第81話
連休の初日、私は地元の福島へと向かう新幹線の中にいた。
窓の外を流れる景色をぼんやりと眺めながら考える。
祥ちゃんからの連絡をこのまま待つべきか。
それとも、もう一度私から連絡してみるべきか。
私から連絡するなら……駅に着いたらすぐに行動を起こそう。
そう決意を固めていた矢先、スマホが震え、祥ちゃんから電話がかかってきた。
彼も今から福島に来るという。
福島で会おうと、提案してくれたのだ。
まさか、そんな展開になるなんて予想もしていなかった。
直接話をする緊張や不安よりも、「会える」という事実にただ嬉しくなる。
そして何より、電話越しの声が変わらず優しかったことに胸が熱くなり、思わずまた泣いてしまいそうになった。
「…………ふう」
電話を終えてデッキから座席に戻り、ゆっくり深呼吸をして、込み上げてくる涙を必死に鎮めた。
『チケット取れた。一時間後の新幹線に乗るよ』
祥ちゃんからメッセージが入り、会う場所をどうするか相談した。
同じ中学校の出身とはいえ、学区は広く、私たちの実家はわりと距離がある。
『ちょうど間くらいで、わかりやすいところあるかな』
やり取りをしていたら――ふと、ある場所が思い浮かんだ。
私はそこを、祥ちゃんに提案した。
◇
実家に着いて一息ついたあと、「ちょっと出かけてくるね」と言って、家を出た。
母は「どこに〜?」と言いながらニヤニヤしていて、何かを察している様子だった。
父は「ん? どこにだ!?」と最後までしつこく聞いてきたけれど、適当に誤魔化し、逃げるように自転車に乗った。
十五分ほどかけて着いたのは――総合病院の前にある小さな公園。
中学生のとき、祥ちゃんと二度目に言葉を交わした場所だ。
ここで待ち合わせることにしている。
祥ちゃんは、駅から出ているバスに乗って来る予定だ。
病院前にある停留所で降りれば、すぐ目の前に公園がある。
早めに着くと、ひと組の小学生のグループが端っこでお喋りをして遊んでいた。
古い小さなブランコに腰掛ける。
キイッ、と錆びた金属が軋む音がした。
東京よりも澄んでいるように感じる故郷の空気。
大きく吸い込み、そっと吐き出しながら、静かにブランコをこいで待った。
しばらくすると、後ろから、地面の砂利を踏む音がした。
「……美絵」
そして、大好きな声で名前を呼ばれる。
ゆっくりと振り返った先には――ずっと会いたくてたまらなかった彼が立っていた。
「……祥ちゃん」
呼び返したものの、次の言葉が出てこない。
中学のときは、怪我をして落ち込んでいた祥ちゃんの背中に、私から話しかけた。
その時の記憶が、鮮明に蘇る。
まだあどけなさが残っていた、中学生の彼の姿。
「…………」
祥ちゃんも黙ったまま、隣のブランコに腰掛ける。
ギイッという、私が座った時より低くて重たい音が鳴った。
「やば、壊れるかな?」
祥ちゃんが、やや焦りながら言う。
「祥ちゃん、大きいもんね」
私が笑うと、彼も笑った。
こんな何気ないやり取りだけで、とてつもない幸福感に包まれる。
背の高い彼が、小さなブランコにちょこんとおさまっている。
そのちぐはぐな姿が、どうしようもなく愛おしい。
少しの沈黙のあと、話を切り出そうと息を吸い込んだ、その瞬間。
「……初めて美絵を見たのは、中学一年の夏前くらいで」
先に口を開いた祥ちゃんが、静かに話し始めた。
いきなりの昔話に、思わず「えっ?」と彼を見た。
「ごめん……長くなるかもしれないけど、話していい?」
頷くと、祥ちゃんは前を見つめたまま続けた。
「……美絵が部活をしてるときの笑顔を見て、一目惚れ……して。でも、話しかける勇気なんてないから、ずっと遠くから見てた。美絵が笑っているのを見られると、それだけで嬉しかった」
横顔を見る。
気恥ずかしさがあるのか、私とは目を合わせず、前だけを見ながら話している。
「でも、大学で再会して、特に付き合ってからは……美絵を笑顔にするのは俺がいい、独り占めしたいって思うようになった。……けど、それを表に出すのはどうしてもカッコ悪い気がして……あまり出さないようにしてた」
「…………」
「美絵のため、とかじゃなくて。俺が美絵に、良く思われたいってだけ。たぶん、これからも隠しがちにはしちゃうと思うけど……本音はそういう感じ。そのくらい俺は……美絵のことが、好き」
「……うん」
言葉の一つひとつを心で受け止めるように、静かに相槌を打つ。
「それで……俺は……美絵とはこの先もずっと、一緒にいたいと思ってる」
そこで初めて、彼はこちらを向き、視線が交差した。
(あ……)
私が一番言いたかった言葉を、彼が先に、まっすぐ伝えてくれた。
「だから……早く大人になりたくて。大学もバイトも、将来のことも頑張ろうって思う。でも、そちらに気持ちがいきすぎて、美絵に寂しい思いや辛い思いをさせてるんじゃないかって不安にもなる。俺にとっては、そうなってしまったら本末転倒なんだ。だから……美絵の気持ちは、小さいことでもいいから、知りたい」
真剣な眼差しでそう言ったあと、やっぱり気恥ずかしそうに息を吐いた。
「先に話しちゃってごめん。今、俺から伝えられるのはこのくらいかな。……美絵の話も、聞きたい」
彼の想いを受け取り、膝の上でぎゅっと手を握りしめた。
「私は……」
一度、呼吸を整え、話し出す。
「私は……祥ちゃんに呆れられたくなくて。祥ちゃんと違って、将来やりたいこともまだ見つけていないし、この先見つかる自信もあまりない。自分に胸を張れなくて……」
声が震える。
「……だから、カッコいい祥ちゃんと対等に接している女性が羨ましくて、必要以上に嫉妬しちゃったりして。私のやきもちは、祥ちゃんは何も悪くないの。自分の将来への焦りや劣等感も混ざってて……」
話しながら、目頭が熱くなり、涙が溜まってくるのがわかる。
(泣くな)
自分にそう言い聞かせて、ぐっと堪える。
そして、長く棘のように引っかかっていたことを、勇気を出して尋ねた。
「……祥ちゃんが好きになってくれた頃の私は、部活を楽しんでて、目標に向かって一生懸命で、いつも笑ってて……キラキラしてたと思う。今の私はそれと違って……幻滅しない?」
中学生のとき、遠くから見てくれていた私と、今、そばにいる私。
彼にとって、それはまるで別の人であるように見えているのではないか。
ずっと、そんな不安があった。
けれど、祥ちゃんはすぐに、落ち着いた声で否定した。
「……幻滅? するわけないよ」
「でも……」
「俺は……なんていうか……美絵の存在が、好きだから」
自分で言いながら、「……って、なんだそれ」と照れ隠しに小さく笑った。
「迷うことがあったら、全然頼ってほしいよ。俺だって……怪我から立ち直れたのも、間違いなくここで、他の誰でもない美絵が声をかけてくれたからだし。あれがなかったら、今の俺はいないと思うから……」
「…………」
(中学生の、あの日の私……祥ちゃんの救いになれてたんだ)
胸がいっぱいになり、我慢していた涙がポロポロとこぼれ落ちた。
「美絵が将来に焦りを感じてたこと……気づけなくて本当にごめん」
「……ううん。そんなに焦る必要がないのもわかってるんだけど……」
祥ちゃんは前を向いたまま続ける。
「体育学部はさ、元々目的を持って入ってくる人が多いから、将来目指すものが既にはっきりしてることも多いけど。ほとんどの大学生は、これから見つけていくんじゃないかなと思う。逆に考えると、選択肢がたくさんあるってことだし」
その言葉が、強張っていた心にスッと染み込んでいき、一気に心が軽くなる。
なんでもっと早く相談しなかったんだろうと後悔するくらいだ。
「……祥ちゃん、先生みたい」
小さく呟いたら、祥ちゃんは「え、マジ? 無事になれるかな」と照れくさそうに鼻の頭を掻いた。
「うん……絶対なれる」
彼の夢を、隣で応援したい。
今は少しの無理もなく、心の底からそう思えた。
「とにかく、俺が美絵のこと嫌いになるとかはありえないから。俺の片思い歴なめないで」
冗談めかして笑う祥ちゃんを見て、私も指で涙を拭いながら笑った。
「私も……祥ちゃんのことが、本当に大好き。会えなくて辛かった。嫌われたくなくて、正直な気持ちを話せなくて……時間がほしいなんて言って、ごめんなさい」
そう言って俯くと、祥ちゃんはブランコから立ち上がり、私の前に来た。
そして、座っている私に合わせて屈み込み、そのままぎゅーっと強く抱きしめた。
「はー、よかった……振られるかと思った……」
彼が全身で息を吐きながら、安堵の声を出す。
「……振るわけない!」
その背中にしがみつきながら、胸を痛めた。
いずみが言っていた通り、私が彼をそんなふうに誤解させて、不安にさせてしまっていたのだ。
「変な言い方しちゃって、ごめんね……」
謝る私を腕の中に閉じ込めたまま、祥ちゃんは頭上から不満げな声を落とした。
「……なぜか元彼と一緒にいたしさ」
「あ……やっぱり祥ちゃん……あれが元彼って気づいたの?」
身体を離して顔を見上げたら、視線を外された。
「……なんとなく、そうかなって」
私は慌てて、修平くんとは千尋さんのOB訪問で急遽顔を合わせることになった経緯を説明した。
祥ちゃんは「そういうことだったんだ」と少し驚きながらも。
「……ふーん。でも、会ったことには変わりないしな」
再び目を逸らしながら、拗ねた子供のようにそう言った。
……どうしよう。
申し訳ない気持ちでいっぱいなのに、そんな祥ちゃんがどうしようもなく可愛くて、戸惑ってしまう。
思わず立ち上がって、もう一度力いっぱい抱きつきながら言った。
「大好き……」
すると、数秒間黙っていた祥ちゃんが、そっと呟いた。
「……キスしていい?」
「…………ええっ!?」
驚いて顔を上げる。
(そういえば、何度もハグしてしまったけれど、さっき端っこにいた小学生たちに見られてた……!?)
焦って振り返ると、彼らはいつの間にかいなくなっており、公園には私たち二人きりだった。
それでも、誰かに見られるんじゃ……とキョロキョロと周囲を見渡したが、幸い人の気配はないようだ。
「……うん」
小さくOKすると、祥ちゃんは身体を屈めて、軽く触れるだけの優しいキスをくれた。
そしてまた私を、強く、愛おしそうに抱き寄せた。
久しぶりのキスに、頬が熱くなっていくのがわかる。
「……これだけで済ませた俺を、褒めて」
耳元で、低く甘い声で囁かれ、顔全体が一気に熱を帯びた。
ゆっくりと見つめ合い、二人で照れながら笑う。
遠回りをして、傷ついて、たくさん泣いたけれど。
思い出の小さな公園で、私は今、この上ない幸せを感じていた。




