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綻びを繕う者 ~三十五歳の設備保全員、異世界で唯一の修繕師になる~  作者: のむ


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第十二章 南の鍵——翡翠の密林

翡翠の密林は、大陸の南端から内陸に百キロメートルほど入った場所に広がる、途方もない森だった。

 密林に入る前日、一行は「ジェーダの門」と呼ばれる南方の交易町で足を止めた。ここは密林に入る者が最後に物資を調達する町であり、同時に、密林から戻ってきた者が最初に文明の恩恵を受ける場所でもあった。

 「密林に入るのか。やめておけ」

 交易町の宿で、白髪の老猟師が柏木たちに忠告した。彼は左目に大きな傷跡があり、右脚を引きずっていた。

 「五年前、瘴気が広がる前に密林の奥で猟をしていた。あの頃ですら危険な場所だった。今は瘴気がさらに広がって、中型以上の魔物が巣くっている。入った冒険者が帰ってこなかった例を、俺は七つ知っている」

 「ありがたい忠告です。でも、行かなきゃならないんです」

 柏木が言うと、老猟師はしばらく柏木の顔を見つめてから、溜息をついた。

 「あんたの目は本気だな。なら、一つだけ教えておく。密林の奥に、『世界樹』と呼ばれるとんでもなくでかい木がある。他の木の十倍はある。密林の生態系の中心で、そこに近づくほど魔物の縄張りが濃くなる。だが、古い言い伝えでは、世界樹の上には神々が作った聖域がある、と」

 世界樹。それが、セリアの文献にあった「樹上遺跡」の場所なのだろう。

 「俺はあの木を遠くから見ただけだが——根元に近づいた時、不思議な感覚があった。空気が澄んでいるというか、瘴気がそこだけ寄りつかないというか」

 「先史文明の結界が残っているのかもしれません」

 セリアがメモを取りながら呟いた。

 老猟師はもう一つ、重要な情報をくれた。

 「密林には獣道がある。動物が水場に通う道で、人が通れるほど広い。瘴気が薄い場所を動物は本能で避けるから、獣道を辿れば比較的安全に奥まで入れる。ただし、獣道の周辺には蟲がいる。甲殻の蟲だ。剣が通りにくい」

 マルクスが腕を組んだ。

 「甲殻の蟲か。盾で受けて、関節を狙うしかないな。リーナ、覚えておけ」

 「はい」

 老猟師の情報に礼を言い、四人は密林に向けて出発した。


 密林に入って最初に感じたのは、音だった。

 鳥の声、虫の羽音、葉擦れの音、木々の軋み——無数の生命が発する音が、四方八方から押し寄せてくる。東京の雑踏とは質の違う、圧倒的な生命の密度。

 頭上は巨大な葉に覆われ、地上にはほとんど日光が届かない。足元は泥濘で、一歩進むたびに靴が沈む。湿度は凄まじく、息をするだけで肺が水分に満たされるようだった。数分歩いただけで、全員の服が汗と湿気でびしょ濡れになった。

 「この湿度……革鏧がふやけそうだ」

 マルクスが顔をしかめた。彼の重装備は密林では不利だ。動きが鈍くなるし、金属部分が錆びやすい。

 「俺が定期的に装備を修繕する。錆が浮いたらすぐ直すから、気にせず進んでくれ」

 「助かる。修繕師がいるパーティは便利だな」

 「便利って言うな。感謝しろ」

 軽口を叩きながらも、全員の目は真剣だった。


 獣道は確かにあった。太い木の根と根の間に、動物の足跡が踏み固めた細い道が続いている。老猟師の言う通り、獣道の周辺は瘴気が薄かった。

 しかし、薄いだけで、ないわけではなかった。

 密林に入って二時間ほどで、最初の異変に遭遇した。獣道を横切るように、地面に紫色の苔が生えている区域があった。苔に触れた木の根は黒く変色し、脆くなっている。

 「瘴気苔です。瘴気を吸収して増殖する植物の変異体。これ自体は無害ですが、この先に瘴気の発生源がある証拠です」

 セリアが苔を採取しながら説明した。

 柏木は【鑑定眼】で周囲をスキャンした。前方五百メートルほどの位置に、小規模な綻びの反応がある。

 「前に綻びがある。小さいやつだ。ついでに直していこう」

 小さな綻びは、巨木の幹に張りつくように存在していた。長さ一メートルほどの紫色の亀裂から、瘴気がゆっくりと染み出している。周囲の木々は葉が紫がかり、地面の草は枯れて灰色になっていた。

 「リーナ、マルクス、警戒頼む」

 柏木は綻びに両手を当て、【修繕術】と【瘴気浄化】を発動した。小規模な綻びは二十分ほどで修繕が完了し、亀裂は消えた。

 修繕後、驚くべきことが起きた。

 紫色に変色していた木の葉が、目に見える速度で緑色を取り戻していったのだ。枯れた草から新芽が顔を出し、灰色だった地面に土の色が戻っていく。

 「密林の回復力はすさまじいですね。瘴気が除去されれば、植物は自力で蘇る」

 セリアが感嘆の声を上げた。

 密林そのものに、自己修復の力がある。柏木はその事実を心に留めた。世界が壊れても、壊れた原因さえ取り除けば、世界は自分で直る力を持っている。修繕師に必要なのは、壊れた原因を取り除くこと。それさえすれば、あとは世界が自分で元に戻る。

 工場の設備と同じだ。故障の原因部品を交換すれば、機械は自分で正常に動き出す。


 密林の中を進むこと三日。日中は獣道を辿って移動し、夜は木の根元に防水布を張って野営した。

 二日目の夜に事件が起きた。

 夜番をしていたマルクスの声で全員が叩き起こされた。

 「甲殻蟲だ! 数が多い!」

 野営地の周囲に、体長六十センチほどの蟲が群れで押し寄せてきていた。黒光りする甲殻に覆われた体、六本の脚、そして鋏のような顎。瘴気に侵されていない通常の魔物だが、それでも危険だ。数は二十匹を超えている。

 リーナが暁光を構えたが、甲殻の硬さに苦戦した。ミスリルの刃でも、真正面から殻を斬るのは難しい。

 「関節を狙え! 脚の付け根と、頭と胴の接合部が弱い!」

 柏木の【鑑定眼】が弱点を的確に指摘する。

 リーナは指示通りに関節を狙い撃ちし、マルクスは大剣の重量を活かして甲殻を叩き割った。セリアは火の魔法で蟲を追い払い、十五分ほどの戦闘で群れを撃退した。

 しかし、戦闘の最中にリーナの脚甲が破損し、マルクスの籠手にも亀裂が入った。

 「はい、ここで修繕タイムだ」

 柏木が二人の装備を手際よく修繕した。暗い密林の中で金色の光が溢れ、破損した装備が蘇る。ついでに強度も上げておいた。

 「ありがとうございます、リョウイチさん。蟲の顎、すごく硬かったです」

 「密林の蟲は甲殻が発達してるからな。これからもっと大きいのが出るかもしれない。装備の強度を上げておく」

 柏木はその夜、リーナとマルクスの装備だけでなく、セリアの魔導書の革表紙の防水処理も修繕で強化した。密林の湿気で、本の紙が波打ち始めていたのだ。

 「助かります。この本は学院の備品なので、傷めたら始末書が——」

 「研究者ってのも大変だな」


 三日目の昼過ぎ、柏木の【鑑定眼】が前方に巨大な反応を捉えた。

 密林の他の木々とは桁違いの、途方もない生命反応。

 「あれだ」

 四人は獣道を外れ、藪を掻き分けて進んだ。やがて、目の前が開けた。

 世界樹だった。

 言葉を失った。

 幹の直径は十メートルを優に超え、高さは百メートル以上。周囲の木々が五十メートル程度であるのと比べると、まさに巨人のような存在感だ。幹の表面は深い皺が刻まれ、苔と蔦が絡みつき、そのすべてが命に溢れていた。

 さらに驚いたのは、世界樹の周囲だけ、空気が違うことだった。

 瘴気がない。完全に、一片の紫色の気配もなかった。老猟師が言っていた通りだ。世界樹自身が浄化の力を持っているのか、それとも先史文明の結界が残っているのか——おそらくその両方だろう。

 空気は澄み渡り、かすかに甘い花の香りがした。密林の湿気は変わらないが、不快ではない。むしろ心地よい。

 「これが、世界樹……」

 リーナが息を呑んだ。

 「父が昔、話してくれたことがあります。密林の奥に、全ての命を育む巨木がある、と。まさかこんなに大きいとは」

 セリアは世界樹の幹に手を触れ、目を閉じた。

 「……魔力の流れを感じます。この木は、密林全体に魔力を供給している。生態系のポンプのようなものです。根から水と養分を吸い上げ、枝葉から魔力を放出して、周囲の植物に生命力を分け与えている」

 「工場のボイラーみたいなもんか。一つの熱源で、工場全体を動かしてるやつ」

 「……その例えは、学術的にはどうかと思いますが、概念としては正しいです」

 柏木は世界樹の幹に触れ、【構造理解】を発動した。

 途方もない情報量が流れ込んできた。世界樹の内部構造——水を運ぶ管、魔力を循環させる経路、根から枝先まで張り巡らされた生命のネットワーク。そのすべてが精緻に組み上げられ、一つの完璧なシステムとして機能している。

 「すごいな……。こんなに複雑で、こんなに美しい構造は初めて見た」

 工場のどんな機械よりも精密で、どんな設備よりも壮大だった。自然が何千年もかけて作り上げた、最高傑作。

 そして、その幹の上方——高さ六十メートル付近の枝の上に、石造りの構造物が見えた。枝に寄り添うように建てられた、小さな神殿のようなもの。樹上遺跡だ。

 「あそこまで登る必要があるな」

 マルクスが首を反らして見上げ、渋い顔をした。

 「六十メートルか。建物四階分じゃきかない。ロープはあるが、この太さの木を登るのは——」

 「階段がある」

 柏木が見つけたのは、幹に刻まれた螺旋状の階段だった。木の幹の表面に、段差が彫り込んである。先史文明が造ったものだ。しかし、何千年もの歳月で階段はほとんど崩れかけていた。苔に覆われ、段の一部が欠け、とても人が登れる状態ではない。

 「これを修繕しながら登る。一段ずつ」

 柏木は階段の最初の段に手を当て、【修繕術】を発動した。

 崩れかけた石段が、金色の光に包まれて蘇る。苔が剥がれ、欠けた部分が埋まり、足を踏みしめるに十分な強度が戻る。

 一段直しては一歩登り、また一段直しては一歩登る。

 気の遠くなるような作業だった。しかし柏木にとって、地道な作業は苦ではない。工場でも、百本のボルトを一本ずつ確認する検査を毎週やっていた。丁寧に、確実に、一つずつ。それが設備保全の基本だ。

 「リョウイチさん、疲れませんか?」

 リーナが心配そうに声をかけた。

 「階段一段直すくらいなら、魔力はほとんど使わない。数が多いだけで、一つ一つは簡単な仕事だ」

 「でも、もう百段は直してますよ」

 「あと百段くらいだろう。問題ない」

 マルクスが後ろで呆れた声を出した。

 「こういうとき、この男の頑固さが頼もしいな」

 登り始めて一時間半。四人は世界樹の枝の上に到達した。

 枝は信じられないほど太く、幅三メートル以上ある。枝の上を歩いて移動できるほどだ。その先に——樹上遺跡があった。


 樹上遺跡は、枝の上に建てられた小さな神殿のような構造だった。白い石で造られた円形の建物で、直径は十メートルほど。壁面には先史文明の魔法文字が刻まれ、かすかに緑色の光を放っている。

 天井は半球状のドームで、透明な結晶が嵌め込まれており、密林の緑の光を室内に取り込んでいた。床には複雑な魔法陣が描かれ、中央に祭壇がある。

 祭壇の上に——緑色の結晶が置かれていた。翡翠のように深い緑色で、掌に収まるほどの大きさ。しかし、その内部には凝縮された魔力が脈動しているのが、柏木の目にも見えた。

 南の鍵だ。

 しかし、柏木が祭壇に近づこうとした瞬間、空気が変わった。

 床の魔法陣が激しく発光し、室内に風が渦巻いた。壁面の文字が次々と輝き、何かが召喚されようとしていた。

 遺跡の入口が蔦に塞がれ、四人は室内に閉じ込められた。

 「守護者が来ます!」

 セリアが叫んだ。

 魔法陣の中心から、巨大な存在が現れた。

 木の精霊——樹人。

 体長五メートル。全身が木の蔓と根で構成された異形の存在だ。頭部にあたる部分には、苔に覆われた古い面のような凹凸があり、そこに緑色の光を湛えた二つの目が浮かんでいた。腕は六本あり、それぞれが蔓のようにしなやかに動く。背中からは若葉が生え、まるで木が歩いているかのような姿だった。

 「鍵を求める者よ」

 樹人の声は低く、地の底から響いてくるようだった。木の幹が共鳴し、遺跡全体が振動する。

 「二千年。わしはここで待っていた。封印の修繕師が来るのを」

 「俺が修繕師の柏木遼一です」

 「知っている。お前が密林に入った時から感じていた。修繕の力を持つ者の気配を。——だが、鍵を渡すわけにはいかぬ」

 「なぜ」

 「資格を示せ。わしはこの鍵を二千年守り続けた。偽りの修繕師に渡すわけにはいかぬ。お前の力が本物であることを、試練によって証明せよ」

 柏木は頷いた。試練があることは、ある程度予想していた。

 「何をすればいい」

 「密林は苦しんでいる。瘴気に蝕まれ、多くの命が損なわれた。お前の修繕の力で、この密林を救え。わしがこの遺跡から見渡せる範囲——密林の心臓部に巣くう瘴気を浄化し、枯れた木々を蘇らせよ」

 樹人は六本の腕を広げた。

 「ただし、条件がある。お前一人の力で行え。仲間の助けを借りてはならぬ。修繕師とは、壊れたものと一対一で向き合う者だ。その覚悟を見せよ」

 セリアが口を開きかけたが、柏木が手で制した。

 「わかった。やる」

 「リョウイチさん——」

 リーナが不安げに柏木を見た。一人で密林の広範囲を浄化するのは、途方もない魔力を必要とする。

 「大丈夫だ。信じてくれ」

 柏木は遺跡の縁に立ち、眼下に広がる密林を見下ろした。

 高さ六十メートルからの眺望。緑の海のように広がる密林の中に、紫色に変色した区域が点在している。大小合わせて十数か所。瘴気に侵された場所だ。枯れた木々の灰色が、緑の海に病巣のように散らばっている。

 柏木は目を閉じ、深く呼吸した。

 工場の設備保全で、柏木が最も得意としていた作業がある。工場全体の設備を一台ずつ巡回し、異常がないかを確認する「日常点検」だ。ベテランの保全員は、工場に入った瞬間に空気の匂い、音、振動で異常の有無を感じ取れる。柏木もその境地に達していた。

 同じことを、この密林でやる。

 【鑑定眼】を最大出力で発動。同時に【構造理解】で密林全体の生態系の構造を把握する。

 膨大な情報が流れ込んできた。

 密林を一つの「工場」として見る。世界樹がボイラー、太い根が配管、細い根が計装ライン。そこに瘴気という「異物」が混入している。異物を除去すれば、システムは正常に動く。

 ——見えた。瘴気の分布パターンが見える。

 十三か所の汚染域。それぞれの瘴気の濃度、範囲、侵食の深さ。そして、密林の地下に張り巡らされた根のネットワークを通じて、汚染が広がろうとしている経路。

 ポイントは、根のネットワークだった。

 瘴気を一つ一つ個別に浄化するのでは、魔力が足りない。しかし、根のネットワーク——密林の「配管」を通じて浄化の力を流すことができれば、一度の発動で広範囲をカバーできる。

 工場のフラッシング作業と同じだ。配管の中に洗浄液を流して、配管全体を一気に洗う。

 柏木は世界樹の枝の上に両手をついた。

 世界樹の根は、密林全体に張り巡らされている。この根のネットワークに修繕の力を流し込めば——。

 【修繕術】と【瘴気浄化】、そして【領域修繕】を同時に発動。

 ただし、対象は瘴気そのものではなく、世界樹の根のネットワークだ。瘴気に侵されて詰まった根を修繕し、浄化の力が流れる経路を確保する。あとは世界樹自身の浄化力が、根を通じて密林全体に行き渡る。

 修繕師は、壊れたものを直す。直したものが自分で動き出すのを助ける。

 金色の光が柏木の手から溢れ、世界樹の枝を伝って幹に流れ込んだ。光は根のネットワークに浸透し、地下を駆け巡った。

 密林が、震えた。

 地面の下で、何かが目覚めるような振動が走った。世界樹の根が、金色の光に呼応するように脈動し始めた。

 柏木の手から放たれた光は、最初は細い糸のようだった。しかし世界樹のネットワークに乗った瞬間、それは大河のように膨れ上がった。世界樹自身の魔力が加わったのだ。柏木が「呼び水」を流し込み、世界樹が自分の力で浄化を始めた。

 密林の各所で、変化が起きた。

 紫色に変色していた木の葉が、波紋のように緑を取り戻していく。枯れた枝から新芽が吹き出し、灰色の地面に緑の草が生え始めた。瘴気の霧が金色の光に触れて蒸発し、澄んだ空気が広がっていく。

 高い木の枝で見守っていたリーナが、声を上げた。

 「すごい……密林が生き返っていく……!」

 セリアは無言で計測器を構えていた。その手が震えている。科学者として、今目の前で起きていることの意味を、誰よりも深く理解しているからだ。

 柏木は歯を食いしばった。世界樹のネットワークに力を流す「起点」として、自分の魔力を消費し続けなければならない。ポンプの呼び水が尽きれば、浄化も止まる。

 額から汗が滝のように流れた。視界がチカチカと明滅する。膝が震え始めた。

 ——もう少し。あと三か所。

 十番目の汚染域が浄化された。十一番目。十二番目。

 最後の一か所——最も深くまで侵食された場所。密林の南東部にある古い沼地が、完全に瘴気に飲まれていた。

 「ここが……一番厄介だ……」

 柏木は残りの魔力を絞り出した。

 金色の光が最後の汚染域に到達し、瘴気と衝突した。紫と金が混じり合い、せめぎ合い——そして、金が勝った。

 瘴気が消えた。沼地の水が澄み、周囲の枯れ木が一斉に芽吹いた。

 十三か所すべての浄化が完了した。

 柏木は世界樹の枝の上に崩れ落ちた。全身の力が抜け、指一本動かせない。魔力は完全に枯渇していた。しかし、意識ははっきりしている。

 眼下の密林は——美しい緑に蘇っていた。

 紫色の斑点は一つもない。鮮やかな緑の海が、どこまでも広がっている。風に揺れる葉が陽光を反射し、キラキラと輝いている。

 鳥が鳴いた。瘴気に追われて沈黙していた鳥たちが、一斉に歌い始めた。

 「見事だ」

 樹人の声が、今までよりもずっと穏やかに響いた。

 「お前は密林を力ずくで浄化したのではない。密林自身の力を引き出し、自己修復を助けた。それこそが、真の修繕だ。壊れたものを無理やり直すのではなく、壊れたもの自身が治る力を引き出す」

 樹人は六本の腕で祭壇の上の結晶を持ち上げ、柏木の前に差し出した。

 「修繕師よ。お前に南の鍵を託す。この鍵は、密林の命そのものから生まれた結晶だ。生命の力が込められている。封印の修繕に、必ず役立つだろう」

 柏木は震える手で、緑色の結晶を受け取った。

 手に取った瞬間、温かい脈動を感じた。命の鼓動だ。密林のすべての命が、この小さな結晶の中に凝縮されている。

 「ありがとう。大事にする」

 「礼を言うのはわしの方だ。二千年、わしは密林が蝕まれるのを見守ることしかできなかった。お前が来てくれて——密林が救われた」

 樹人の身体が、ゆっくりと崩れ始めた。蔓が解け、根が緩み、構成していた木の繊維が一本ずつほどけていく。

 「二千年の役目を終え、わしは密林に還る。この身が土に帰り、新しい命の糧となる。——それもまた、一つの修繕だ」

 樹人は微笑むように目を細め——そして、木の実と若葉の山になって、風に散った。


 密林を出たのは、入ってから六日目の朝だった。

 ジェーダの門に戻ると、老猟師が待っていた。

 「生きて帰ったか。——いや、それだけじゃないな。密林の空気が変わった。瘴気の匂いが消えている。お前たち、何をした」

 「壊れたものを、直しただけです」

 柏木が答えると、老猟師はしばらく柏木の顔を見つめてから、深々と頭を下げた。

 「ありがとう。あの密林は——俺の故郷みたいなもんだ。ずっと、瘴気に蝕まれていくのを見ているしかなかった。それを直してくれて——ありがとう」

 四つの鍵の、一つ目を手に入れた。

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