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第67話

 まだ肌寒さは残りながらも、春の空気を感じる日も多くなった、三月中旬。


 いよいよ、少年野球の地区大会が始まった。

 それなりの規模のちゃんとした大会で、ここで勝ち進めば、全国のチームが集まる上位大会へと駒を進めることができる。


 子供たちは、僕がコーチになった当初から見違えるほど成長していた。

 練習の成果を存分に発揮し、泥だらけになりながら白球を追いかける姿は、ベンチから見ていても頼もしかった。


 けれど——勝負の世界は甘くない。

 彼らは、全国シリーズまであと一歩というところで敗退してしまった。


 ゲームセットのサイレンが鳴り響いた瞬間、グラウンドの空気が重く沈む。

 整列して挨拶を終え、ベンチに戻ってきた子供たちは、ポロポロと大粒の涙をこぼして悔し泣きをしている子もいれば、唇を噛み締め、ぐっと涙を堪えて地面を睨みつけている子もいた。


 その小さな背中を見ていると、僕の鼻の奥にもツンと熱いものが込み上げてきた。


(……ここで俺が泣くのは、違う)


 必死に奥歯を噛んで堪える。


 子供たちは、あんなに全身全霊で頑張っていた。

 僕がもっと、もっと上手く教えられていれば。

 あそこでもう少し適切な声かけができていれば、結果は違ったかもしれない。

 そんな考えが次々と、頭の中を巡ってしまう。


 僕自身が不甲斐なくて悔しかった。


「……コーチ、泣いてんの?」


 ふと、隣でしゃくりあげていた少年が、真っ赤な目で見上げてきた。


「……いや。泣いてないよ」


 無理やり口角を上げて、帽子の上からポンと頭を撫でた。


「お前ら、すげー頑張ったな。お疲れ」


 それだけ言うと、たまらずその場を離れた。


 特に用事もないのに、グラウンドの隅にある機材テントの裏へと足早に向かう。

 誰にもバレないように背を向け、目尻に溜まった涙を、こぼれ落ちる前に指で拭った。


 自分の無力さと、子供たちの純粋な熱意。

 誰かの成長に本気で向き合い、一緒に笑って、一緒に悔しがる。

 なぜだろう。

 自分自身がマウンドに立って白球を投げていたあの頃よりもずっと、大きく感情を揺さぶられていた。


 テントの向こうからは、まだ試合後のグラウンドのざわめきが遠く聞こえてくる。

 その熱気の奥で、胸の中にある一つの『決意』が、確かな輪郭を持って固まっていくのを感じた。


 ◇


 長いと思っていた春休みも、バイトや帰省、そして忙しい合間を縫ってくれた祥ちゃんとのデートなどで、本当にあっという間に過ぎ去ってしまった。


 カレンダーは四月に入っていた。

 朝のテレビでは、各地の桜開花のニュースが華やかに報じられている。

 大学へ向かう道すがら見上げた桜の木は、まだまばらではあるけれど、確かに薄紅色の花を咲かせ始めていた。


 今日から、いよいよ二年生としての大学生活がスタートする。


 最初の授業は、史学部の必修科目だった。

 広い講義室を見渡すと、クラスの面々も去年から若干変わっているようだった。


 教壇に立った教授から、二年生以降の履修登録についての説明や、希望者はこの学年からゼミにも所属できるという話、そしてそれがどう就職に繋がっていくかという現実的な話が語られる。


(就職、か……)


 私は、史学という学問自体は好きだ。

 けれど、それをどう具体的な「仕事」に繋げていくのか、イメージは全くと言っていいほど湧いていない。

 史学部は一般的に就職活動が難しいという話も、教授の口からチラリと出た。


 ◇


 お昼休み。

 祥ちゃんもいずみも、それぞれ新しいクラスのオリエンテーションがあるらしく、私は一人でランチをとろうと学食にやってきた。


 少しの寂しさを抱えながらぽつんと食べていると、「美絵ちゃんっ」と後ろから声をかけられた。

 振り返ると、去年同じクラスで、グループ課題を一緒にやったことのある女の子二人が立っていた。


「さっき講義室で声かけられなかったから……また私たち、クラス一緒だね!」


「本当!? よかった……!」


 広い講義室で、私は彼女たちの姿を認識できていなかったのだ。


「ここ、座ってもいい?」と聞かれ、「もちろん!」と大きく頷く。

 人見知りで、なかなか自分から交友関係を広げられない私にとって、知っている顔と一緒にご飯を食べられるのは本当に心強い。


 食べながら話していると、二人もこれからの履修や進路について迷っているとのことだった。


 一人は「とりあえず教職とか司書の資格も考えて、単位だけは取っておこうかな」と手堅く動いているらしいが、もう一人は「全然なんにも考えられてないんだよねー」と私と同じように笑っていた。


(……なんだ。私だけじゃないんだ)


 みんな、少しずつ手探りで進んでいる。

 そう思えたことで、胸の内にあった小さな不安は、少しだけ軽くなった。

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