狂奔する影と奪略の算段
「……アルテナ? アルテナ、どこにいるんだい!?」
学園の回廊に、アゼルの切羽詰まった声が響き渡る。
普段の彼からは想像もつかない乱れた足取り。美しい黄金の髪は少し崩れ、琥珀色の瞳には焦燥と漆黒の揺らぎが満ちていた。
図書室、中庭、彼女が好きだった庭園のベンチ――どこを探しても、アルテナの姿はない。
生徒会室で彼女を見送ってから、ほんの小一時間。
いつもなら、この時間は自分の側で可憐に微笑んでいるはずの彼女が、どこにもいない。まるで世界から消えてしまったかのように。
「……くそッ!」
壁を強く拳で殴りつける。重い衝撃音が静かな廊下に響き渡った。
(僕から逃げようとしているのか……? いや、そんなはずはない。アルテナは僕を信頼している。僕が『完璧な婚約者』として守ってきたんだから……!)
アゼルは激しく波打つ胸を押さえ、必死に理性を保とうとしていた。
アルテナを怖がらせないよう、どれほど己の執着心を殺してきたか。
彼女を「男爵令嬢」と嘲笑う周囲の害虫どもを陰で潰し、キルステン侯爵家やリーガン伯爵家の不正を暴くための裏工作を、どれほど完璧に進めてきたか。
すべては、彼女を誰にも邪魔されない安全で完璧な世界で愛でるため。
(それなのに……どうして僕の側からいなくなるんだ、アルテナ……ッ! 僕の手を離れたら、君は一人じゃ生きていけないんだよ……!)
アゼルの脳裏に、ドス黒い狂気が渦巻く。
もし彼女が自らの意思で自分から離れようとしているのなら。
見つけ出したその瞬間に、彼女の両足を縛り、二度と太陽の光が届かない場所へ閉じ込めてしまわなければならない――。
胸の内で昏い誓いを立てながら、アゼルは血眼になって学園中を奔走していた。
――だが、アゼルが焦燥に狂奔しているまさにその時。
校舎から遠く離れた旧校舎の影で、アレク・グロスタールは冷ややかな笑みを浮かべていた。
「いい顔だね、アゼル……。完璧な王子様が台無しだ」
窓からアゼルの見苦しく走り回る姿を見下ろし、アレクは心底可笑しそうに口元を歪めた。
そのすぐ傍らには、精神的な疲労と絶望から、瞳の光を失って力なく佇むアルテナの姿がある。
「アルテナ様。……あんな風に狂ったように君を探すアゼルを見ただろう? 彼は君を『自分の所有物』としか思っていないんだ。君を愛しているから探しているんじゃない。自分の思い通りにならないことが許せないだけなんだよ」
「……っ……」
アレクの甘く吹き込まれる毒が、アルテナの傷ついた心にじわじわと染み渡っていく。
アゼル様が自分を探している?
でも、それは愛しているからではなく、ただの「執着」と「所有欲」なのだと……アレク様は言う。サロンでディアドラ様と仲睦まじく過ごしていたあのアゼル様が、私を心から愛しているはずがないのだから。
(私は……アゼル様の玩具だったの……? 逃げ出そうとした私を連れ戻して、また惨めな思いをさせるつもりなの……?)
アルテナの瞳から、さらにポロポロと涙が零れ落ちる。
アレクはその可憐な絶望を愛おしそうに見つめると、そっと彼女の腰に手を回し、自身の体に引き寄せた。
「大丈夫だよ、小鳥さん。アゼルになんて絶対に捕まえさせない。……僕が君を、誰の手も届かない安全な場所へ連れて行ってあげる」
(フフ……アゼルが真相に気づく頃には、この娘は完全に僕の籠の鳥だ。僕にしか縋れないように、優しく、時間をかけて精神を削り取ってあげるよ……)
アレクは心の内で昏い優越感に浸りながら、絶望に沈むアルテナを自らの領域へと引きずり込んでいくのだった――。




