豪奢な檻と甘やかな毒鎖
ガタリと静かに馬車が止まった。
重厚な扉が開かれ、アレク様に手を引かれて踏み出した先――そこに聳え立っていたのは、月光に照らされた重厚で美しい館だった。
「さあ、お入り、アルテナ様。ここが僕の別邸だよ」
案内されて一歩足を踏み入れ、私は思わず「あ……」と小さく声を漏らし、瞳を輝かせた。
エントランスには美しく磨き上げられた大理石の床が広がり、天井からは繊細なクリスタルのシャンデリアが眩いばかりの光を投げかけている。壁には美しい絵画や季節の花々が豪華に活けられ、まるで童話に出てくる王宮のようだった。
(なんて……なんて素晴らしいお屋敷……っ)
男爵家のこぢんまりとした控えめな屋敷しか知らない私にとって、その豪奢で洗練された空間は、息を呑むほど幻想的で美しかった。アゼル様に抱いていた劣等感や、学園で受けてきた冷ややかな視線を一瞬だけ忘れさせてくれるような美しさに、胸が小さく躍る。
しかし、一瞬胸を奪われたのも束の間。
すぐに冷や水でも浴びせられたように我に返った私は、己の身の程知らずさにカーッと頬が熱くなり、キュッと身を縮めた。
(……何浮かれているの、私。アゼル様を困らせて逃げてきたような女が、こんなに立派な場所に足を踏み入れるなんて……あつかましすぎるわ)
「あの……アレク様。このような立派で素晴らしいお屋敷に、私のようなしがない男爵令嬢がお邪魔するなんて……やっぱり、勿体なさすぎます……! 私なんかが足を踏み入れていい場所ではございません……」
伏せ目になり、申し訳なさそうに自分を小さく苛む私。
そんな私の言葉に、アレク様は困ったような、けれどどこまでも甘く優しい微笑みを浮かべると、ゆっくりと私の身を寄せた。
「そんなことを言わないでおくれ、アルテナ様」
アレク様の手が、そっと私の肩を抱き寄せる。
身体が触れ合い、彼の体温と甘い香水の香りが私を包み込んだ。
「君のような無垢で可憐な人にこそ、この場所はふさわしいんだよ。……いいかい? 君は自分を低く見積もりすぎだ。アゼルが君の価値に気づけず、雑に扱っていたから、そんな風に自分を責める癖がついてしまったんだね」
「アレク様……」
「ここでは君が主役だ。君が望むものなら、ドレスでも宝石でも、なんでも与えてあげる。……僕の腕の中で、ただ愛されることだけを考えていればいいんだよ」
そう囁きながら、アレク様は私の耳元にそっと唇を近づけ、撫でるように優しく愛を語りかけてくる。
その甘やかな手触りと耳元で囁かれる言葉に、傷ついてボロボロになっていた私の心はぽかぽかと温かくなり、少しずつ解されていくような錯覚に陥った。
(アゼル様は一度も、私にこんな『甘やかし』をくれたことはなかった。……いつも正しく、気高く、私を陰で見守ってくださっていたけれど……アレク様は、私を『欲しい』と言ってくださる……)
自分を必要とし、過剰なまでの寵愛を無条件で与えてくれるアレク様。
『誰からも必要とされていない』という絶望に苛まれていた私の心は、彼の差し出す贅沢で甘美な毒に、知らず知らずのうちに毒され始めていた。
――だが。
アルテナの頭を愛おしそうに撫で下ろすアレクの瞳には、温かな光など微塵も宿っていなかった。
(フフ……可愛い小鳥さん。自分を卑下する惨めさと、僕が与える贅沢のギャップに、すっかり酔いしれている……)
アレクの胸中で黒々と渦巻いていたのは、あまりにも歪んだ加虐的な愉悦だった。
豪華な家具も、惜しみなく与える寵愛も、すべてはアルテナの自尊心を削ぎ落とし、「アレクがいなければ自分は何も価値がない」と思い込ませるための贅沢な麻薬。
(アゼルに裏切られたと思い込み、僕の与える『籠』の中でしか生きられないようにしてあげる。惜しみなく与え、甘やかしてあげるよ。……その代わり、君の心も体も自由も、すべて僕に差し出してもらうけれどね)
アレクに対する劣等感を、アルテナを過剰な寵愛で支配することで払拭していく快感。
アレクは完璧な慈愛の笑みを浮かべたまま、何も知らずに縋ってくるアルテナを、二度と出られない別邸の奥へと静かに導いていくのだった――。




