第十五章 裏切り
西の砂漠から王都への帰路、一行は待ち伏せに遭った。
街道の途中の森で、突然矢が飛んできた。マルクスが咄嗟に柏木を庇い、矢は彼の肩当てに弾かれた。
「伏兵だ! 全員、馬車の陰に!」
マルクスの叫びで全員が馬車の後ろに身を隠した。
森の中から、武装した男たちが現れた。十人ほど。黒い覆面をしているが、装備は質が良い。傭兵ではなく、正規の訓練を受けた者たちだ。
「修繕師の柏木遼一だな。大人しく来てもらおう」
リーダー格の男が言った。
「何者だ」
マルクスが剣を構えて前に出た。
「名乗る必要はない。我々はただ、柏木遼一を確保するよう依頼されている。他の者に危害を加えるつもりはない」
「誰の依頼だ」
男は答えなかった。
リーナが「暁光」を抜いた。セリアが魔導書を開いた。マルクスが大剣を構えた。
戦闘が始まった。
相手は訓練された戦士だったが、柏木のパーティも負けてはいなかった。リーナの剣技は遠征を通じて格段に成長しており、マルクスの経験豊富な戦いぶりは圧巻だった。セリアの支援魔法が二人の動きを強化する。
柏木も【鑑定眼】で敵の弱点を仲間に伝え、【修繕術】で仲間の装備を戦闘中にリアルタイムで修復した。
十人の襲撃者は、十分足らずで制圧された。
「さて、話してもらおうか」
マルクスがリーダー格の男の胸倉を掴んだ。
「誰に雇われた」
男は口を閉ざしていたが、マルクスが覆面を剥がした瞬間、セリアが息を呑んだ。
「この男——ヴィクトル侯爵家の私兵です。紋章の消し跡がある」
男の鎧の内側に、削り取られた紋章の跡があった。ヴィクトル・レーヴェン侯爵の紋章だ。
「やはりか」マルクスが唸った。「あの侯爵、ついに実力行使に出たか」
柏木は深いため息をついた。
「セリア、この件はアリシア王女に報告してくれ。俺たちは予定通り北へ向かう」
「でも、ヴィクトル卿が再び襲撃してくる可能性が——」
「だからこそ、立ち止まるわけにはいかない。残りの鍵は一つ。手に入れれば、封印の修繕に進める。時間がないんだ」
セリアは逡巡したが、頷いた。
「わかりました。報告は魔法通信で行います。同行は続けます」
しかし、事態はさらに悪化した。
王都に送った魔法通信の返信で、衝撃的な事実が判明した。
アリシア王女が、第一王子フリードリヒの命令で王城に軟禁されたというのだ。
「フリードリヒ王子が、ヴィクトル侯爵と手を組んだようです」
セリアの声が震えていた。
「王女の綻び対策特別遠征隊は解散命令が出されました。柏木さんは、王都に帰還して身柄を第一王子に引き渡すよう求められています」
「身柄を引き渡す? 俺は犯罪者じゃないぞ」
「名目上は『異界人の保護管理』です。異界人は王室の管轄下に置くという古い法律を持ち出してきたようです」
マルクスが舌打ちした。
「要するに、修繕師の力を王子とヴィクトル侯爵で独占しようってことか」
「そうです。彼らにとって、柏木さんの能力は領地拡大のための道具です。世界の封印のことなど——知ったところで、気にしないでしょう」
柏木は黙って考えた。
王命に逆らえば、法的には反逆者だ。しかし、従えば、世界を救うための旅が止まる。封印の崩壊まで残り一年もない。政治的な理由で足止めされている余裕はない。
「北に向かう」
柏木は静かに言った。
「王命に背くことになりますよ」とセリアが確認した。
「わかってる。でも、今止まったら、世界が終わる。直さなきゃいけないものが目の前にあるのに、政治を理由に逃げるのは——俺にはできない」
リーナが頷いた。
「私もついていきます」
マルクスが肩をすくめた。
「元々退役軍人だ。今さら反逆者の肩書きが一つ増えても困らん」
セリアは眼鏡を直した。
「学院の研究者としては不適切な判断ですが——科学者として、世界の真実を解明する機会を逃すわけにはいきません。同行します」
四人は、追手を避けて裏街道から北へ向かった。
正規のルートは使えない。冒険者ギルドの協力も期待できない——ギルドは国の管轄下にある。食料と物資は自力で調達しなければならない。
逃亡者の立場は、精神的にも厳しかった。
「すまない。俺のせいで、みんなを巻き込んでしまった」
夜の野営で、柏木がぽつりと言った。
「何を言っているんですか」
リーナが真剣な目で返した。
「私は自分で選んでここにいるんです。巻き込まれたんじゃありません」
「俺も同意見だ」マルクスが薪を火にくべながら言った。「元々退役軍人の身だ。王命に従う義務はない。それに——正しいことをしている側にいたい。年を取ると、そういうのが大事になるんだ」
セリアは眼鏡の奥で目を伏せた。
「私は……研究者として、真実を追求する義務があります。政治的な理由で研究を止めるわけにはいきません。それに、柏木さんのことを——」
セリアは言いかけて、口を閉じた。
「研究対象として放っておけないんです。学術的に」
「学術的に、ね」マルクスが意味深に笑った。
「学術的にです!」
笑い声が夜空に広がった。逃亡者の身でも、仲間がいれば笑える。
しかし、意外な助けがあった。
旅の途中で立ち寄った小さな町で、柏木たちは住人から匿われた。
「あんたが修繕師の柏木さんか。うちの隣村の綻びを直してくれたって聞いてるよ。恩人だ。追手なんか通さないさ」
各地で綻びを修繕してきた実績が、思わぬ形で柏木たちを守った。住民たちは、国の命令よりも、自分たちの暮らしを救ってくれた修繕師への感謝を選んだのだ。
ある村では、村長が自らの家に柏木たちを泊め、追手が来た時には「そんな者は通っていない」とシラを切ってくれた。別の町では、商人が柏木たちを荷馬車に隠して町を通り抜けさせてくれた。
「あんたが直してくれた橋のおかげで、うちの商売が成り立ってるんだ。これくらいの恩返しはさせてくれ」
人の善意に助けられながら、四人は北へ進んだ。
北への旅は、それでも過酷だった。
季節は秋に差し掛かり、北に進むほど気温が下がった。食料は節約しながらの行軍。追手の気配も、常に背後に感じていた。
ある夜、マルクスが珍しく昔話をした。
「俺が騎士団に入ったのは十八の時だ。親父が騎士団の下士官で、跡を継ぐのが当たり前だと思っていた。二十年間、剣を振るい、命令に従い、敵を倒した。それが全てだと思っていた」
「何が変わったんだ」
「五年前の膝の怪我だ。魔物との戦闘で膝を砕かれた。治療魔法で骨は繋がったが、前のようには動けなくなった。退役を告げられたとき——自分が何者かわからなくなった」
マルクスの表情は穏やかだった。過去を受け入れた者の顔だ。
「騎士でなくなった俺に、何が残っているのか。剣しか知らない男に、何ができるのか。二年間、酒に溺れた。みっともない話だ」
「それを救ってくれた人がいた?」
「アリシア王女だ。あの方が、護衛の任を与えてくれた。『あなたの経験と判断力は、剣の速さよりも価値がある』と言ってくれた。それで——少し、前を向けた」
マルクスは柏木を見た。
「お前も似たようなもんだろう。仕事を失って、居場所をなくして——でも、ここで新しい居場所を見つけた」
「ああ。似てるな、俺たち」
「おっさん同士、通じ合うものがあるってことだ」
二人は笑った。
旅の間も柏木は修繕の手を止めなかった。道中で見つけた綻びを可能な限り修繕し続けた。小さなものから中規模のものまで、合計七か所。レベルは十三に到達した。
修繕のたびに、地元の住民が集まってきた。紫色の亀裂が金色の光に包まれ、消えていく光景を、人々は畏敬の念を持って見守った。
ある町で、小さな男の子が柏木に花を渡してくれた。
「修繕師のおじさん、ありがとう。お空の怖い光が消えたよ」
柏木は花を受け取り、少年の頭を撫でた。
「どういたしまして。もう怖い光は出ないよ」
少年は笑顔で走っていった。
柏木はその花を、旅の間ずっとポケットに入れていた。枯れかけたら、修繕して蘇らせた。小さな花を直すことも、世界を直すことも、柏木にとっては同じだった。
そして——凍てつく山脈が、眼前に聳えていた。
白い峰々が空を刺すように並び、雲を突き抜けて永遠の雪を抱いている。風は鋭く、麓に立っているだけでも身体が冷える。
柏木は山を見上げ、深く息を吸った。冷たい空気が肺を満たす。
——あの山の上に、最後の鍵がある。
ここまで来た。ブランデルの鍛冶場から始まった旅が、ここまで来た。折れた短剣を直した日から、どれだけの時間が経っただろう。
「行こう」
柏木は歩き出した。




