます。」
僕が頷くとエリスはしばらく迷った末、ため息をついて依頼票を手に取った。
「……分かりました。第三騎士団の紹介状を信じます。それと——これ、私の独断ですけど」
彼女は、カウンターの下から、小さな道具を取り出した。
籠に入った、小さな鳥。
「坑道に入る時は、これを持っていってください。『毒気感知の小鳥』です。坑道や洞窟の『悪い空気』に敏感で、危険な場所では先に鳴いたり、暴れたりして教えてくれます。古くからの、坑夫の知恵です」
……これは。
僕は、思わず笑みがこぼれそうになった。
カナリアだ。前世で、炭鉱労働者が有毒ガスを察知するために使った、あのカナリア。この世界にも、同じ知恵があったのか。
エリスは、前世の科学を知らない。でも、経験から導かれた「悪い空気を察知する鳥」の知恵は、僕の仮説を裏付けてくれていた。
やっぱり、間違いない。
「ありがとうございます、エリスさん。大事に使います」
僕は籠を受け取って、依頼票をしっかりと握った。
* * *
ギルドを出ると、王都の空は、もう夕暮れに染まっていた。
明日、銀霜の坑道へ向かう。
誰も原因を解明できず、E級冒険者ですら引き返した、謎の坑道。
でも、僕には、もう答えが見えかけている。
戦う力はない。魔法も使えない。ハズレ判定の、無属性。
だけど——化学者の道具箱と、異界の星座図がある。
僕は、夕暮れの空に瞬き始めた一番星を見上げて、小さく息を吐いた。
「……次の星は、坑道の奥で灯すことになりそうだ」
籠の中の小鳥が応えるように、ちちっと小さく鳴いた。




