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第64話

 結局、正人くんがよく行くという駅前の居酒屋に、開店と同時に滑り込むことができた。


「テスト、お疲れーっ!」


 カチン、と三人でグラスを合わせる。

 一口飲んだところで、正人くんがさっそく身を乗り出してきた。


「……で、ヨッシー。ウチの祥ちゃんが、何かご迷惑かけてたりします!?」


 まるでお母さんのような口調に、私は思わず吹き出しそうになる。


「いやいや! そんなんじゃないよ! ただ……」


 どこまで言おうか少し迷ったけれど、目の前の二人は私が信頼している友人だ。

 意を決して口を開いた。


「……祥ちゃんがモテすぎて、不安になっちゃって」


 正人くんが目を丸くして「えっ!?」と驚いた。


「祥太郎、モテてんのか!? ……あ、まさか。文化祭以降は特に何もなさそうだったけど、実は真希さんがまだ諦めてなかったりとか?」


 彼を『狙っていた』と言った真希さんは、あれ以来、私たちには普通のサークルの先輩として優しく接してくれている。

 祥ちゃんいわく、個人的に連絡が来ることも飲み会に誘われることもないそうだ。

 単なるお気に入りだったのか、それとも大人の対応で身を引いてくれたのか……。

 最後に見た彼女の切ない表情を思い出すと、きっと後者なのだろうと思うけれど。


「あ、真希さんじゃなくて……」


 言葉を濁す私に、隣のいずみが「……まさとんなら大丈夫だろうし、相談してみたら?」と小声で背中を押してくれる。

 私は観念して、「祥ちゃんや正人くんと、同じクラスの子で……」と切り出した。

「ええっ!?」とさらに驚く正人くんに、バレンタインの一部始終を軽く説明した。


 ◇


 話を聞き終えた正人くんは、「あー、なるほどね……」と腕を組んで深く頷いた。


「……繋がったわ」


「え?」


「俺と祥太郎が一緒にいる時、たしかに大石ちゃん、よく話しかけに来てたんだよ。それに、クラスの何人かで祥太郎のバイト先のファミレスにも時々来てたし」


 正人くんの言葉に、祥ちゃんと付き合う前、正人くんといずみと三人でファミレスに遊びに行ったことを思い出す。


 そういえばあの時、祥ちゃんのクラスメイトだという女の子たちが数人で来ていて、彼に親しげに声をかけていたっけ。

 あの中に……彼女もいたのかもしれない。


「でも、バレンタイン以降、食堂で祥太郎と一緒にいる時にすれ違ったら、なんか気まずそうにしててさ。祥太郎からも急に『大石からバレンタインもらった?』って確認のメッセージ来てたし、なんでかと思ってたけど……そういうことか」


 正人くんの口から語られる新事実に、チクリと胸が痛んだ。

 やっぱり、彼女はずっと祥ちゃんを見ていたんだ。


「まあ、でもさ」


 正人くんはカラッとした声で笑い飛ばした。


「祥太郎がヨッシーと付き合ってて、ラブラブっていうか……祥太郎がヨッシーに『ゾッコン』なのは、同じクラスの連中もみんな分かってるしなあ。大石ちゃんも、ダメ元で、自分の気持ちを吹っ切りたくての行動だったのかもな」


「……『ゾッコン』……」


「そうそう! あいつ、ヨッシー以外の女の子の言動にほんっと興味なさそうだからさ。好意持たれてても全然気づかなそうだしなあ」


 正人くんは呆れたように肩をすくめる。


「祥太郎を庇うわけじゃないんだけど。あんなに彼女のこと好きなやつ、俺、見たことないよ!? あいつ、ヨッシーと喋る時だけ顔デレッデレだし」


「それ、私も思うー! 顔溶けてるよね?」


 いずみも激しく同意し、正人くんと笑いながら頷き合う。


「あいつ、中学からずっとヨッシーが好きで……ていうか、ヨッシーが初恋で、ヨッシー以外好きになったことないだろ? 男友達の中でも『お前、重っ!』っていじられてたわ」


 ケラケラと笑う正人くんの言葉に、私は少し照れて、手元のグラスを見つめた。


『重い』と言われるほどの、真っ直ぐで大きな私への矢印。

 その一途さが、今の私には何よりも眩しくて、なぜか少しだけ焦りを感じさせる。


「二人でさ、なんでもないことでいいから、もっといっぱい喋ったほうがいいかもよ。ふとしたことで、祥太郎からの気持ち、実感できるんじゃないかなー」


 祥ちゃんと一番仲のいい正人くんからの裏表のない言葉と、いずみの温かい励まし。

 それに触れているうちに、私の中で固く結ばれていた不安の糸が、少しずつ、解けていくのを感じた。


 ◇


 それから五時間近く。

 私たちは過去の恋バナや、いずみの彼氏との悩み、正人くんがなかなか恋ができないことなど、色々な話で大いに盛り上がった。


「もう十時かー」


 スマホの画面を見た正人くんの言葉に、いずみが目を丸くして驚く。


「え!? 時間経つの速すぎ!」


「そういえば、今日の記念写真撮ろうぜ!」


 正人くんの提案で、自撮りモードで三人の写真を撮る。

 そして彼は、画面を見ながらニヤニヤとスマホを操作し始めた。


「まさとん、ニヤニヤしながら何してんのー?」


 いずみが覗き込むと、「えー? 面白いこと!」と正人くんは悪戯っぽく歯を見せて笑った。



 ――ブブッ。


 その十五分後、テーブルに置かれた正人くんのスマホが震える。

 画面を見て「よし! そろそろ出るか!」と立ち上がった。


 お会計を済ませて、店が入っているビルの下に出た。

 春が近づいているとはいえ、夜の風はまだ冷たく、冬の残り香がする。


 キョロキョロと辺りを見回していた正人くんが、「おー!」と声を上げた。


 その視線の先を見て、私といずみは目を丸くした。


「……祥ちゃん!?」


 そこには、部屋着らしきグレーのスウェットの上に、急いでダウンジャケットだけを羽織った、手ぶら姿の祥ちゃんが立っていた。

 少し息を切らしている。


「……お前なあ」


 呆れたような顔で正人くんを見たあと、ポケットから取り出した自分のスマホの画面を私といずみに見せた。


 そこには、さっき撮った三人の記念写真と、お店の住所、そして――。


『迎えにきて♡』


 その一言だけ書かれた、正人くんからのメッセージが表示されていた。


「なにこれー!」


 私といずみが笑うと、正人くんはなぜか誇らしげな顔をした。


「じゃ、そういうことで! 祥太郎、ヨッシーは任せた! 今日めちゃくちゃ楽しかったなー! またやろうぜー!」


「それじゃあ、美絵、祥太郎くん、おやすみー!」


 二人はそう言いながら、嵐のように去っていってしまった。


「あっ……バイバーイ!」


 遠ざかる二人に向かって手を振る。

 祥ちゃんも「まったく……」と呆れ笑いを浮かべながら、小さく手を上げていた。


「…………」

「…………」


 二人きりになり、夜の通りに少しの沈黙が落ちる。

 そっと見つめ合うと、思いがけず会えた嬉しさがこみ上げてきて、自然と顔がほころんだ。


「……髪、切ってる」


 祥ちゃんが、甘く溶けるような優しい目で私を見る。

 さっき正人くんが言っていた『デレッデレ』という言葉を思い出し、照れてしまう。


「あ……うん、切ったの! ……ていうか、ごめんね。祥ちゃんまだテストあるんだよね? 忙しかったのに……」


 急に申し訳なくなって焦ると、祥ちゃんは首を横に振った。


「いや、重要なやつは全部終わってて、残ってるのは軽いやつだから大丈夫だよ」


「あっ、そうなんだ……よかった」


 ホッと胸を撫で下ろす。

 すると、祥ちゃんが一歩私に近づき、珍しく少し意地悪な笑みを浮かべた。


「……で、どこに送っていけばいい?」


「えっ……」


 突然の問いかけに、戸惑う。

 明日はたしかお互い休み。

 せっかく会えたのだから、まだ一緒にいたい。

 でも、明後日にテストが残っている彼を振り回すのも悪い気もする……。


 少しだけ唇を尖らせて、彼を見上げた。


「……祥ちゃんの、送っていきたいところ」


 意地悪には、意地悪で返してみる。


 その返しを聞いた祥ちゃんは「ふっ」と吹き出し、たまらないというように目を細めた。


「……やり返された」


 そう呟いて、私の右手をそっと、けれど力強く握りしめた。


 そして、駅とは反対の方向――彼のマンションがある方へと、温かい手で引いて歩き始めたのだった。

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