第9話
席に戻ると、球場は七回の攻撃を前に、ジェット風船を飛ばす準備でさらに熱を帯びていた。
けれどそれとは反対に、私の心は急速に冷えていく。
「美絵、おかえりい〜」
いずみの出迎える声も、私の耳には届いていない。
やってしまった。
見に行きたいなんて、さすがに図々しかった。
いくら中学の同級生だからって、距離感を間違えたよね?
よく考えたら、教えている瀬川くんも、練習しているみんなも、全員真剣なのだ。
それを見に行きたいなんて、邪魔だよね。
(調子に乗ってしまった……。瀬川くん、困ってた)
ちょっと優しくされたからって、すぐに勘違いして。
恥ずかしさと情けなさで、目の前の試合展開なんて何も頭に入ってこない。
膝の上でスマホを握りしめ、泣きそうになるのを必死で堪えていた。
――ブブッ。
手のひらの中で、スマホが短く震えた。
画面を見ると、メッセージの通知が表示されている。
差出人は『瀬川くん』。
心臓が口から飛び出そうになった。
震える指でロックを解除する。
『さっきはごめん、言いそびれたけど』
『見てもらえたら、俺も嬉しい。いつでもいいよ』
短いメッセージ。
けれど、その文字を見た瞬間、球場のすべての騒音が消え失せた。
じわ、と体温が一気に上昇する。
『嬉しい』
『いいよ』
――その言葉が、頭の中で何度も繰り返される。
よかった。
なんか今、飛び跳ねたい。
灰色の石みたいに固まっていた胸のモヤモヤが、一瞬でピンク色の花びらになって弾け飛んだようだった。
口元が緩むのを止められない。
スマホを胸に抱きしめて、顔を上げると、遠くの席に座る瀬川くんの後ろ姿が目に映った。
「……あれ?」
隣でいずみが、不思議そうな顔で私を覗き込んだ。
「なんかいいことあった?」
「えっ!? な、なんで?」
「だってさっきまで、すごいむくれてたのに。今はなんか……顔、パアァァッてなってるよ? ご機嫌じゃん」
いずみがニヤニヤしながら私の頬をつつく。
「そ、そんなことないよ! 試合、勝ってるからかな!」
「ふーん? 怪しいなあ」
私は慌ててメガホンを持ち直し、熱くなっている頬を隠した。
空には、無数の風船が鮮やかに舞い上がっていく。
その景色が、涙が出るほど綺麗に見えた。
まだ、このドキドキの名前を、私は知らない。
ただ、彼の言葉一つで、世界がこんなにも鮮やかに変わってしまうことを、この夜の私は知ったのだった。
(そういえば……瀬川くん。結局あの時、飲み物買っていなかったよね?)
そのことに気づいたのは、家に帰って一息ついた後のことだった。




