最終話
故郷の公園で抱き合い、想いを伝え合ったあの日から、二年後――。
私たちは大学四年生になっていた。
力強い春風が、咲き終えた花びらたちを東京のアスファルトから舞い上げる。
またこの季節がやってきた。
今日は、サークルの新入生歓迎会だ。
今回の会場も「新歓といえばここ」と毎回利用させてもらっている、雑居ビルに入った居酒屋。
「スポーツ観戦サークルへいらっしゃい! 楽しもうぜー! カンパーイ!」
元気よく音頭をとったのは、今やサークルの部長を務めている正人くん。
「お皿ある? 飲み物足りてる?」
「あっ……はい! ありがとうございます!」
近くの席に座る新入生たちに声をかけると、初々しい反応が返ってきた。
四年生にもなると、一年生のみんながなんだか我が子のように可愛く思えてくるから不思議だ。
「わあ! あの人見知りだった美絵が、新入生のお世話してる〜」
向かい側に座るいずみが目を丸くして笑っていた。
賑やかなテーブルのどこにも――祥ちゃんの姿は、ない。
◇
部長として各テーブルを回り、忙しそうにしていた正人くんが、ようやく私たちのところにやってきた。
「よー! 楽しんでるかー!」
いずみが「まさとん、おつ〜」と、労いの言葉をかける。
新入生同士で盛り上がり始めたのを見計らって、私たちは三人で話し始めた。
「昨日も面接でさあー。たぶん落ちたわ」
いつもの調子でカラッと言った正人くんは、手元のジョッキを大きく傾けた。
正人くんと私は現在、就職活動の真っ只中だ。
私は、様々な選択肢を考えた結果、地元には帰らずに東京で働くことを決めている。
いずみは卒業を遅らせて、まもなく海外へ留学する予定になっていた。
「やっぱり寂しい……」
ぽつりと呟くと、いずみも「美絵〜」と瞳を潤ませる。
「遊びにきてね! 絶対っ」
「うん、絶対行く!」
私たちは、改めて固い約束を交わした。
「そういや、祥太郎は今、福島だっけ?」
正人くんが枝豆を口の中にポイッと投げながら、話を振ってきた。
「うん。教育実習、ゴールデンウィーク明けから始まるからね」
祥ちゃんは体育の先生になるため、大事な教育実習を控えている。
実習の場所は――私たちが出会った、あの中学校。
そのため、事前に福島に戻り、手続きなどを進めているのだ。
「あいつ、教師を地元か東京どっちでやるかは、まだ決めてないんだよな?」
「……うん」
正人くんの問いに、やや俯いてしまいながら頷いた。
そろそろ結論を出さなければいけないのだけど、彼はまだ決めていない。
「私のことは気にしないで、祥ちゃんがやりたい方にしてね」と伝えてはある。
でも……正直なところ、彼の決断を聞くのは少しこわい。
もし東京と福島、になったら。
決して会えない距離ではないけれど、教師という大変な仕事に就く祥ちゃんとは、定期的に会えるかどうかわからないからだ。
「美絵も帰るんだよね? ゴールデンウィーク」
少し沈んでしまった私の気持ちを晴らすように、いずみが明るい笑顔で問いかけてきた。
「うん。祥ちゃんと、中学校で会うんだ」
「なんで学校?」
不思議そうな正人くんに、私も枝豆を手に取りながら答える。
「卒業生は休日なら自由に入れるらしくて、一緒に行かない? って、誘ってくれて」
「……ふーん? なんか意味深だなー」
正人くんはイシシと意地悪そうに笑いながら、いずみと含みのある視線を交わしていた。
◇
ゴールデンウィークに入った。
一人で福島行きの新幹線に乗り込み、移りゆく景色を眺めていたら、ポケットの中のスマホが震えた。
『学校で待ち合わせでいい?』
祥ちゃんからのメッセージだ。
『うん、いいよ』
すぐにそう返した。
中学校は、私の実家からは少し距離があり、卒業してから足を運ぶのは、実はこれが初めて。
変わっていないだろうか。
祥ちゃんと出会ったあの場所で、彼に会う。
しかも、顔を合わせるのは一週間ぶりだ。
色んな感情が混ざり合い、胸が高鳴っていく。
◇
地元の駅に着き、学校行きのバスに揺られること二十分。
窓の向こうに、記憶の通りの校庭が見えてきた。
「わっ。懐かしい……」
思わず、小さな声が漏れる。
バスを降りると、東京より冷たくて青い風が、ふっと足元を通り抜けた気がした。
正門に立っている姿を見つけると、自分の居場所に帰ってきたような、深い安心感に包まれる。
「……祥ちゃん!」
声をかけると、彼は少し照れたような顔で、小さく手を上げた。
付き合ってから一番短いかもと思うくらい、さっぱり整えられた髪。
とても似合っていて、すでに「先生」らしく見える大人びた姿が、たまらなくカッコいい。
スーツではないけれど、オフホワイトのシャツにネイビーのスラックスという、普段よりもずっときちんとした格好をしている。
『一応、来週からお世話になるし、知ってる先生に会うかもしれないから』と、電話で言っていた通りだ。
◇
二人で校舎の横を通り抜けると、思い出の詰まった校庭が、視界いっぱいに広がった。
「うわあー……」
自然と感嘆の声が漏れた。
私が走って跳んでいたのは、校舎の近く、マットが置いてあったあのあたり。
そして、祥ちゃんが立っていたマウンドはあそこだ。
休日で夕暮れ時ということもあり、広いグラウンドには誰もいない。
「行こ」
祥ちゃんはそう言って私の手を引く。
そして、ちょうど中学時代に彼が投げていたマウンドと、私が跳んでいた場所の「真ん中」のあたりへと連れてきた。
そこにたどり着くと――。
祥ちゃんはふうっと深く息を吸い込んで、真剣な顔を作った。
「……美絵。あのさ……」
(あ……もしかして)
息を呑む。
教師をやる場所を決断して、それをこれから伝えてくれるのかもしれない、と思った。
(もし祥ちゃんが、東京で就職する私と離れて「ここ福島で、教師をやる」と言ったとしても、絶対に笑顔で応援してあげるんだ……)
心の中で何度もシミュレーションを繰り返し、グッと身構えていた。
だから――その後、そっと投げられた言葉に、耳を疑った。
「……結婚してくれませんか?」
「…………えっ?」
突然のことに、頭がまったく追いつかない。
「もちろん、今すぐじゃなくて、いいんだけど……」
(え……? 今、なんて……)
たしかに、『ずっと一緒にいたい』とは、話していた。
けれど、遠距離の可能性があったから――もしそうなったらどうなるんだろうという不安が、先にあったのだ。
「……祥ちゃん、どこで教師やるか……決めた?」
混乱のあまり、一番気になっていたことの確認から入ってしまう。
「あっ、えーっと。それは……東京にしようと思ってる」
(…………そうなんだ)
彼がどちらを選んでも応援すると決めていたくせに、その答えにどうしようもなく安堵してしまう私。
「地元は好きだし、思い入れもあるし、ここで教師になるのもいいなって考えたけど……」
「…………」
彼の瞳を見つめながら、その声にただ耳を傾ける。
「でも、教師になりたいのと同じくらい、いや……それ以上の気持ちで、俺は美絵と一緒にいたい。それで……」
祥ちゃんはそこで言葉を切り、ハッとしたように焦り始めた。
「……って、ごめん。話の順番めちゃくちゃになってる。それをちゃんと説明してから……言えばよかったよな」
苦笑いしながらそう言って、姿勢を正し、もう一度、私の目をまっすぐに見た。
「……俺と、結婚してください」
大人になった彼の輪郭が、夕焼けの淡い光に美しく縁取られている。
私は弾かれたように地面を蹴り上げて、彼の首元に抱きついた。
「……おっ、と……」
その勢いに、彼の身体は少しだけ揺れたけれど、しっかりと私を受け止めた。
「……っ、はい。結婚したいです」
涙が混ざった声で、そう答える。
「……マジ? やったあ」
自分から言ったことだけど信じられない、というように、祥ちゃんは心底嬉しそうな声をあげた。
私を抱きしめ返す腕は、力強く、そして途方もなく優しい。
ふたりが出会ったこの場所で、私と彼の未来へと続く線が、ゆっくりと、たしかに重なったときだった。
―― 本編・完 ――
この作品を読んでいただき、本当にありがとうございます。
このあと、エピローグがあります。
祥太郎の高校時代の記憶にまつわるお話となり、そちらをもって完結いたします。
最後、お楽しみいただけたら嬉しいです……!




