第71話
「……彼氏ですかあー? めっちゃカッコよくて、大好きですよお〜」
えへへへ、と笑みが止まらない。
「……店長。こいつ、酒入るとめんどくさいタイプっすね」
呆れ顔でジョッキを傾けながら、柳くんが苦笑いする。
「えー! いいじゃなーい! デレてる美絵ちゃん、可愛すぎる〜!」
対する店長は両手で頬を包みながら、微笑ましい表情で見てくれていた。
駅前にある和食の居酒屋さん。
週の真ん中の平日だからか、運良く個室に通してもらえた。
私は誕生日のとき買ったものと同じ、ピーチ味のサワーを頼んだ。
けれど、お店のお酒は少し度数が強いのか、それともバイトの疲れがあったからか、この前よりもずっと酔いが回っている気がする。
頭の芯がふんわりと解けて、宙に浮いているみたいな感覚だ。
でも、アルコールが今日の嫌な出来事にベールをかけてくれているようで、ただただハッピーな気分だった。
(今なら、祥ちゃんにぎゅーって抱きついて『今日はごめんね。ただいつものやきもち焼いちゃったの』って、素直に謝れる気がする……)
深刻にせず、さらっと言える。
そんな根拠のない自信すら湧いてきていた。
「柳くんはー? 彼女とかいるの?」
ふと、店長が彼に話を振った。
「今はいないです。まあ、俺はひとりでも全然平気なんで。好きになれば付き合うし、そうじゃなくなれば別れるし……みたいな感じですね」
「えー、なんかめちゃくちゃドライだわ」
あっけらかんとした答えに、店長は少し怯えたように肩をすくめる。
三十三歳、大人の女性である店長は、十年間同棲している彼氏がいるらしい。
さっき聞いたその話に、今度は柳くんが切り込んだ。
「店長は、結婚とか考えてるんすか?」
店長は「んー」と斜め上を見つめ、お酒を一口飲んでから続けた。
「五年くらい前かな? その頃までは、『早くプロポーズしろよ』っていつもイライラしてたの。彼、仕事に夢中でさ……」
懐かしむように目を細める。
「でもね。ちょうどその頃、彼が大きい交通事故に遭って、ちょっと危ない状態にまでなって……。そこから、『一緒にいられるのが貴重だな』みたいに思うようになって、あまり多くを望まなくなったんだよね」
酔った頭だったけれど、その話に真剣に聞き入っていた。
「私も、店長になってから仕事がすごく面白くなったのもあって、このままきちゃって。将来のこと考えたら、そろそろ何かしら動かないとって、わかってるんだけど」
そう言って苦笑いをしてから、ふわりと優しく微笑む。
「まあでも、幸せだよ」
色んなことを経験してきた、大人の包容力ある女性。
その笑顔が、私にはひどく眩しく見えた。
「……店長。ずっと一緒にいるためには、どうしたらいいんですか?」
気がつけば、すがるように真剣に問いかけていた。
柳くんはグラスに口を付けながら、黙って私を見た。
「えー? でも、美絵ちゃんたちはお互い大好きなんでしょ? お互いを大事にしてたら大丈夫だよ!」
笑って励ましてくれる店長に、私は俯いた。
「でも……『大事にする』って、どうしたらいいか、わかんなくて……」
ぽつりと弱音を吐き出す。
「何か悩んでるの?」
「……どうしても、やきもち焼いちゃうんです」
絞り出すように明かすと、柳くんは「中学生か」と鼻で笑った。
「やきもち!? はあ〜、最後に妬いたのなんていつかしら……」
店長は遠い目をしてから、「別にいいんじゃない? 彼氏は、そんな美絵ちゃんも可愛いんじゃない?」と慰めてくれる。
「でも……そういう『可愛い』のじゃないんです。可愛くない、めんどくさいやきもちなんです。彼氏は悪くないのに、私が自分に自信がないせいで、なんでも不安に感じてるんです……」
お酒のせいで、心の奥底に沈めていた黒い感情が、次々と外に溢れ出てくる。
私の言葉を聞いた柳くんが、「あーわかった」と納得したように頷いた。
「そういうやつね。森って、だいぶめんどくさいタイプだな」
――そう。彼の言う通りだ。
『やきもち焼きでも、子供っぽくてもいいよ』と、祥ちゃんは前に言ってくれた。
でも、今の私は、祥ちゃんが『いいよ』と言ってくれた範疇に収まっていない気がするのだ。
もうそろそろ、この重さに嫌気がさしているかもしれない。
「……え?」
突然、柳くんがギョッとした声を上げた。
「よ、美絵ちゃん!?」
店長も驚いて身を乗り出す。
そこで初めて――自分がボロボロと涙をこぼしていることに気がついた。
さっきまで、あんなに楽しい気分だったのに。
一度決壊した涙腺は、自分でも止められないほどの涙を溢れさせていく。
「もう! 柳くんがキツい言い方するからでしょーが!」
「いや、俺のせいすか!?」
店長が柳くんの肩をバシッと叩き、慌てて私におしぼりを渡しながら背中をさすってくれた。
「『自分に自信がない』かあ……。たしかに私も、二十歳の頃、自信なんて全然なかったかも」
私の背中をポンポンと優しく叩きながら、穏やかな声で語りかけてくれる。
「今も、『自分に自信があるか?』と聞かれたら、はっきりと肯定はできないけど……でも、自分の考え方や生き方には、満足してるかな?」
「満足、ですか……?」
「そう。大学を出て、右も左もわからないまま働いて、色々失敗して成長して……。それを繰り返して、だんだんそうなっていくんじゃないかな?」
「…………」
「大丈夫! 美絵ちゃんも柳くんも、私が二十歳の時より、全然立派に働いてくれてるからー!」
そのあたたかい励ましと肯定の言葉に、逆に涙腺が緩んでしまった。
柳くんが頭を掻き、呆れながらも小さな声で言った。
「……悪い」
思い切り首を左右に振って、『違うの。柳くんのせいじゃないの』と、涙声の代わりに懸命に訴えた。
◇
涙がおさまってからは、三人で色々と楽しい話で盛り上がることができた。
二人のおかげで、さっきまでの泥沼のような思考から抜け出し、少しだけ心が軽くなっているのを感じた。
「……すみません。楽しい場で泣いたりして」
駅の改札前。別れ際に、改めて頭を下げた。
「いえいえ! 若い二人と飲めるなんて楽しかったわー。また行こうね!」
「店長、ごちそうさまでした」
私たちとは路線が違う店長は、ヒールを鳴らして元気に手を振りながら去って行った。
改札前で、柳くんと二人きりになる。
「柳くん、ごめん。柳くんのせいじゃないからね」
「……ああ」
彼は短く相槌を打った。
それからお互いあまり喋らずに改札へ入り、それぞれのホームへの階段前まで歩いた。
「……じゃ。元気出せよ」
最後、少し視線を逸らしながら、ぶっきらぼうにその一言をかけてくれた。
「……ありがとう。おやすみ!」
お礼を言って、踵を返した。
背後で、「あれ? あいつ、方向あっちだっけ」という、小さな呟きが聞こえた気がした。
私は酔った頭のまま、自分の家とは逆の方向――祥ちゃんの家へと向かう電車に乗っていた。




