救済の閃光と繋がれた手
「ぐっ……おおおあぁぁぁッッ!!!!」
アレク様の叫びを切り裂くように、ホール全体を震わせる咆哮が轟いた。
怒りと焦燥で顔を歪めたアレク様が、私に向かって強引に手を伸ばそうとした――次の瞬間。
ガキィィィィンッ……!!!!
鼓膜を刺すような金属音が響き渡る。
「なっ……!?」
アレク様の視線が泳いだ。彼の手に握られていた短剣が、凄まじい衝撃によって空中へ弾き飛ばされ、闇の中へと消えていく。
私の目の前に割り込んだのは、血みどろの刃を両手で握りしめたアゼル様だった。
乱れた黄金の髪、破れた上着、そして全身から滲み出る赤ぐろい血。けれど、その琥珀色の瞳だけは、神々しいほどに鋭く、
アレク様を射抜いていた。
「アゼル……ッ!? 貴様、その体でどこにそんな力が――」
「言ったはずだ……ッ! アルテナに……触るなとッ!!」
アゼル様は残された全身の力を絞り出し、剣の柄でアレク様の胸元を激しく突き飛ばした。
「ぐはっ……!?」
衝撃を受けたアレク様は足元をすくわれ、悲鳴を上げながら螺旋階段を転がり落ちていく。大理石の段に何度も身体を打ちつけ、一番下のホール中央で動かなくなった。
静寂が、再び屋敷を包み込む。
「はぁ……っ、はぁ……っ」
荒い息を吐きながら、アゼル様の手から力なく剣が滑り落ちた。カランと乾いた音を立てて床に転がる。
「アゼル様……ッ!」
私は躊躇うことなく一歩を踏み出し、倒れそうになるアゼル様の身体へと抱きついた。
「アル……テナ……っ」
重なる体温。
血と汗の匂い。荒い息遣い。そして、私を抱き返すアゼル様の手が、痛々しいほど強く、激しく震えていた。
「申し訳……ありませんでした……っ! 私……私、アゼル様が冷たいと思い込んで……寂しさに耐えかねて、アレク様に逃げてしまった……! こんな……こんな汚れきった私を……っ!」
アゼル様の胸に顔を埋め、涙で声を詰まらせながら叫んだ。
(言わなきゃ……全部、私の口から本当のことを言わなきゃ……!)
「私……アレク様と……あの部屋で……身体を重ねてしまったんです……っ! あなたを裏切って、別の男性の腕に抱かれてしまったの……! だから……私には、あなたに愛される資格なんて……っ!」
溢れ出す罪悪感と絶望に、私は言葉を詰まらせた。
けれど――アゼル様は私の言葉を遮るように、血のついた大きな手で、優しく私の頬を包み込んだ。
「違う……違うんだ、アルテナ」
アゼル様の声は、驚くほど静かで、どこまでも温かかった。
「……? アゼル様……?」
涙で霞む目を上げると、アゼル様は哀しくも愛おしそうに、私を見つめていた。
「君は何も……穢れてなんかいない」
「え……?」
「アレクが君に与えたのは、精神を麻痺させる特殊な媚薬と香だ。君の記憶を混濁させ、自分が罪を犯したと思い込ませるための……卑劣な罠だったんだよ」
「……薬……? 記憶の……混濁……?」
頭が追いつかず、私は目を見開いた。
「君があの部屋でアレクと触れ合ったのは……おでこと唇への口づけだけだ。それ以上は……僕が踏み込んだことで、そいつは何もできなかった」
「あっ……」
アゼル様は、傷だらけの指先で私の涙を優しく拭う。
「そいつは君に『自分はもう戻れない』と思わせることで、僕から完全に君を奪おうとしていたんだ。……君の純粋な心と、優しさを利用して……」
身体の底から、すうっと冷たい毒が抜け落ちていくような感覚がした。
アレク様が見せていた嘘の優しさ。
私を縛りつけていた重い罪悪感の鎖。
それらがすべて、一瞬にして砕け散っていく。
「私……私は……アゼル様を……裏切っていなかった……?」
「ああ。君はどこまでも清らかで……僕の、たった一つの光だ」
アゼル様は感極まったように私を強く抱きしめ、私の髪に何度も唇を寄せた。
「すまなかった……僕の愚かなプライドと『配慮』が、君をこんなにも苦しめた……。二度と逃げない。二度と君を一人にしない……! だから……どうか、僕のそばにいてくれ……アルテナ……ッ!」
「アゼル様……っ! アゼル様……ッ!!」
私はアゼル様の背中に回した手にギュッと力を込め、胸の中で泣きじゃくった。
螺旋階段の上に重なるふたつの影。
長く苦しい毒の夜が明け、私たちはようやく、真実の愛の温もりに包まれていた――。




