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第58話

 大晦日の東京駅は、自分の意志で歩くことがままならないほどの人であふれ返っていた。


 荒波に揉まれるようにして新幹線へ滑り込むと、案の定、車内は酸欠になりそうなほどの超満員。

 窓を曇らせるほどの熱気でいっぱいだ。

 誰もが年始を前にした高揚感を隠しきれない様子で、車内全体がソワソワとしたざわめきに包まれている。

 その喧騒が、今は不思議と心地よかった。


 窓の外を流れる景色が白一色に染まっていくのを眺めながら、私はようやく一息つく。


 今回の帰省は、年が明けて三日の昼まで。

 夏休みに帰ったときは、始めたばかりのバイトが忙しくて一泊二日しかいられなかったけれど、今回は少しだけ長く両親と過ごせる。


 ふと、前回の帰路、まだ祥ちゃんと付き合う前の、四か月前のことを思い出した。

 車内で、ドキドキしながら彼にメッセージを送ったっけ。


『今、福島に帰ってるんだ』

『いいな。俺はタイミングなくて、今年の夏は行けなさそう』


 そんな何気ないやり取りが、今では遠い昔のことのように懐かしい。

 たった四か月で、私たちの関係は想像もしなかったところまで進んだ。


 祥ちゃんは今日の夕方までバイトで、年越しは東京で過ごしてから、明日の朝にこっちへ来る予定だ。

「タイミングが合えば地元で会いたいね」と話はしているけれど、お互いの家族の予定もある。


(会えるかな、会いたいな……)


 恋人になってから初めて、二人の地元である福島で、彼と会えることを願わずにはいられなかった。


 ◇


 地元の駅に着き、改札にスマホをかざす。

 ワインレッドの新しいスマホケース。

 クリスマスにお互い欲しいものが思い浮かばず、『じゃあ、お揃いにしようか』と祥ちゃんとプレゼントし合ったものだ。

 彼はネイビーを使っている。


 駅舎を出ると、キンと冷えた空気が肺の奥まで入り込んできた。


(……ああ、帰ってきたなあ)


 この冷たさが、故郷の記憶を呼び起こさせる。



 ロータリーに見慣れた車を見つけた。

 運転席から父が激しく手を振り、助手席で母が微笑んでいた。


「美絵! 風邪ひいてないか? 友達とは仲良くやってるか? バイト、キツくないか?」


 車に乗り込むなり、父のマシンガントークが炸裂する。


「面白い野球番組を録画しておいたんだ、夜に一緒に観るぞ!」


「うんうん。何から答えればいい?」


 その勢いに思わず笑ってしまう。


「もう、お父さん。一週間前からソワソワして、美絵が帰ってくるの待ちきれなかったのよ」


 母の言葉に、父は「当たり前だろ!可愛い一人娘なんだから……」と照れてしまう。


 変わらない愛情に、心がじんわりと解けていった。


 ◇


 大混雑のスーパーで買い出しを済ませ、懐かしい我が家の匂いに包まれた頃、降りしきる雪がさらに強まっていた。

「少し雪かきしてくる」と大きなスコップを抱えた父が外へ出ていき、家の中には私と母の二人きりになった。


 台所で夕飯の支度をする母の背中を眺めながら、温かいお茶をすする。

 ふと、ずっと聞きたかったことが口をついて出た。


「……ねえ、お母さん。中学の同級生だった、瀬川くんって覚えてる? ピッチャーで有名だった……」


「え?」


 数秒間、記憶を辿った母はすぐに彼を思い出した。「あー! 覚えてるわよ。すごく上手で、強豪校に推薦決まってた子でしょう?」

 そして「あの野球好きなお父さんのことだし、お父さんも覚えてるかもね」と付け足した。


(やっぱり、お母さんも覚えていたんだ)


「……その人とね、大学のサークルで偶然再会したの」


「ええっ! そんな偶然あるのねえ!」


 母は驚いた声を上げた。

 そして、少しの間をおいたあと――ニヤリといたずらっぽく笑いながら私の方を振り返った。


「……もしかして。付き合ってたりするの?」


「えっ!? なんでっ!?」

(私、今、そんなに怪しかった!?)


「だって、美絵が男の子の話するなんて珍しいし。それに、この前いきなり『中学の卒アル送って』なんて言ってきたじゃない。彼の写真が見たかったのかなーって」


「…………」


 図星すぎて、否定するタイミングを完全に逃してしまった。


(私、誰かに何かがこうやってバレるの多すぎじゃない!? よっぽど隠し事が下手なのかな……)


 私の沈黙を肯定と受け取った母は、さらに楽しそうに目を輝かせる。


「同級生と再会してお付き合いなんて、素敵じゃない! あ、でも。お父さんにはまだ言わないほうがいいわね」


「……なんで?」


「好き合ってる二人が、東京で目と鼻の先に住んでるなんて知ったら、あの人、心配で夜も眠れなくなっちゃうかも。追々ね、追々!」


「…………」


 身に覚えがありすぎる私は、ただ黙ってお茶を飲むしかなかった。


 母もひと休みがてら、テーブルの私の向かいに腰を下ろした。

 お茶を啜りながら、とても楽しげな様子で続ける。


「ねえねえ。その瀬川くんは帰省してないの? 顔見てみたいわあ」

「……明日の朝、こっちに帰ってくるって」

「あら! じゃあ、明日のお昼、近所の公園で自治会の餅つき大会があるでしょう? そこに彼を呼びなさいよ!」

「へっ!?」


 思いもよらない提案に、思わず素っ頓狂な声が出てしまった。


「お父さんには『ただの同級生』って紹介すれば大丈夫だから! ね?」

「ちょっと、お母さん!?」


 勝手にどんどん話を進める母の勢いに、ただ面食らうばかりだ。


 けれど、無理やりだと思いながらも、私の胸は期待で少し高鳴っていく。


(……もし明日、本当に祥ちゃんに会えたら)


 雪の降る窓の外を眺めながら、まだ見ぬ明日の再会を、静かに願い始めていた。

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