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新世界より  作者: 福田雛子
3話 親愛忌譚
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親愛忌譚④


 通天閣の展望台は、もう観光地というより、風通しの悪い廃墟の上のほうだった。


 割れた窓ガラスの隙間から、ぬるい風が出入りしている。床には砕けた破片や、誰かが持ち込んで捨てたらしい空き缶や包装紙が散らばっていた。派手だったはずの色彩はどこもかしこも煤けて、壁の案内板も半分以上が剥がれている。下を見れば大阪の街が広がっていたが、賑やかさなんてとっくに死んでいた。建物は多い。道も多い。けれどそこに暮らしの艶はなく、あるのは人が残骸にしがみついて延命している気配だけだった。


 月子はガラスの割れた窓際に寄りかかって、その街をぼんやり眺めていた。


 高いところに来ると、少しだけ頭が静かになる。


 東京を出てから、ずっとそうだった。地上にいると人の生活が近すぎる。湿った路地も、物を漁る手も、誰かの寝床の匂いも、言い争う声も、全部が嫌でも目に入る。上まで来れば、それが少し遠くなる。人間が豆粒みたいに小さくなって、どうでもよく見える。それが気楽だった。


 もちろん、現実がどうでもよくなるわけじゃない。


 誠は今日もどこかで必死だろう。月子の機嫌を損ねないように、役に立つ人間でいようと、あの大きな身体でせっせと働いているはずだ。そう思うと、少しだけ笑えて、同時に少しだけ鬱陶しかった。


 足音がして、月子は眉をひそめた。


 こんな場所まで上がってくる人間は珍しい。というか、普通は来ない。下の階ですら十分に荒れているのに、わざわざ展望台まで登る意味がないからだ。


 しかもその足音は、妙に切羽詰まっていた。


「……未來! 未來っ!?」


 男の声だった。息が上がっている。走ってきたらしい。月子は反射的に身じろぎもせず、声のする方へだけ目を向けた。


 現れたのは、ひどく場違いな男だった。


 背が高い。金髪で、目の色も薄い。こんな終わった大阪の廃墟の中に立っているのに、どこか背景から浮いて見える。服や荷物は旅慣れた人間のものなのに、顔立ちといい骨格といい、どう見てもこの辺りの人間じゃない。


 けれど一番目立っていたのは、たぶん見た目じゃなかった。


 焦っている。


 月子はそう思った。


 男は月子に気づかないまま、展望台の奥まで視線を走らせた。息が乱れている。肩も上下している。冷静なふりをしようとしているのに、身体の方が先に崩れていた。


「いない。ダメだ。考えないと……どうすれば……どこに行けば……。クソ!!」


 吐き捨てるみたいにそう言って、男は額に手を当てた。独り言にしては音量が大きい。たぶん、自分の頭の中だけに閉じ込めておけないのだ。


「こんな時に頭働かせないでどうするんだ。MIT卒が笑われるぞ。考えろ、考えろ……」


 何それ、と月子は思った。


 こんな廃墟の展望台で学歴を叱咤材料にする人間、初めて見た。切羽詰まっているくせに、言ってることがちょっと変だ。余裕がないのに、変なところだけ育ちが滲んでいる。


 月子はしばらく黙って見ていたが、そのまま放っておくのも妙に落ち着かなかった。


「ねぇ、誰か探してるの?」


 男がびくりと顔を上げた。やっとそこに月子がいると気づいたらしい。視線が合う。かなり整った顔だったが、今はそれどころじゃないという顔をしている。


「え?」


「こんな所、誰も登ってこないよ。そもそも観光地として終わってんだから、大阪なんて」


 月子は窓の外を顎でしゃくった。崩れた看板。途切れた交通。湿った灰色の街並み。ここから見える大阪は、いかにも終わっていた。


 男は一瞬だけ言葉を詰まらせてから、すぐに食いついた。


「いや、ツレとはぐれて……もし迷ったらここで落ち合おうって話してて……そう、女の子! セーラー服の女の子なんだけど、来てないかな!? ここに!」


 早口だった。問いかけというより懇願に近い。声を荒げているわけじゃないのに、切迫感があからさまで、月子は少しだけ目を細めた。


 セーラー服の女の子。


 こんな時代に、その言い方をするのが妙に生々しかった。わざわざ服装まで口に出すのは、それだけ探している相手の姿が頭に焼き付いているからだろう。


「来てないよぉ」


 月子は肩をすくめた。


「私、朝から居たけど、お客さんはアナタが一人目。ていうか日本語うまいね」


「…………」


 男はその場で立ち尽くした。期待が落ちる音が聞こえた気がした。長く息を吐く。謝るように眉が下がる。


「ごめん」


 律儀なんだな、と月子は思った。そんな余裕もないくせに。


「ねぇ、その女の子、連絡取れないの? スマホは?」


「出来たらしてるよ。けどそんなの、繋がらなかったら意味が――」


「繋がるよ?」


 男が止まった。


 今度は本当に、ぽかんとした顔で月子を見る。月子は少しだけ可笑しくなった。


「なんだ。あなた大阪の人……つーか、日本人でもないか、どう見ても」


 ポケットからスマホを取り出す。画面にはひびが入っていたが、まだ生きている。こういうのは壊れきらないうちは使うしかない。


「時間帯にもよるけど、たまに基地局が生きてるの。こんな世の中なのに、まだお仕事頑張ってくれてる人が居るみたい。ここも……ほら、圏外じゃないでしょ?」


 画面を見せると、男は目を見開いた。


「あ……」


 その顔で、本当に気づいてなかったんだ、と分かった。


 月子は少し呆れる。探し人ひとりで頭がいっぱいになると、そういう基本的な確認も飛ぶのかもしれない。いや、基本かどうかも怪しいか。この辺りの電波事情なんて、大阪でしばらく生きていないと分からない。


「いや、でもダメだ」


 男はすぐに顔を曇らせた。


「……スマホ、持たせてなかったから」


 その言い方に、月子は短く息を吐いた。


「あー、それは~……」


 正直、言いにくい。というか、言わなくても分かるだろうという話ではある。


 こんな街で、若い女の子が一人でいなくなった。連絡手段もない。しかもセーラー服。


 月子はその続きを頭の中で言葉にしかけて、やめた。


 でも男は、月子が何を言おうとしているか薄々分かったらしい。先に口を開いた。


「ありがとう。もう少し探してみるよ」


 礼を言って、諦めない顔で立ち去ろうとする。そこで月子は思わず呼び止めた。


「ねー、外人さん」


 男が振り返る。


 月子はほんの少しだけ言葉を迷ってから、結局そのまま言った。


「……無理だよ。多分もう生きてない」


 男の顔が止まる。


「大阪、こんな状態だよ? 諦めた方が――」


 言い切る前に、月子は口をつぐんだ。


 自分の言葉なのに、その先が急に薄っぺらく思えたからだ。


 諦めた方がいい。可能性が低い。今さら探しても無駄。そんなの、月子だって何度も自分に言い聞かせてきた。この世界と時世の中で、会いたい人間がどこかで生きているかもしれないなんて、冷静に考えれば都合のいい妄想だ。隕石が来る世界で、人間はそんなに簡単に再会できない。


 それでも月子は東京を出た。会いたい人間に会いに行こうとしている。諦めきれないから。


 目の前の男の顔は、ちょうどそういう顔をしていた。可能性が低いことくらい分かっている。それでも、分かったうえで捨てきれない。愚かなくらい真っ直ぐで、少し見ていられない顔。


 月子は小さくため息をついた。


「……手伝ってあげる」


「え?」


「探すの。諦めないんでしょ? 可能性が少しでもあるならって、そんな顔」


 男は戸惑っていた。今度は本当に、心底意味が分からないという顔だった。


「いいよ。私も丁度暇だし」


 暇、という言い方に、自分で少し笑いそうになる。


 本当は暇なんかじゃない。ただ、自分も似たようなことをしているだけだ。生きてるかも分からない相手の影を追いかけている。だから、よその必死さを馬鹿にしきれなかった。


「いや、でも」


「いーから」


 月子は男の言葉を軽く遮った。


「あー、でもその前にちょっと、一応連絡だけ」


 誠の番号を呼び出す。繋がるかどうかは運だ。さっきまで圏内でも、次の瞬間には死ぬ。そういう不安定さにも、もう慣れていた。


 男――外人さんは、少し離れたところで所在なさげに立っていた。高いくせに、今は妙に小さく見える。焦りが人を縮ませるのかもしれない。


 コール音が鳴る。


 繋がれ、と思った瞬間、通話先が切り替わった。


「あ。もしもし? 私」


 誠の声は、少し遅れて返ってきた。電波が不安定な時の、微妙な間延びがある。


「……あのさ、実は――」


 月子は軽い調子で話し始めて、すぐに黙った。


「え。は?」


 展望台を抜ける風が、割れた窓から吹き込んできた。髪が揺れる。電話口の向こうから聞こえてくる声を聴いて、月子は数秒何も考えられなかった。


「……っと、ちょっと待って」


 通話口を手で塞いでから、月子は振り返る。


「……ねぇ、外人さん。セーラー服の女の子、名前なんだっけ?」


 男は怪訝そうに瞬きをした。さっきまで服装や状況ばかり口にしていて、肝心の名前はまだ聞いていない。


「え? ……未來」


 その返答を聞いた瞬間、月子は少しだけ目を見開いた。


 変な偶然だ、と思うより先に、先ほどまでの焦りきった顔が脳裏に浮かんだ。探していた相手。セーラー服。未來。全部繋がる。


 月子は通話口へ向き直るでもなく、ただ男を見たまま言った。


「見つけたかも。セーラー服の未來ちゃん」


 男の表情が、凍ってから弾けた。


「……は!?」




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