第56話
身体の節々が軋むような感覚に、僕は薄く目を開けた。
カーテンの隙間から漏れる光はまだ弱く、部屋に青みがかった薄暗さが染み込んできている。
(……なんだ? この痛み……)
寝ぼけた頭で首を回そうとした瞬間、視界に入った光景に息を呑んだ。
すぐ目の前にある、美絵のあどけない寝顔。
「スースー……」と、穏やかな寝息を立てている。
(……あ……そうか……。美絵が、ここに泊まったんだ……)
急速に覚醒していく意識とともに、昨晩の記憶が鮮明に蘇ってくる。
楽しそうに、嬉しそうに。
変装したり、トランプゲームをしたり、プレゼントを渡してくれたり。
『おめでとう』と言ってくれた、眩い笑顔。
そして――そのあとの、体温や、匂いや、声。
初めて知るものも、たくさんあった。
(……っ)
細かい表情一つひとつまで思い出してしまい、一気に顔に血が上るのを感じる。
だけど、それ以上に、どうしようもないほどの幸せが、胸の奥を満たしていた。
彼女のことは、もう既に限界まで大好きだと思っていたのに。
昨日より今日、さっきより今と、その想いの最大値がどんどん更新されていくことに、ただただ驚く。
寝返りが打てていなかったせいで背中や肩が痛いが、それも当然だった。
壁側に美絵、外側に僕が寝ていたのだが、彼女が寝返りを打てるようにと、僕はベッドの縁ギリギリのところで硬直したまま眠っていたらしい。
けれどその身体の強張りすら、今はなんだか愛おしくて気にならなかった。
彼女を起こさないよう、そっとベッドを抜け出す。
音を立てないように少しだけカーテンを開け、冷蔵庫から出した麦茶を一口飲んで、再びベッドの上の狭いスペースへ戻った。
「ん……」
僕の動く気配に気づいたのか、美絵が身じろぎをした。
(やばい。起こしちゃったか?)
焦って身を固くしたが、彼女は目を閉じたまま「……んんん」と言葉にならない寝言のようなものを呟いて、再び小さな寝息を立て始めた。
無防備すぎる姿に、たまらずフッと笑みがこぼれてしまう。
そのまま横になりながら、彼女の寝顔をただぼーっと眺め、浸っていた。
やがて、外がどんどん明るくなり、部屋の色も青から暖かみのある白へと変わっていく。
東向きの窓からまっすぐに朝陽が差し込み、彼女の白い頬を柔らかく照らし始めた。
眩しいのか、しばらくすると再び「んんっ……」と小さく唸った。
そして、瞳がうっすらと開く。
「…………?」
僕と同じように、寝覚めの頭では状況が分からないらしく、ぽやっとした目で見つめてくる。
「……おはよ」
優しく声をかけると、彼女はハッと目を見開いた。
昨日のことを思い出して恥ずかしくなったのか、首元まであった毛布を口元までギュッと引き上げて隠してしまった。
「……おはよう」
布越しの、くぐもった声が返ってくる。
「祥ちゃん……起きてたの?」
「うん」
「いつから?」
「結構前から」
僕が答えると、美絵はさらに毛布を顔に押し付けた。
「……顔見せてよ。見たい」
端に手をかけると、「……やだ。恥ずかしいもん」と言って、今度は頭の先まですっぽりと被ってしまった。
僕から逃げるように、中で丸まっている。
「お願い」
「やだ」
さらに力を入れて死守しようとする。
埒が明かないので、ベッドと毛布の隙間から潜らせた手で、スウェット越しの彼女の細い腰を、軽くくすぐってみた。
「……ひゃっ! あははっ、やめてー!」
美絵はケラケラと笑いながら身をよじる。
狭い空間でじゃれ合っているうち、不意にダボダボのスウェットの裾から、素肌に直接触れてしまった。
「あ……」
その瞬間、昨晩の指先の感触がぶわっと蘇り、僕の動きがピタリと止まる。
毛布から顔があらわになっていた彼女も同じことを思い出したのか、一瞬で頬を真っ赤に染めて固まった。
「……あー……」
「…………」
気まずさと、それ以上の熱。
たまらず、彼女を腕の中に抱き寄せた。
そして――何度も、キスをした。
「…………祥ちゃん……」
その合間に、甘く溶けるような声が、耳元を掠める。
(…………まずい)
このままだと、僕のなけなしの理性が吹き飛んで、本当に危ない。
必死にぐっと奥歯を噛み締め、無理やり冷静さを取り戻した。
ゆっくりと身体を離し、めくれ上がってしまった彼女のスウェットの裾を丁寧に直す。
そしてベッドの上で正座をして、美絵の方を向いた。
「…………」
「……朝ごはん用意するんで、待っててください」
照れ隠しもあって、つい敬語になってしまった。
すると美絵も身体を起こし、僕と同じようにちょこんと正座をしてから、真っ赤な顔で頷いた。
「……ハイ」
そのやり取りがおかしくて、恥ずかしくて。
僕は急いで立ち上がってキッチンへ向かおうとした。
しかし、焦りすぎて何もない平らな床で思い切りつまずき、派手に転びそうになってしまった。
「いって……」
美絵のクスクスという笑い声を背中で受け止めながら、逃げるようにキッチンへと向かったのだった。




