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第60話

 一段と寒さが厳しくなった、一月中旬。

 外の冷たい風なんて嘘みたいに、祥ちゃんの部屋はいつだってぽかぽかだ。


 夕飯は二人で鍋をつついた。

『あったかい、安い、簡単、栄養がとれる』という完璧な理由で、最近のおうちごはんはもっぱら鍋ばかりだ。


「冬の鍋って、癒し度半端ないな……」

「ね。心身にもお財布にも優しいよね」


 そう言って笑い合う。


(でも、この間は少しだけ頑張ってみたんだよね)


 沸き立つスープを見つめながら、ふと思い出す。


 元旦の餅つき大会で私の両親と会う、という無茶振りに応えてくれた祥ちゃんへのお礼に、初めてビーフシチューを作ってご馳走したのだ。

 午後の授業がない日、昼過ぎからスーパーへ行き、真剣にレシピとにらめっこしながらコトコト煮込んだ甲斐あって、我ながらなかなかの出来だった。

 彼は「すっごい美味い!」と感激して、三杯もおかわりしてくれた。


 冬の鍋は最高だけれど。

 あんなに喜んでくれるなら、また手の込んだものを作ってあげたいなと思う。


 ◇


 食後、二人でキッチンに並び、お皿を片付け終えた。


「くっついてる方があったかいから」ともっともらしい理由を口にして、ソファに座る祥ちゃんにピタリとすり寄った。

 彼は「はいはい」と微笑みながら、邪険にすることなく受け入れてくれる。

 そのまま一緒にテレビを眺めたり、空いた片手で大学の課題をこなしたりしていた。

 教職課程の授業が、なかなか大変らしい。

 テキストに視線を落とす横顔は以前よりもキリッとしていて、真剣に取り組んでいるのが伝わってくる。

 その姿を特等席で眺められるのは、密かな楽しみでもあった。


 BGM代わりに流していたテレビのニュースが、スポーツコーナーに切り替わり、サッカーの映像が映し出されると、自然と先日のサークルのイベントの話になった。


 祥ちゃんはバイトや課題で忙しく、サークル活動にはごくたまにしか参加できない。


「先週のサッカー観戦、いずみの解説がすっごく分かりやすくて楽しかったよ」

 そう報告すると、祥ちゃんは「いずみ、本当にサッカー好きだよなあ」と相槌を打ちながらテキストのページをめくった。


 ◇


 気づけば、私を家まで送っていく時間になっていた。


「……よし。じゃあ……」


 祥ちゃんが区切りをつけて立ち上がろうとした瞬間。

 彼の腕をスルッとすり抜け、部屋の対角線上へとダッシュで逃げた。


「あれ……またか?」


 優しく呆れたような笑みを浮かべる祥ちゃん。


「……美絵ちゃん?」


 最近、彼が困ったときや甘やかすときに使う、この『ちゃん』付け。

 呼ばれるたびに、胸の奥がキュンとする。


 捕まえようと伸ばされる手から逃げ回り、狭い部屋の中を二、三周したところで、私はベッドの上にダイブして毛布にすっぽりと潜り込んだ。


「やだ! 今日は帰らない」


「……美絵ちゃーん?」


 バサッと毛布を引き剥がされる。


『……ダメ?』と、上目遣いで無言の訴えかけをする私。


 数秒間、じっと私を見つめ返していた祥ちゃんは、やがてふっと息を吐いて降参した。


「……今日だけだな」


 その言葉を聞いた私の心は、パーッと舞い上がる。


「やったー!」


 実は『今日だけ』と言いながら、もう何回かこのワガママを受け入れてもらっている。


 嬉しくなって、ベッドに寝転がったまま彼の首元に腕を回す。

 バランスを崩した祥ちゃんは、引き込まれるようにして私の上に覆い被さる形となった。


 至近距離で目が合う。

 愛おしそうに髪を撫でて、私の甘えに流されるように、何度もあたたかいキスをくれた。



(……大好き)


 心の中でそっと呟く。

 彼の温もりに包まれるこの瞬間が、何よりも一番幸せだった。


 彼のことを大好きだと思えば思うほど、最近、少しだけ不安になることがある。

 祥ちゃんは、優しくて、カッコよくて、真面目で、本当に完璧な彼氏だ。


 たとえば。遠く離れた東京で、親の目もないのだから、どちらかの家に泊まりっぱなしの半同棲状態になったって、誰にもバレやしない。

 だけど、私が「泊まりたい」「泊まっていって」とねだってみても、「ダーメ」と優しくたしなめられることがほとんどだ。


「もう……真面目だなあ」とむくれることもあるけれど、彼がきちんとけじめをつけようとしてくれるのは、学生としての二人の生活をしっかり成り立たせようと考えてくれているからだと、本当はよく分かっている。

 そして、そうやって生活の土台を整えてくれているからこそ、私は安心して、思い切りワガママを言って甘えることができる。


 そういう誠実なところや包容力も含めて、彼の素晴らしさを実感するたびに、私の胸には小さな不安がよぎる。


『こんなに素敵で完璧な彼なら、他の女の人から見ても絶対に魅力的に映るに決まっている』

 そんな心配が拭えないのだ。


 彼がサークルやクラスの女の人と親しそうに話しているのを見るだけで、チクリとやきもちを焼いてしまい、困らせてしまうことも増えた。


 もちろん、祥ちゃんが心変わりするなんて欠片も思っていない。

 その愛情は、日々の言動や甘い表情から痛いほどに伝わってくる。


 ただ純粋に、『最強の彼氏』すぎるから心配なのだ。


(……私、祥ちゃんに相応しい彼女でいられているかな?)


 そう少しだけ焦ってしまうのだ。

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