歪んだ密告と張り詰めた糸
学園の陽が落ち、校舎全体が薄暗い影に包まれ始めていた。
「見つからない……だと?」
生徒会室。アゼルの低く冷ややかな声が、静まり返った室内に響いた。
報告に訪れた側近の生徒たちは、氷点下の殺気を孕んだアゼルの瞳に射すくめられ、生きた心地もせずに身を縮めている。
「は、はい……! 校内はもちろん、馬車乗り場や寮の敷地内も探させましたが、ヘヴリング男爵令嬢のお姿はどこにも……」
「……下がれ」
短く命じると、側近たちは弾かれたように頭を下げ、逃げるように部屋を飛び出していった。
パタン、と重い扉が閉まる。
一人取り残されたアゼルは、深く溜息をつくと、乱れた金髪を乱暴にかき上げた。
(どこへ行ったんだ……アルテナ。僕の知らない場所へ行くなんて、許さない……絶対に許さない……!)
胸の中で渦巻くのは、狂おしいほどの焦燥と暴走しそうな所有欲。
彼女を思って重ねてきた我慢も、完璧な婚約者の面も、すべてが崩れ去りそうになっていた。
その時――コッコッ、と遠慮がちなノックの音が静寂を破った。
「誰だ」
「……アゼル様。マヌエラ・リーガンでございます」
扉を開けて入ってきたのは、扇子を強く握りしめ、どこか落ち着かない様子のマヌエラだった。
「何の用だ。僕は今、人を探している。手短にしろ」
アゼルの冷淡極まる対応にも、マヌエラは不敵で底意地の悪い笑みを浮かべた。
「ふふ、その探していらっしゃる『お人』のことですわ。あのような身程知らずな女のことなど、もうお探しになる必要はございませんのよ」
「……何?」
アゼルの琥珀色の瞳が、すっと細められる。
マヌエラは待ってましたとばかりに、大袈裟な身振りで口を開いた。
「わたくし、先ほど裏門の近くで目撃いたしましたの。ヘヴリング男爵令嬢が……グロスタール様――アレク様と、とても親密そうに寄り添って歩いていらっしゃるのを!」
「……アレクと?」
「ええ! アゼル様という素晴らしいお方がいながら、あのお方はアゼル様からのお気持ちが得られないと悟るや否や、すぐにアレク様へと乗り換えたのですわ! なんて見境のない、浅ましい女なのかしら……ッ」
マヌエラは誇らしげにアルテナを貶めてみせた。これでアゼルがアルテナに幻滅し、自分たちの方を向いてくれると信じて。
――だが。
「……消えろ」
「え……?」
耳を疑うような極寒の低音。
マヌエラが顔を上げると、そこにいたのは彼女が慕っていた「優しい王子様」ではなかった。
光を完全に失った瞳で、ゴミ屑でも見るかのように自分を見下ろす、本物の怪物の姿だった。
「ひッ……!?」
「僕のアルテナを侮辱した罪、後悔させてやる。……二度と僕の前に顔を出すな。お前の家ごと潰されたくなければな」
「あ……あぁ……っ!」
アゼルの放つ圧倒的な殺気に圧迫され、マヌエラは腰を抜かすようにして逃げ出していった。
一人残されたアゼルは、静かに拳を握りしめた。爪が手のひらに食い込み、朱い血が滲む。
(アレク……。君だったのか。僕の小鳥に余計な毒を吹き込み、連れ去ろうとしているのは……)
脳裏に浮かぶのは、いつも温和な笑みを浮かべながら、密かに自分へ対抗心を燃やしていたアレクの顔。
アルテナが自ら逃げ出したのではない。
アレクが傷ついた彼女の隙に付け込み、拐かしたのだ。
(……許さない。僕のアルテナに触れたその手も、唆した口も……すべて引き裂いてやる)
アゼルは机の引き出しから、キルステン侯爵家とリーガン伯爵家を破滅させるための違法取引の証拠書類を取り出すと、それを胸に抱き、狂気じみた笑みを浮かべた。
(まずは……しつこく纏わりついて鬱陶しい害虫からだ。すべてを奪い取って、アルテナを取り戻しに行くよ……)
アゼルの足音が、サロンへと向かって静かに、けれど確実に踏み出された――。




