第59話
「ヨイショ!」「ヨイショ!」
元旦の澄み切った冬空の下、地元の小さな公園に活気のある掛け声が響き渡る。
……なぜ今、自分がこんな状況に置かれているのか、僕はいまだに頭の整理がついていなかった。
湯気を立てる臼の中の餅を、リズムよく手水をつけてひっくり返す僕。
そして、力強いスイングで杵を振り下ろし、餅をついているのが――美絵の、お父さんだ。
◇
遡ること、昨日の夜。
大晦日のため二十時閉店だったファミレスのバイトを終えた僕は、家に帰ってすぐに軽食と風呂を済ませ、白いパーカーというラフな部屋着に着替えていた。
ソファベッドに寝転んで頬杖をつきながら、テレビから流れる特別番組をぼーっと眺める。
(……美絵、今頃実家でどうしてるかな)
お笑い番組を観てケラケラと笑っているのだろうか。
それとも、音楽番組を観て口ずさんだりしているのだろうか。
元々、一人で過ごす時間は嫌いじゃない。
けれど、彼女といるときの温かくて甘い幸せを知ってしまった今、つい「隣にいたらな」と考えてしまうことが増えた。
――ブブッ。
そんなとき、タイミングを見計らったようにスマホが震えた。
美絵からのメッセージだ。
『起きてる?』
すぐに『起きてるよ』と送ると、少し間を置いてから予想外の誘いが届いた。
『もし難しかったら全然いいんだけど……明日、うちの近所の餅つき大会に来られたりする?』
明日のお昼前には福島の実家に着く予定だ。
昼食後なら抜け出せるだろう。
『行けるかも』と返すと、そこからさらに驚きの事実が明かされた。
実は、美絵のお母さんに僕と付き合っていることがバレてしまい、顔を見たがっているのだという。
ちなみに、お父さんにはまだ内緒にするらしい。
(美絵のご両親に……会う?)
たしかに部屋は暖房が効いていたが、背中にじんわりと変な汗が滲むのを感じた。
しかし、ここでビビって断るなんて男としてかっこ悪すぎる。
覚悟を決めて『わかった。行くよ』と答えた。
一人で年越しを迎え、美絵と『今年もよろしく』とメッセージを交わしたあと。
僕は翌朝の早い新幹線に備え、すぐにベッドに潜り込んだのだった。
◇
そして、今日。
予定通り、久しぶりに故郷の地を踏んだ。
上京してから大学生活とバイトの両立で慌ただしく、一度も帰省できていなかった我が家。
玄関の戸を開けると、早速カオスな光景が広がっていた。
こたつでは年越しで夜更かししたらしい姉の奈津子が丸くなって爆睡しており、縁側では父がどっしりと構えて新聞を読んでいる。
台所からは「もー、みんな手伝いなさいよ!」という母のぼやきと、祖母と一緒におせちの準備をする包丁の音が聞こえてきた。
二階に上がり、五つ下の弟・智也の部屋へと向かう。
――コンコン。
「智也?」
「……おー」
中学生男子らしく口数は少ないものの、兄の帰省に少し嬉しそうな顔を見せた。
我が家は少年野球の監督を務める父と、ついでに去年までコーチをしていた僕もいるため、子供たちや保護者が元旦の挨拶に寄ってくれたりもして、大変賑やかだった。
ようやく一息つき、「明けましておめでとう」と家族みんなでおせちを囲んだ。
世間話が一段落したところで、僕はわざと何でもないことのように切り出した。
「……そういえば。これ食べ終わったら、図書館の近くの公園でやってる餅つき大会に行ってくるわ」
「え、なんで?」
母がすかさず食いつく。
「いや、その近くに住んでる同級生に誘われたから」
「あんた、あの辺りに住んでる友達なんていたっけ?」
「…………」
母の追及に黙って誤魔化そうとすると、先ほど起きたばかりの姉がニヤニヤしながら横から口を挟んできた。
「さては女の子?」
「…………」
引き続き黙秘を貫きながらかまぼこを口に入れる僕に、母が「え〜っ!?」と声を上げる。
これ以上突っ込まれる前に逃げたかったが、「餅つきなら、お餅大好きな智也も連れて行ってあげれば?」と提案され、弟の智也も一緒に行くことになった。
◇
食事が終わり、智也と並んで自転車を漕ぎ出す。
有難いことに雪は降っていなかった。
同じ中学の学区とはいえ、美絵の家があるエリアまでは自転車で二十分ほどかかる。
智也も、ピッチャーではないが野球をやっているため、自然と部活の話になった。
「調子どう?」
「……ぼちぼち。一、二年に結構強いメンバーが揃ってるから、いいとこまでいけるかも」
「来年楽しみだな。頑張れよ」
「ん」
素っ気ない返事だが、どこか嬉しそうにペダルを漕ぐ横顔を見て、僕も自然と頬が緩んだ。
公園に着くと、すでに多くの人で賑わっていた。
その中から美絵の姿を探すと――不思議なほどすぐに見つけることができた。
目が合った瞬間、お互いに顔が綻んでしまう。
彼女が駆け寄ってきて向き合ったところで、二人でハッとした。
周囲の目を気にして、慌てて『ただの同級生』の表情を取り繕う。
「……明けましておめでとう」
「おめでとう!」
斜め後ろにいた智也に目をやると、彼女の圧倒的な綺麗さに面食らったように目を丸くしている。
「こちら、弟の智也」
黙ってペコッと頭を下げた智也に、彼女は「初めまして」と微笑み返す。
智也には彼女のことを「中学の同級生で、大学が同じ森さん」と紹介しておいた。
「餅つき、あっちでやってるよ。お母さんもいるから……」
美絵に連れられて少し歩くと、近所の人たちと談笑している女性がいた。
「あらあ……」
僕の顔を見るなり、目尻を下げてニッコリと微笑む美絵のお母さん。
その柔らかい笑顔には、美絵の面影がはっきりとあった。
「……初めまして。瀬川祥太郎です。こっちは弟の智也です。美絵さんには……いつもお世話になっています」
緊張のあまり声が裏返りそうになるのを必死で抑え、なるべくハキハキと喋るように努める。
けれど最後の方はどうしても照れくさくて、お辞儀をしながら少し目を逸らしてしまった。
「あらあら……こちらこそお世話になっております。人見知りな美絵と仲良くしてもらって、本当にありがとう」
お母さんは、まるですべてお見通しのような、温かくて微笑ましい瞳を僕に向けてくれた。
「あちらにいるのが、美絵の父です」
その視線の先には、大きな声で掛け声をしながら力強く杵を振っているお父さんの姿があった。
その時だ。
餅をひっくり返す役をやっていた年配の男性が、「いたた……」と腰をさすった。
ふと顔を上げた美絵のお父さんと、ばっちり目が合う。
「おっ? そこに若い青年たちがいるじゃないか。ちょっとこっちに来て手伝ってくれ!」
「……えっ!?」
有無を言わさぬ勢いで呼び寄せられ――気がつけば、僕は見知らぬ人たちに囲まれながら、美絵のお父さんと絶妙なコンビネーションで餅をつくことになっていたのだった。
◇
「ヨイショ!」「ヨイショ!」
そんな経緯で今の状態に至るわけだが、スポーツをやっていたからか変にリズム感が合ってしまい、周りからは拍手までいただいてしまった。
ようやくお役御免となり、つきたてのきなこ餅を智也と立ち食いしていると、隣にふらりと美絵のお父さんがやってきた。
「君、美絵の同級生だって?」
「あ……! ご挨拶遅れてすみません。瀬川祥太郎と言います」
慌てて自己紹介すると、お父さんはピタリと動きを止め、僕の顔をまじまじと見つめた。
「美絵の同級生で、『瀬川くん』……? もしかしてピッチャーやってた子か?」
「えっ!? ……ゲホッ、ゴホッ」
予想外の言葉に、僕は思わずきなこにむせてしまった。
「おいおい、餅はしっかり噛んで食べなさい」
背中をさすられながら、僕は目を白黒させる。
「……僕の名前、知ってくださっていたんですか?」
「ああ。僕も小さい頃から野球をやっていて、今も大好きでね。休みの日に、君が投げてる試合、観に行ったことあるよ。いやあ、いい球投げてたなあ」
「……っ、ありがとうございます」
まさか、彼女のお父さんが自分の昔のピッチングを知ってくれていたなんて。
驚きと気恥ずかしさで、心臓が別の意味でバクバクと音を立てた。
「大学での美絵は、どうかな」
「はい。仲のいい友達もたくさんいて、すごく楽しそうにしています」
そう答えると、お父さんは「そうか」と安心したように眉尻を下げた。
ふと、美絵がお母さんと一緒にこちらへ向かって歩いてくるのが見えた。
お父さんはそちらに目を向けながら、ぽつりと呟いた。
「あの子を……よろしく頼むね」
「……えっ?」
(あれ、待って。付き合ってることはまだ内緒ってことでいいんだよな……? これは『大学の友達として』よろしくってことだよな……?)
一瞬、頭の中がパニックになりかけたが、僕は深く考えないようにして、しっかりと頷いた。
「……はい」
◇
帰る時間になり、公園の入り口で美絵が僕と智也を見送ってくれた。
「あんまり話せなかったけど……来てくれてありがとう」
微笑む美絵に、僕は「うん」と頷く。
隣に智也がいる手前、恋人らしい会話はできない。
けれど、「会えて嬉しかった」という気持ちだけは、お互いの視線と表情で十分に伝わり合っていた。
智也は、そんな僕たちのもどかしいやり取りをじっと見つめていた。
「さ、帰るか」
美絵と別れたあと、自転車にまたがり、ペダルを漕ぎ始める。
冬の冷たい風を切りながらしばらく走っていると、隣からボソッと声が聞こえた。
「……兄ちゃん。あの人……」
何か言いたげな智也に、僕は「…………」と無言で視線を返す。
数秒の沈黙のあと、僕の必死なオーラを察したのか、智也は前を向いたまま言った。
「……母さんたちには、黙っとく」
「……助かる」
もしこのことが母や姉に知られたら、新たなゴシップネタを手に入れたとばかりに大騒ぎされ、根掘り葉掘り問い詰められるに決まっている。
(まさか……「智也を連れて行ってあげれば」と提案したのは、智也を使って探るためか!?)
味方になってくれた弟に安堵して、小さく息を吐いた。
冷たい空気が心地よく頬を撫でていく。
途中から、粉雪が降り始めた。
家に帰ると案の定、母と姉から「やっぱり女の子!?」「どんな子だった!?」と質問攻めにあっていた智也だったが、全部「知らない」で通してくれていた。
色々と想定外の連続だったけれど。
新しい年のはじまりに、二人の生まれ育った街で、彼女の顔を見られた。
間違いなく最高な年の始まりだった。




