第66話
――プルルッ、プルルッ。
予定のない朝用に、いつもより少し遅い時間にセットしてあるアラームが鳴る。
二回ほどベル音が響いたところで目を覚まし、慌てて伸ばした手でそれを消した。
隣にいる美絵は寝息を立てていて、気づいた様子はない。
(まだ起こさないでおこうか)
そう思い、静かに布団から抜け出そうとすると。
背中に、ポスッと柔らかい重みがのしかかってきた。
「…………?」
驚いて振り向くと、美絵が僕の腰にぎゅっと抱きついている。
目は閉じられたままだ。
「……美絵? 起きてる?」
小声で尋ねてみると、彼女は寝ぼけながら「行っちゃ、だめー……」と甘える声で呟いた。
(……可愛すぎる)
身悶える僕は完全に降参して、再び布団の中に潜り込んだ。
サラサラになった短い髪を撫でると、彼女は目を閉じたままふにゃっと微笑む。
まだ半分夢の中にいるようだ。
髪が短くなった寝顔から、ほんの少し中学時代の面影を感じて、胸の奥で音が鳴る。
たしかに彼女の言う通り、あの頃はずっと顎くらいのボブだったけれど、伸びたときはちょうどこの長さだった気がする。
教室から廊下を眺めていたら、友達と笑いながら歩く彼女が通って、笑い声とともに揺れていた髪。
そんな姿に、いつも見惚れていたっけ。
中学時代の記憶を辿っていると、連鎖するように、昨晩話した元彼のことが頭を過ぎる。
「何もなく終わった」と、美絵は必死に言っていたけれど……。
……いや、でも手は繋いでたよな。
思い出すと、モヤモヤとした感情が、またじわじわと湧き上がってくる。
昨日、勢いに任せて「自分も嫉妬する」とぶっちゃけてしまった。
引かれては、いなかったよな……? 抱きついてきてくれたし。
実はあのとき、「祥ちゃんだけが大好き」と言ってくれた彼女の想いが嬉しくて、キスをしたくなり、そっと顔を持ち上げようとした。
けれどまったく反応がなく、覗いてみるとものすごいスピードで寝落ちしていて。
拍子抜けしたまま、僕も後を追うように眠りについたのだった。
その続きがしたくなって――また夢の続きに戻っているであろう彼女の唇に、そっと自分の唇を重ねた。
二度ほど触れたところで、彼女が「ん……?」と気づいたような小さな声を漏らす。
そして三度目。
「……祥ちゃん?」
微睡みの中から名前を呼ばれた。
「……ん?」
短く返して、気にせず四度目、五度目と角度を変えて重ねていく。
だんだん目が覚めてきたのか、僕に応えながらふふっと笑った彼女があまりにも可愛くて。
同時に「自分だけのものにしたい」という独占欲が顔を出し、キスはどんどん深く、熱を帯びていく。
自然と、彼女を抱き寄せる手も伸びてしまう。
「しょ、祥ちゃん……? 朝だよ……?」
恥ずかしそうに戸惑う美絵に、少しワガママな本音をこぼした。
「……でも。美絵、昨日寝ちゃったから」
「…………」
その言葉に、彼女は顔を真っ赤にして黙り込む。
そしてそのまま、僕の甘えを優しく受け入れてくれた。
◇
あの甘い朝の余韻からエネルギーをもらった僕は、無事に一年生最後のテストを乗り切ることができた。
そして、大学生の長い春休みが始まった。
とはいえ、僕のスケジュール帳は真っ黒に埋まっていた。
テスト期間中にシフトを減らしてもらっていた分、平日はファミレスのバイトにみっちり入り、週末は少年野球のコーチのバイトが控えていた。
小学生の春休み期間に地域で開催される大きな大会に向けて、練習も本格化していたからだ。
美絵とは、そんなぎっしり詰まった予定の合間を縫って、デートをした。
関東で有名なテーマパークでは、「祥ちゃん、これ一緒に着けて!」と少し照れる僕に無理やりお揃いのキャラクターのカチューシャを被せ、チュロスを頬張りながら満面の笑みを浮かべていた。
横浜の赤レンガ倉庫のあたりを歩いた時は、少し短くなった髪を海風に揺らしながら、「こうやって少し遠出すると、旅行みたいで楽しいね」とはしゃいで、僕の腕にぎゅっとしがみついてきた。
少しでも隙間時間ができれば、どちらかの部屋で一緒に過ごすようにもした。
俺が時間に余裕のある大学生だったら、もっといろんなところに連れて行って、一緒にいられるのにな。
忙しさにかまけて、美絵に不満を抱かせていないだろうかと、ふと不安になることがある。
でも、デート中に無邪気に楽しんでくれる姿や、待ち合わせ場所で僕を見つけた瞬間にパッと花が咲いたように笑う顔を見ると、その不安はスッと溶けていった。
「また三日も会えないの……寂しい。……でも、バイト頑張ってね。応援してる」
「うん……ありがと」
別れ際、美絵はそうやって素直に寂しさを言葉にしながらも、最後には必ず僕を気遣って微笑んでくれる。
強がらずに自分の気持ちを伝えてくれる彼女の存在に、どれほど助けられているか分からなかった。




