2話 地獄のふちにて
帝国北東部、大山脈の麓から広がる丘陵地帯が、平野に移りかわろうとするところに村はあった。村の一方、山脈の側にはその麓から続く巨大な森が広がっている。南三方は平野で開けている。村の南側からは細い街道が二本出ているように見えるが、実態としては、細い街道が一本村へ入ってから、外へ出ているだけだ。
村の名前をトムヤス村という。村は豊かではないが、貧しくもない。村は森の恵みも、南側の平野の恵みも授かることができる。土地は痩せているわけではない。それでも村が繁栄していると言えないのは、そもそも人が足りていないのだろう。もっと人間がいれば、この村はより栄えるに違いなかった。
村人は大半は農業をする。残りのほとんどが森へ入る猟師だ。農業をする人間も森へ入ることがある。
つい最近までこの村は、村近くの人間でないと名前を耳にしないような、ありきたりで、小さな村だった。だが数か月前のある日、まだ夏の頃、この村の一人の男が山へ狩猟のために入った。彼が言うには、木の根を足場に踏もうとして足を踏み外したらしい。足が枯れ葉で埋まった木の股間に沈み込んだ。彼は足の先におかしな感覚を感じた。それは四角い、金属の物体だった。彼にわかったのはそれが普通の物でないことと、金属だと言うことだけだった。それが古代の遺物だとわかったのは、彼がそれを村へ持ち帰ったのちに、それを何人かの村人に自慢したときである。
そうしてトムヤス村の村人たちは近くに古代遺跡があるのではないかとにわかに沸いた。ある一時期になると、村人たちはクワや弓を放り出して森へ入った。何に使うのかわからない遺物らしいものが数個発見されたが、結局それ以上のものは見つかっていない。見つかったものはすでに、すべて村へ来た商人たちに売ってしまった。
村で見つかった遺物がすべて発見された後、流れの商人が村へ立ち寄った。彼は遺物を見せてほしいと村人に頼んだが、村人はすでに全部売ったと真実を話した。彼は意気消沈したが、村人からすれば、彼がそもそも遺物を買うだけの金があるようには見えなかった。その流れ者は村で小さな商売をして、立ち去る際に、こう言った。村の近くで野党が徘徊しているという噂を聞いた、と。
その流れの商人が立ち去って以降、村には誰も訪れていない。
★
季節は十一月の初め、村には雪が降り始めていた。
冬の夜は早い。あたりはすでに薄闇が立ち込め始めていた。男がある家の扉を叩いている。男は粗野な毛皮の防寒具を羽織っている。扉が開かれ、中の照明が外へ漏れた。女が中から顔を出した。男は酒で火照った顔で、歯を見せながら大きく笑んだ。
「よう」
女が彼を中へ招く。居間の窓際に置かれた椅子には男が座っていた。その男の名はマタン、この家の主だ。マタンは窓から眼を離して、来客を見る。
「ベルノーじゃねえか」
「来るって言ったろう」
「今日来いとは言ってねえ」
ベルノーがテーブルに向かおうとすると、マタンはゆっくりと立ち上がって、椅子をテーブルの方へベルノーと向かい合う形に持って行った。女がそれを手助けする。女はこの男の妻だ。
ベルノーは友人が少し痩せたと感じだ。マタンは病にかかって一か月だ。痩せもするだろう。彼はまさか、マタンの病が軽くないにせよ、重たいもの、それも命にかかわるものだとは思っていない。ただの重たい風邪、そう思っている。だが彼が痩せた姿を見ると一抹の不安がよぎる。
マタンがテーブルに向ってから、ベルノーは言った。
「集会はさっき終わったぜ」
「そうらしい、それからたらふく飲んだのか」
マタンは軽く腰を上げて居住まいを直しながら、空いた片方の手でベルノーを指さしながらそう言った。
「おう、もちろん」
ベルノーは赤い顔でにかっと笑う。彼は集会で持ち上がった話の内容を、病床の友人に伝えに来たのだった。
マタンの妻のミベットが酒杯をテーブルに持ってきた。それから壺を持ってきたので、ベルノーがそれを受け取った。酒を杯に移していると、マタンがこちらを見た。その視線を受け取って、ベルノーは酔っているのであいまいだが、彼の心中を何となく察した。早く話を聞きたいのだろう。ベルノーは壺を彼に差し出した。
二人は乾杯した。その様子を、暖炉近くの椅子に座ってミベットが見ている。彼女の膝にはまだ四歳の男の子が載せられている。まずベルノーが切り出した。
「まあ話の内容はだな、冬の、共同の備えのことと――」
ベルノーは酔いで呂律を怪しくしながら続ける。
「あっちこっちの戦争のことと、あとは、三か月前に流れの商人がきたろ? あいつの話だ」
マタンは酒杯を手に添えたまま、最初の一口以外口をつけていない。
「一つ一つ詳しく聞かせてくれや」
「ああ」言うや否や、ベルノーは酒を飲んだ。「まず、戦争はみんな気になるんだ。だがなんの知らせもねえじゃねえか。だからみんなで、予想して遊んだのさ。大した話じゃねえ」
ベルノーは一息ついて、赤い顔をゆっくりと前後に振った。
「ああ――薪を何とかしねえと」
村は共同体だ。各家が冬に備えて物をため込むように、村もまた物をため込む。それは村人の平等の負担によってなされるのが習わしだった。
ああ、とベルノーが言った。マタンは片眉を上げる。
「なんだ」
「商人が来ねえ、困ってる」
商人にもいくつか種類がある。キャラバンを組んだ大がかりの物から、籠を背負っただけの流れのものまである。村には三か月前から、一切の商人が立ち寄っていない。これは奇妙な事だった。
マタンが言った。
「それで、あの流れ者が村を出るときにした噂話か」
「あれがあながち間違えでなかったらどうするよ」
籠だけを背負った商人は村を出る際に、村の近くを野党が徘徊しているという噂がある、と言った。
マタンは抑え気味に笑った。笑ってから、むせた。病の身体に効いたのだろう。
「そりゃおめえ、あながち間違ってはないだろうよ。戦争続きだ。野盗もでるさ。そうだろ?」
ベルノーは何も言わずに酒を飲んだ。そして、マタンを見る。マタンは深く思案するような態度で口を開いた。
「この村は……」
その時、扉が開いた。この家の十七歳の娘のサリイが帰ってきた。
「ただいま! あ、ベルノーさん、いらっしゃい」
「おお、サリイ、おめえが居ねえと思ってたんだ」
ベルノーはちらりと扉の隙間から外を見たが、もう暗かった。それに雪も降っている
「イーロンと会ってたよ。少し話してたの」
イーロンはベルノーの息子である。イーロンとサリイは幼馴染の間柄で、恋人でもあった。二人が自らの間柄を恋人と言ったことはないが、周囲はそう認めていた。二人の両親も、そう収まればいいと考えている。
「こんなくらい時間に!」
母親が小さい弟の頭をなでながら言った。弟は眠そうに母親の胸に顔を押し付けている。
「そうなったから、帰ってきたの」
サリイは暖炉脇の小さい椅子に腰かけた。暖炉の火はまだついていない。今日までは寒さもそれほど酷くなかったから、一家は薪を節約していたのだ。だがこれくらいの寒さになると、村でもちらちらと暖炉に火をくべる家が出てくるだろう。
ベルノーはサリイを見ながら笑った。
「あいつが変なことしてなきゃいいんだが」
母親が声を上げた。
「おかしなこといわないでよ!」
サリイが、大丈夫だったよ、と苦笑いする。
「二人でなんの話をしていたの?」
ベルノーが答えた。
「村に誰も来ねえ、流れの商人もこねえ、野盗が本当に出たんじゃねえかって噂話についてだよ」
へえ、とサリイが少し驚いて言った。サリイは商人が去り際に残した話を知らない。
マタンがサリイを見る。
「本当に出たのかどうかはわからない。あちこちで戦争が起きている。商人どもも動きづらいだろう」
ベルノーがマタンを見る。
「それにしても不自然だ」
村へ来訪客が三か月も来ないのは、確かに不自然だった。
その時、家の外から叫び声が聞こえた。その声は家の前を通りすぎたようで、すぐに段々と小さくなる。
サリイがはっとして立ち上がると、マタンが重たげに手を上げてそれを制止した。視線をベルノーに向けると、彼はすでに立ち上がっていた。
マタンとベルノーが扉近くに立った。マタンが扉を開けて、二人が外を伺った。サリイも居間の壁際から外を伺う。外はすっかり暗闇が立ち込めていた。向こう側で、火の手が上がっていた。暗闇の中に真っ赤な火柱が粉を散らしながら立ち上がっている。
「集会場だ!」
マタンが叫んだ。
サリイは息をのんだ。ただ事ではない。息をのむと、馬の足音のような物が闇の中から聞こえてくるような気がした。おかしいことだ、こんな夜に馬を乗り回す人がいるはずもない。人の声がはっきりと聞こえる。それはただならぬ様子であげられている。
★
寒い。夜の闇の中で、サリイは佇んでいる。サリイは小さな円陣の一角として立たされている。松明の火がいくつか揺らめいている。その光のおかげで、彼らが円を組んで立っていることがわかる。
サリイの隣でも男が松明を持っている。その火が横顔を照らして、熱い。サリイの眼の中で、火が踊る。もう一方の顔は、深い闇に照らされていて、その眼は黒々としていて何も映していない。冬の風が火を躍らせ、彼女の鼻筋を通して、闇の中にあったもう一方の眼を浮き上がらせた。涙が一筋、頬を伝っている。
彼らは村の中の空き地に立っている。そこはもとから小さな窪地だった。今ではそこに村人の死体がいくつも放り込まれている。サリイの左手は、松明を持つ男に掴まれている。死体の山には藁が組み込まれている。脚と脚、腕と腕の間から、藁の束が覗いていた。
サリイの腕をつかんでいる野盗が、その光景を見ながら言った。
「世の中が悪いんだ。え、そうだろう?」
サリイは何も言わなかった。
「おれたちが殺したんじゃねえ。世の中がこいつらを殺したのさ」
言って、野盗は松明を穴に放り込んだ。それを合図に窪地の周囲で松明を持っていた者たちが、それを放り込んだ。
松明の火が藁に移って、村人の亡骸が燃えた。炎が、燃え盛る村人と、その周囲を囲む者たちを映した。
野盗はサリイの左手を持ち上げた。サリイは燃えていく親と、恋人を見続けている。
「お前が遺跡まで案内しろ。場所は知ってるよな?」
サリイは遺跡の場所など知らなかった。だが頷いた。野盗どもから逃げるには、森へ入るしかない。




